2007 Christmas
隣で眠るミロの規則正しい寝息に合わせるように、カミュはゆったりとした呼吸を繰り返した。
深く息を吸って、深く吐く。
ミロが熟睡していることに間違いはなさそうだった。
そろそろ、頃合だろう。
カミュはミロを起こさないように気を遣いつつ、慎重にベッドから抜け出した。
暗い部屋の中、目一杯伸ばした腕で障害物の有無を確認しつつ、静かに扉を開けると居間へと向かう。
手探りで小さなテーブルランプを灯すと、急激な明度の変化に耐えかねたようで、闇に慣れ始めていた目に光が染みる。
両手で瞼を覆ってしばらく待ち、さらにおまけのように十数えてから手を外すと、視界は元通りになっていた。
満足げに微笑んだカミュは、戸棚の前に立つと扉を開けた。
踏み台代わりの椅子の上に爪先立ちになると、最上段を手探りで探す。
目当ての品を探し当てたカミュは、大切そうに小さな包みを抱えると、ぽんと飛び降りたくなる誘惑を退けつつ、片方ずつ着実に床に足を下ろした。
ついで、椅子を片付けがてらテーブルに向かったカミュは、そのちょうど真ん中辺りに先程探し出した包みを置いた。
いつもミロが座る席から見たときに一番見栄えがするように、微妙に置き方を変えては戻しを繰り返す。
綺麗に包装されたその品の中身は、先日事情を汲んだ隣人からもらった薔薇茶だ。
今日はクリスマス。
一年間いい子にしていたカミュたちの枕元にご褒美のプレゼントが置かれる日だった。
もっとも、それは昨年までの話だ。
もちろん二人がいい子にしていなかったから、ではない。
いつもサンタクロースになって贈り物を届けてくれていたサガやアイオロスが、相次いで聖域からいなくなってしまったせいだ。
カミュはとうにサンタの正体に気付いていたからそんな事態も予測できたが、無邪気にサンタの訪れを楽しみにしているミロは、明日目覚めたときに何もプレゼントがなかったらがっかりしてしまうことだろう。
いつも明るく周囲を元気付けてくれるミロの、落ち込んだ顔を見たくなかった。
だから、カミュは自分がサンタになることにしたのだ。
ミロが寝ている間にプレゼントを置き、また何事もなかったように自分も眠りにつく。
明日の朝になったら、二人でこの贈り物をみつけて、サンタがくれた、と、ミロと一緒に喜んでみせればいいのだ。
そんなささやかな嘘も、クリスマスなら許されるだろう。
ようやく最適なプレゼントの配置を決めたカミュは幸せそうに笑みを零すと、小さな欠伸をかみ殺した。
祝祭日に相応しい好天に恵まれたらしい。
差し込む朝日に起こされたカミュは、寝惚け眼を擦りつつミロを見遣った。
ところが、隣に眠っているはずの彼の姿はどこにもない。
触れたシーツのひんやりとした冷たさに、彼は随分前にベッドから消えてしまったことを知ったカミュは、慌ててベッドから飛び出した。
「あ、おはよう」
「……おはよう」
探すまでもなく、ミロは既に居間にいた。
クリスマスだとわくわくするあまり、のんびり眠ってなどいられなかったのだろう。
さあ、ミロは自分が用意したサンタの贈り物にどんな反応をみせてくれるのか。
ほころびそうになる口許を引き締めつつミロに近づいたカミュは、だが、数歩歩み寄ったところで足を止めた。
テーブルの上には、カミュが置いた薔薇茶がある。
だが、カミュが寝室に戻ったときには、卓上にはそれ以外何もなかったはずだ。
しかし……。
「これ、サンタからかな?」
にこにこと嬉しそうに笑ったミロは、テーブルの上を指差した。
そこには、薔薇茶だけでなく、艶やかなチョコレート色のカップケーキと少し大きめのマグカップがそれぞれ二つずつ置かれていたのだ。
「……あ、ええと……そう、かな?」
カミュは曖昧に頷きながらミロの傍まで足を進めた。
一体誰が、こんな贈り物をくれたというのだろう。
思い浮かぶのは、いつも穏やかな笑みを浮かべて二人の世話をしてくれていた、懐かしい人の面影だった。
そうだ、きっとサガだ。
「じゃ、早速これ食べようよ、カミュ」
今にもケーキにかぶりつきそうになりながら、ミロは目を輝かせてカミュを振り返った。
「うん……」
久しぶりのサガからの贈り物だと思うと、途端に食べるのが惜しくなった。
「やっぱり午後のお茶のときにしようよ。ゆっくり味わって食べたい」
「ダメだよ!」
血相を変えるミロに、カミュは驚いて目を見張った。
「そんなに時間たったら、中のチョコレートが固まっちゃうよ。今食べなきゃ……」
「……ミロ」
