悪夢
夢うつつに人の気配を感じた。
もうすっかり身に馴染んでしまった人物の気配だった。
いつもならどちらかの宮で共寝となるのだから、彼が寝室にいても不思議ではない。
ただ、昨夜は些細なことで喧嘩をし、それぞれの宮で寝ることにしたはずだ。
いないはずの存在への違和感が、俺を眠りから呼び覚ます。
もっとも慣れない一人寝にベッドをやけに広く冷たく感じ、浅い眠りの波に揺られるしかなかったのだから、覚醒は早かった。
ぼんやりと瞼を持ち上げた先には、予想通りの光景。
窓越しに差し込む月明かりに照らされ異彩を放つ、真紅の髪の持ち主が傍に佇んでいた。
「どうした、カミュ」
ゆっくりと起き上がりながらかけた言葉に、答えはない。
無言のまま寝台に近づいたカミュは、そろそろと腕を持ち上げると、俺の肩に手を置いた。
その手の冷たさに、驚いた。
いつもひんやりと心地よいのがカミュの手なのだが、今の彼の体温は常よりもはるかに低い。
そう思ってよく見ると、不審な点は他にもあった。
身にまとっているのは薄い夜着だけだし、足元はかすかに土に汚れてさえいる。
宝瓶宮から、外着に着替えもせず裸足で下りてきたということか。
およそ几帳面なカミュの行動とも考えにくいが、眼前の事実から導き出される推論はそれしかない。
訝しく見あげる俺の視線の先で、カミュはぎゅっと手に力を込めた。
俺の肩を掴んだ手は、そのまま強く撫でるように腕を滑り落ちていく。
のろのろと爪の先まで手を這わせると、カミュは小さく息をついた。
「……よかった、いる」
「何が?」
「ミロが」
放心したように、カミュは寝台の端にすとんと腰を下ろした。
俯いた後姿は、心なしかいつもより儚く頼りない。
俺は訳もわからないまま、その華奢な背を眺めていた。
やがて、かけるべき言葉に迷いあぐねた結果の沈黙を救うように、背中越しにかすかな声がした。
「……夢を、みたんだ」
「どんな?」
「『ディープ・インパクト』と『デイ・アフター・トゥモロー』が一緒になったような夢」
カミュが口にしたのは映画か本のタイトルなのだとは思うが、それがどんな内容だったか、俺の記憶は定かではない。
「わかりやすく一言にまとめると?」
「この世界が終わる夢」
陰鬱な声が、ぽとりと落ちた。
重々しい静寂に支配されつつある空気を動かしたのは、やはりカミュだった。
長い髪をなびかせ勢いよく振り返ったカミュは、先ほどまでとは打って変わった強い瞳で俺を睨みつけていた。
苛烈に燃える紅い視線でまっすぐ俺を見据えたまま、再びカミュは腕を持ち上げた。
その意図を掴めないうちに、俺の顔に伸ばされた手が、思い切り頬をつねる。
「い、痛いんですけど……」
片頬をつねられたままささやかな抗議を試みる俺に、カミュはますます手に力を込めて冷たく答えた。
「もうすぐ世界が終わるというのに、おまえは私の傍にいなかった」
まだ寝惚けているのか、唐突に無茶な文句を言い出したカミュに、俺は呆れて苦笑するしかなかった。
夢の中に勝手に出演させられた俺がどんな行動をとろうと、現実世界の俺の責任ではないと思うんだが。
そう言い返そうとして、口をつぐんだ。
ようやく俺を苛む手を放したカミュは、あまりに哀しげな顔をしていたのだ。
「最期くらい、一緒にいて欲しかったのに」
抑えた想いが言葉になるのと連動したように、カミュの瞳が潤みだす。
あふれる涙がみるみる睫を濡らすのを、俺は呼吸も忘れてみつめた。
眦からこぼれた涙が月光に煌き、一層痛々しく見えるカミュから視線が外せなかったのだ。
一人の静けさを好むくせに、意に染まぬ孤独には耐えられない。
自分でも気づいていないようだが、カミュにはそういう一面があった。
慕っていた人物に去られた過去の記憶は、容易には消せない傷をカミュに残してしまったらしい。
