無憂宮
 2003 ミロ誕


 カミュの手作りケーキに年齢分の蝋燭をたてるのは、誕生日の恒例行事だった。
 今年も、同じ。
 一本一本細心の注意を払いながら蝋燭をさしていくのが、今日の主役ミロであるのも変わらない。
 「……そろそろ、止めないか?」
 苦笑するカミュに、ミロは次の蝋燭の位置に迷いながらも視線を向けた。
 「何を?」
 「その蝋燭。ケーキもそんなに大きくないんだ。二十本もたてる余裕はないだろう」
 ミロは最後の蝋燭を思い切りよくさした。
 意外に器用なミロは、ケーキの上に規則正しく並ぶ綺麗な炎の華を咲かせるのに成功していた。
 「そんなことないさ。まだ横にもさせるし、あと何十年たったって大丈夫だ」
 全面蝋燭に包まれた針ねずみのようなケーキを思い浮かべたのだろう。
 カミュは無言で肩をすくめると、それ以上何も言おうとしなくなった。
 ミロは満足気に笑うと、さやかに揺らめく燈色の光越しにカミュを見た。
 真紅の髪と瞳が炎の明かりを受け、透き通るようなきらめきをみせる。
 ミロの好きな一瞬だった。
 ミロが誕生日の蝋燭に固執する理由の一つが自分にあるとは、まさかカミュも気づくまい。
 もちろん知ったが最後、ケーキを作ってもくれなくなるのは必至だったから、ミロにはそれを告げる気などさらさらなかった。
 「じゃ、一息に吹き消せ」
 「えっ、今つけたばっかなのに?」
 不満げなミロに、カミュはしかつめらしくうなずいた。
 「あまり長く火を灯しておくと蝋がたれる」
 いかにもカミュらしい現実的な台詞に、ミロははいはい、と両手を挙げ大げさに降伏してみせた。
 「で、誕生日の願い事はしたのか?」
 「もちろん」
 「何?」
 「内緒」
 言い終わると同時に、ミロはふうっとケーキの上に息を走らせた。
 が、次々と姿を消していく明かりの中に、一つだけ頑迷に抵抗する炎があった。
 カミュは残った一本の蝋燭とミロを交互に見た。
 少し困惑した様子だった。
 「一気に全部消さないと、願いは叶わないんだろう?」
 「うーん、じゃ、これはカミュが消してよ」
 訝しげなカミュに、ミロは悪戯っぽく片目をつぶってみせた。
 「俺の願いは、来年もカミュとこうして誕生日が過ごせますように、だから。おまえにも関係あるだろ」
 カミュは大きくため息をついた。
 ミロの強引な屁理屈で、幼い頃からカミュはいつもミロと行動を共にさせられていた。
 それでも、けっしてそれを嫌がっているわけではない証拠に、ため息のあとには嬉しさを無理に押し殺したような微苦笑が続くのだ。
 「おまえはささやかなようで随分贅沢な望みを持つのだな。私の都合も聞かないとは」
 「だめ?」
 「……まあ、善処しよう」
 予想通りの微苦笑を浮かべ、カミュは蝋燭を吹き消そうと口を尖らせた。
 まるで、口付けをねだるような唇。
 ミロは唇をぺろりと舐めた。
 すっと立ち上がると、ケーキ越しに上体をカミュに近づける。
 何、と上目遣いに問うてくるカミュに、ミロは熱っぽく囁いた。
 「まだ、お祝いしてもらってない」
 「誕生日おめでとう、ミロ」
 祝辞を述べても引き下がらないミロに、ようやくカミュはその意図を理解したらしい。
 わずかに頬が朱に染まる。
 「……おまえも、吹き消してやろうか」
 「やれるもんならやってみな」
 ミロはにっと口の端を持ち上げると、ゆっくりと顔を近づけた。
 たった一つ残った蝋燭は、唇を重ねる二人の姿を照らし出していた。


 「……今年は、ケーキ小さいんだ」
 ミロは昨年より一本多い蝋燭をケーキにさしながら呟いた。
 例年通りの風景。
 ケーキに蝋燭を灯して祝う誕生日。
 例年と異なるのは、場所が天蠍宮ではないこと。
 ケーキ越しにミロと差し向かうのが、冷たい墓石であること。
 「やっぱり、おまえが作ったケーキじゃないと、物足りないな」
 淡々と呟きながらも、手の動きは止まらない。
 瞬く間に蝋燭に炎が灯されていく。
 まだ新しい墓石が、揺らめく炎の光を受けぼんやりと薄紅に染まりだした。
 ミロはふっと微笑んだ。
 「去年は結局、あの一本消し忘れて蝋がたれたって、ぶつぶつ文句言われたもんな。じゃ、消すぞ」
 名残惜しげに灯火に照らされる墓石を一瞥すると、ミロは炎を吹き消した。
 消したはずだった。
 しかし、一旦は消えたはずの炎が一つ、すぐにまたその姿を現し蝋を溶かしていく。
 ミロは愕然として、ちろちろと再燃する炎をみつめた。
 ついで、自嘲的な笑みが浮かぶ。
 「あーあ、今年の願いも、叶わないのかな……」
 不覚にも目の端にじわりと涙があふれてきた。
 ミロは片手で目を覆い隠すと、抱えた膝に顔をうずめた。
 誕生日を共に過ごすこと。
 そんなささやかな希望が叶えられなかったのは、蝋燭が吹き消せなかったからではない。
 それは充分承知しているのだが、それでも何かのせいにしたくてたまらなかった。
 そうでもしなければ、カミュのいない誕生日など過ごせそうになかった。
 小さな子供のようにうずくまるミロの肩が、わずかに震えた。
 どのくらいそうしていただろう。
 俯くミロの背を、風が優しく撫でていった。長い金の髪がふわりと持ち上げられる。
 懐かしい感触。
 背を通り過ぎていく風は、落ち込んだミロを慰める優しい腕を思い出させた。
 ミロは慌てて涙を拭うと目を開けた。
 目の前には墓石と小さなケーキ。
 そして蝋燭からは、炎の名残の煙が一筋、青白くたなびいていた。
 ミロは再び冷たい色を取り戻した墓石と、炎の装飾を失ったケーキをじっとみつめた。
 蝋燭の炎を吹き消せば、願いは叶う。
 耳に馴染んだ声が、聞こえた気がした。
 口許がかすかにほころぶ。
 「サンキュ、カミュ。最っ高の誕生日プレゼントだ」
 ミロは声をたてて笑い出した。
 涙が出るほど、笑い続けていた。

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