口を尖らせていたミロは、カミュに静かに名を呼ばれた瞬間、慌てたように両手で口を押さえた。
カミュは後悔をありありとうかがわせるミロの表情を観察するように、じっと視線を注いだ。
「なんで、そんなことがわかるの?」
「……なんでだろう?」
ミロは引きつった笑いを顔面に張り付かせた。
「ミロ?」
「いいから食べようよ、カミュ」
失言を風に飛ばしてしまいたいとでもいうように、ミロは顔の前で激しく手を振る。
その手を、すかさずカミュは掴んだ。
その指先に水疱ができているのを見逃さなかった。
「何、これ?」
「……なんだろう?」
「僕には火傷にみえるけど」
「奇遇だな。俺もそんな気がしてきた」
ミロの笑顔が、ますますぎこちないものになった。
指先に集めた小宇宙で、カミュはミロの火傷を冷やしてやった。
冷やし過ぎないように、と、治療には特段の注意を要したから、口数が少なくなったのは精神を集中したためで、決して怒っているというわけではない。
だが、ミロは都合よく誤解してくれたようだった。
「……だからこのケーキは、デスマスクに教わって、俺が今朝作ったんだよ」
オーブンなんか使ったことがないから勝手がわからなくて、火傷はそのときにうっかり負ったものだと、ミロは観念したように白状した。
どうやらカミュが思っていたほどには、ミロは無邪気な子供ではなかったらしく、カミュと同じ危惧を抱いたミロは、思案の挙句カミュと同じような行動を選んだのだ。
違いは、頼った年長者が、カミュはアフロディーテだったが、ミロはデスマスクだったということだけだ。
相手が眠っている間に贈り物を用意しておこうというところまで一緒となれば、お互いの思考過程の近似性に呆れる他はなかった。
「今朝、まだ暗い内に巨蟹宮行ってさ。鼻高々でケーキ焼いて戻ってきたら、お茶とカップがテーブルにあるだろ。カミュも同じことやってると思ったら、笑っちゃった……」
笑いながら事情を説明するミロの言葉の何かが、カミュの耳に引っかかった。
頭の中でミロの台詞を繰り返すと、違和感の正体はすぐにわかった。
「ミロ」
「何? そのうち本当のこと教えるつもりだったんだから、怒るなよ」
「そうじゃない」
頭を振ったカミュは、じっとミロを見た。
「このカップを用意したのは、僕じゃない」
目を見張るのは、ミロの番だった。
「え、カミュじゃないの? 俺はてっきり……」
空中でぶつかった二人の視線は、ゆっくりとテーブル上のマグカップに向けられた。
たくさんミルクが飲めそうな大ぶりのカップは、二人の手にはまだ少し余りそうだが、そのうち二人が大きくなればしっくり馴染むはずだった。
そんな自分たちの成長過程を楽しむ基準にすらなりそうな、この贈り物は誰からなのだろう。
「シュラ、とか?」
「シュラは今、南米に出向してるはずだよ」
自分たちにこんな粋な計らいをしてくれそうな年長者として思い浮かぶもう一人の人間は、すぐに候補から外された。
「……それじゃ、誰が……?」
ミロが呟いた問いの答えは、わかっていた。
だが、それを口にすることを贈り主はきっと喜ばないと、カミュは哀しいくらいに理解していた。
その名を出してもよいものなら、かつての保護者はそもそも自分たちの前から姿を消したりしないはずだった。
「そんなの、決まってる」
わずかに感じる胸の痛みを堪えつつ、カミュはにこりと微笑んだ。
答えを求め訝しげにカミュの顔を覗き込んでくるミロに向き直ると、その蒼い瞳をみつめ、ゆっくりと口を開く。
「サンタクロースだよ」
「……そっか」
カミュの言葉に緊張が解けたように、ミロは大きく息を吐いた。
ミロは、カミュの言葉に納得してはいないはずだった。
だが、問い詰めるべきでもない問題だと、直感的に悟ったのだろう。
大切なのは、その正体が誰か、ではない。
自分たちの幸せを願ってくれる存在がいるという、その事実なのだ。
「そっか、サンタか」
自分に言い聞かせるように繰り返したミロは、この話題は終わったと言わんばかりに晴れやかな笑みをカミュに向けた。
「カミュ、お茶淹れて。早速このケーキ食べよう」
「ああ。……と、その前に」
一旦言葉を切ったカミュはふわりと微笑んだ。
「メリークリスマス、ミロ」
祝辞を受けたミロも、極上の笑みを返してくれた。
「メリークリスマス、カミュ。それからサンタにも、メリークリスマス!」
「……メリークリスマス」
その後に続くべき人の名は胸に留め、カミュはテーブルの上からそっと薔薇茶を取り上げた。
祝祭日は、始まったばかりだった。