こんなただの夢にも激しく動揺し、我を忘れてしまうほどに。
今のカミュは、幼い子供だ。
孤独の恐怖に怯える、臆病な子供。
ほんの少しでも、俺がその傷を癒す薬になれたらよいのだが。
「……ごめん」
俺は壊れ物を扱うように、そっとカミュを抱き寄せた。
いつもなら形ばかりの抵抗を示すカミュも、今夜は素直に身を預けてきた。
「ずっと傍にいるから」
「約束できるか」
「もちろん」
とんとんと幼子をあやすように軽く背を叩いてやると、震えていた身体が次第に落ち着きを取り戻す。
強張っていた身体から力が抜けるのを合図に、俺はカミュの顔をじっと覗き込んだ。
瞳に浮かぶ不安の翳が、俺に吸い取られるように次第に姿を消していく。
額にかかる前髪をかき上げ、誓約の証に口付けてやると、カミュはようやく微笑んだ。
「だから、安心してお休み」
眠りに誘う呪文を囁くと、カミュは小さくうなずき、俺の胸にちょこんと頭をつけた。
やがて静かな寝息が空気に混じりだすまで、俺は紅毛の眠り姫を優しく抱きしめてやっていた。
喧嘩の原因など、もうどうでもよくなっていた。
カミュが傍にいること。
ただそれだけが幸せなのだと、今更ながらに痛感する。
幸福なまでの充足感は、人の姿をして俺の腕の中に舞い降りてきたのだから。
突然のカミュの錯乱行動がもたらした安らぎに包まれつつ、俺は瞼を閉じた。
今度は、熟睡できそうだった。
夢うつつに人の気配を感じた。
もうすっかり身に馴染んでしまった人物の気配だった。
いつもならどちらかの宮で共寝となるのだから、彼が寝室にいても不思議ではない。
ただ、昨夜は些細なことで喧嘩をし、それぞれの宮で寝ることにしたはずだ。
いないはずの存在への違和感が、俺を眠りから呼び覚ます。
もっとも慣れない一人寝にベッドをやけに広く冷たく感じ、浅い眠りの波に揺られるしかなかったのだから、覚醒は早かった。
ぼんやりと瞼を持ち上げた先には、予想通りの光景。
窓越しに差し込む月明かりに照らされ異彩を放つ、真紅の髪の持ち主が傍に佇んでいた。
「どうした、カミュ」
ゆっくりと起き上がりながらかけた言葉に、答えはない。
無言のまま寝台に近づいたカミュは、そろそろと腕を持ち上げると、俺の肩に手を置いた。
その手の冷たさに、驚いた。
いつもひんやりと心地よいのがカミュの手なのだが、今の彼の体温は常よりもはるかに低い。
そう思ってよく見ると、不審な点は他にもあった。
身にまとっているのは薄い夜着だけだし、足元はかすかに土に汚れてさえいる。
宝瓶宮から、外着に着替えもせず裸足で下りてきたということか。
およそ几帳面なカミュの行動とも考えにくいが、眼前の事実から導き出される推論はそれしかない。
訝しく見あげる俺の視線の先で、カミュはぎゅっと手に力を込めた。
俺の肩を掴んだ手は、そのまま強く撫でるように腕を滑り落ちていく。
のろのろと爪の先まで手を這わせると、カミュは小さく息をついた。
「……よかった、いる」
「何が?」
「ミロが」
放心したように、カミュは寝台の端にすとんと腰を下ろした。
俯いた後姿は、心なしかいつもより儚く頼りない。
俺は訳もわからないまま、その華奢な背を眺めていた。
やがて、かけるべき言葉に迷いあぐねた結果の沈黙を救うように、背中越しにかすかな声がした。
「……夢を、みたんだ」
「どんな?」
「『ディープ・インパクト』と『デイ・アフター・トゥモロー』が一緒になったような夢」
カミュが口にしたのは映画か本のタイトルなのだとは思うが、それがどんな内容だったか、俺の記憶は定かではない。
「わかりやすく一言にまとめると?」
「この世界が終わる夢」
陰鬱な声が、ぽとりと落ちた。
重々しい静寂に支配されつつある空気を動かしたのは、やはりカミュだった。
長い髪をなびかせ勢いよく振り返ったカミュは、先ほどまでとは打って変わった強い瞳で俺を睨みつけていた。
苛烈に燃える紅い視線でまっすぐ俺を見据えたまま、再びカミュは腕を持ち上げた。
その意図を掴めないうちに、俺の顔に伸ばされた手が、思い切り頬をつねる。
「い、痛いんですけど……」
片頬をつねられたままささやかな抗議を試みる俺に、カミュはますます手に力を込めて冷たく答えた。
「もうすぐ世界が終わるというのに、おまえは私の傍にいなかった」
まだ寝惚けているのか、唐突に無茶な文句を言い出したカミュに、俺は呆れて苦笑するしかなかった。
夢の中に勝手に出演させられた俺がどんな行動をとろうと、現実世界の俺の責任ではないと思うんだが。
そう言い返そうとして、口をつぐんだ。
ようやく俺を苛む手を放したカミュは、あまりに哀しげな顔をしていたのだ。
「最期くらい、一緒にいて欲しかったのに」
抑えた想いが言葉になるのと連動したように、カミュの瞳が潤みだす。
あふれる涙がみるみる睫を濡らすのを、俺は呼吸も忘れてみつめた。
眦からこぼれた涙が月光に煌き、一層痛々しく見えるカミュから視線が外せなかったのだ。
一人の静けさを好むくせに、意に染まぬ孤独には耐えられない。
自分でも気づいていないようだが、カミュにはそういう一面があった。
慕っていた人物に去られた過去の記憶は、容易には消せない傷をカミュに残してしまったらしい。
こんなただの夢にも激しく動揺し、我を忘れてしまうほどに。
今のカミュは、幼い子供だ。
孤独の恐怖に怯える、臆病な子供。
ほんの少しでも、俺がその傷を癒す薬になれたらよいのだが。
「……ごめん」
俺は壊れ物を扱うように、そっとカミュを抱き寄せた。
いつもなら形ばかりの抵抗を示すカミュも、今夜は素直に身を預けてきた。
「ずっと傍にいるから」
「約束できるか」
「もちろん」
とんとんと幼子をあやすように軽く背を叩いてやると、震えていた身体が次第に落ち着きを取り戻す。
強張っていた身体から力が抜けるのを合図に、俺はカミュの顔をじっと覗き込んだ。
瞳に浮かぶ不安の翳が、俺に吸い取られるように次第に姿を消していく。
額にかかる前髪をかき上げ、誓約の証に口付けてやると、カミュはようやく微笑んだ。
「だから、安心してお休み」
眠りに誘う呪文を囁くと、カミュは小さくうなずき、俺の胸にちょこんと頭をつけた。
やがて静かな寝息が空気に混じりだすまで、俺は紅毛の眠り姫を優しく抱きしめてやっていた。
喧嘩の原因など、もうどうでもよくなっていた。
カミュが傍にいること。
ただそれだけが幸せなのだと、今更ながらに痛感する。
幸福なまでの充足感は、人の姿をして俺の腕の中に舞い降りてきたのだから。
突然のカミュの錯乱行動がもたらした安らぎに包まれつつ、俺は瞼を閉じた。
今度は、熟睡できそうだった。
このお話は、【みやこの部屋】のみやこさまに
相互リンク記念の交換作品として献上したものです。
カミュの泣き顔に癒されたいとのことでしたが、
癒し効果は…あると…いいな…(汗)。
そして!さらにみやこさんは素敵なイラストを描いてくださいましたv
もともと頂いたイラストのお礼に書いた小話だったことも忘れ、
また強奪してしまった私をお許しください…。
だって、嬉しかったんだもん!
相互リンク記念の交換作品として献上したものです。
カミュの泣き顔に癒されたいとのことでしたが、
癒し効果は…あると…いいな…(汗)。
そして!さらにみやこさんは素敵なイラストを描いてくださいましたv
もともと頂いたイラストのお礼に書いた小話だったことも忘れ、
また強奪してしまった私をお許しください…。
だって、嬉しかったんだもん!