隣で眠るミロの規則正しい寝息に合わせるように、カミュはゆったりとした呼吸を繰り返した。
深く息を吸って、深く吐く。
ミロが熟睡していることに間違いはなさそうだった。
そろそろ、頃合だろう。
カミュはミロを起こさないように気を遣いつつ、慎重にベッドから抜け出した。
暗い部屋の中、目一杯伸ばした腕で障害物の有無を確認しつつ、静かに扉を開けると居間へと向かう。
手探りで小さなテーブルランプを灯すと、急激な明度の変化に耐えかねたようで、闇に慣れ始めていた目に光が染みる。
両手で瞼を覆ってしばらく待ち、さらにおまけのように十数えてから手を外すと、視界は元通りになっていた。
満足げに微笑んだカミュは、戸棚の前に立つと扉を開けた。
踏み台代わりの椅子の上に爪先立ちになると、最上段を手探りで探す。
目当ての品を探し当てたカミュは、大切そうに小さな包みを抱えると、ぽんと飛び降りたくなる誘惑を退けつつ、片方ずつ着実に床に足を下ろした。
ついで、椅子を片付けがてらテーブルに向かったカミュは、そのちょうど真ん中辺りに先程探し出した包みを置いた。
いつもミロが座る席から見たときに一番見栄えがするように、微妙に置き方を変えては戻しを繰り返す。
綺麗に包装されたその品の中身は、先日事情を汲んだ隣人からもらった薔薇茶だ。
今日はクリスマス。
一年間いい子にしていたカミュたちの枕元にご褒美のプレゼントが置かれる日だった。
もっとも、それは昨年までの話だ。
もちろん二人がいい子にしていなかったから、ではない。
いつもサンタクロースになって贈り物を届けてくれていたサガやアイオロスが、相次いで聖域からいなくなってしまったせいだ。
カミュはとうにサンタの正体に気付いていたからそんな事態も予測できたが、無邪気にサンタの訪れを楽しみにしているミロは、明日目覚めたときに何もプレゼントがなかったらがっかりしてしまうことだろう。
いつも明るく周囲を元気付けてくれるミロの、落ち込んだ顔を見たくなかった。
だから、カミュは自分がサンタになることにしたのだ。
ミロが寝ている間にプレゼントを置き、また何事もなかったように自分も眠りにつく。
明日の朝になったら、二人でこの贈り物をみつけて、サンタがくれた、と、ミロと一緒に喜んでみせればいいのだ。
そんなささやかな嘘も、クリスマスなら許されるだろう。
ようやく最適なプレゼントの配置を決めたカミュは幸せそうに笑みを零すと、小さな欠伸をかみ殺した。
祝祭日に相応しい好天に恵まれたらしい。
差し込む朝日に起こされたカミュは、寝惚け眼を擦りつつミロを見遣った。
ところが、隣に眠っているはずの彼の姿はどこにもない。
触れたシーツのひんやりとした冷たさに、彼は随分前にベッドから消えてしまったことを知ったカミュは、慌ててベッドから飛び出した。
「あ、おはよう」
「……おはよう」
探すまでもなく、ミロは既に居間にいた。
クリスマスだとわくわくするあまり、のんびり眠ってなどいられなかったのだろう。
さあ、ミロは自分が用意したサンタの贈り物にどんな反応をみせてくれるのか。
ほころびそうになる口許を引き締めつつミロに近づいたカミュは、だが、数歩歩み寄ったところで足を止めた。
テーブルの上には、カミュが置いた薔薇茶がある。
だが、カミュが寝室に戻ったときには、卓上にはそれ以外何もなかったはずだ。
しかし……。
「これ、サンタからかな?」
にこにこと嬉しそうに笑ったミロは、テーブルの上を指差した。
そこには、薔薇茶だけでなく、艶やかなチョコレート色のカップケーキと少し大きめのマグカップがそれぞれ二つずつ置かれていたのだ。
「……あ、ええと……そう、かな?」
カミュは曖昧に頷きながらミロの傍まで足を進めた。
一体誰が、こんな贈り物をくれたというのだろう。
思い浮かぶのは、いつも穏やかな笑みを浮かべて二人の世話をしてくれていた、懐かしい人の面影だった。
そうだ、きっとサガだ。
「じゃ、早速これ食べようよ、カミュ」
今にもケーキにかぶりつきそうになりながら、ミロは目を輝かせてカミュを振り返った。
「うん……」
久しぶりのサガからの贈り物だと思うと、途端に食べるのが惜しくなった。
「やっぱり午後のお茶のときにしようよ。ゆっくり味わって食べたい」
「ダメだよ!」
血相を変えるミロに、カミュは驚いて目を見張った。
「そんなに時間たったら、中のチョコレートが固まっちゃうよ。今食べなきゃ……」
「……ミロ」
口を尖らせていたミロは、カミュに静かに名を呼ばれた瞬間、慌てたように両手で口を押さえた。
カミュは後悔をありありとうかがわせるミロの表情を観察するように、じっと視線を注いだ。
「なんで、そんなことがわかるの?」
「……なんでだろう?」
ミロは引きつった笑いを顔面に張り付かせた。
「ミロ?」
「いいから食べようよ、カミュ」
失言を風に飛ばしてしまいたいとでもいうように、ミロは顔の前で激しく手を振る。
その手を、すかさずカミュは掴んだ。
その指先に水疱ができているのを見逃さなかった。
「何、これ?」
「……なんだろう?」
「僕には火傷にみえるけど」
「奇遇だな。俺もそんな気がしてきた」
ミロの笑顔が、ますますぎこちないものになった。
指先に集めた小宇宙で、カミュはミロの火傷を冷やしてやった。
冷やし過ぎないように、と、治療には特段の注意を要したから、口数が少なくなったのは精神を集中したためで、決して怒っているというわけではない。
だが、ミロは都合よく誤解してくれたようだった。
「……だからこのケーキは、デスマスクに教わって、俺が今朝作ったんだよ」
オーブンなんか使ったことがないから勝手がわからなくて、火傷はそのときにうっかり負ったものだと、ミロは観念したように白状した。
どうやらカミュが思っていたほどには、ミロは無邪気な子供ではなかったらしく、カミュと同じ危惧を抱いたミロは、思案の挙句カミュと同じような行動を選んだのだ。
違いは、頼った年長者が、カミュはアフロディーテだったが、ミロはデスマスクだったということだけだ。
相手が眠っている間に贈り物を用意しておこうというところまで一緒となれば、お互いの思考過程の近似性に呆れる他はなかった。
「今朝、まだ暗い内に巨蟹宮行ってさ。鼻高々でケーキ焼いて戻ってきたら、お茶とカップがテーブルにあるだろ。カミュも同じことやってると思ったら、笑っちゃった……」
笑いながら事情を説明するミロの言葉の何かが、カミュの耳に引っかかった。
頭の中でミロの台詞を繰り返すと、違和感の正体はすぐにわかった。
「ミロ」
「何? そのうち本当のこと教えるつもりだったんだから、怒るなよ」
「そうじゃない」
頭を振ったカミュは、じっとミロを見た。
「このカップを用意したのは、僕じゃない」
目を見張るのは、ミロの番だった。
「え、カミュじゃないの? 俺はてっきり……」
空中でぶつかった二人の視線は、ゆっくりとテーブル上のマグカップに向けられた。
たくさんミルクが飲めそうな大ぶりのカップは、二人の手にはまだ少し余りそうだが、そのうち二人が大きくなればしっくり馴染むはずだった。
そんな自分たちの成長過程を楽しむ基準にすらなりそうな、この贈り物は誰からなのだろう。
「シュラ、とか?」
「シュラは今、南米に出向してるはずだよ」
自分たちにこんな粋な計らいをしてくれそうな年長者として思い浮かぶもう一人の人間は、すぐに候補から外された。
「……それじゃ、誰が……?」
ミロが呟いた問いの答えは、わかっていた。
だが、それを口にすることを贈り主はきっと喜ばないと、カミュは哀しいくらいに理解していた。
その名を出してもよいものなら、かつての保護者はそもそも自分たちの前から姿を消したりしないはずだった。
「そんなの、決まってる」
わずかに感じる胸の痛みを堪えつつ、カミュはにこりと微笑んだ。
答えを求め訝しげにカミュの顔を覗き込んでくるミロに向き直ると、その蒼い瞳をみつめ、ゆっくりと口を開く。
「サンタクロースだよ」
「……そっか」
カミュの言葉に緊張が解けたように、ミロは大きく息を吐いた。
ミロは、カミュの言葉に納得してはいないはずだった。
だが、問い詰めるべきでもない問題だと、直感的に悟ったのだろう。
大切なのは、その正体が誰か、ではない。
自分たちの幸せを願ってくれる存在がいるという、その事実なのだ。
「そっか、サンタか」
自分に言い聞かせるように繰り返したミロは、この話題は終わったと言わんばかりに晴れやかな笑みをカミュに向けた。
「カミュ、お茶淹れて。早速このケーキ食べよう」
「ああ。……と、その前に」
一旦言葉を切ったカミュはふわりと微笑んだ。
「メリークリスマス、ミロ」
祝辞を受けたミロも、極上の笑みを返してくれた。
「メリークリスマス、カミュ。それからサンタにも、メリークリスマス!」
「……メリークリスマス」
その後に続くべき人の名は胸に留め、カミュはテーブルの上からそっと薔薇茶を取り上げた。
祝祭日は、始まったばかりだった。