無憂宮
2008 Christmas


 自分が得意とする分野ならともかく、明らかに他人の方が事情に通じているような場合、ミロは潔く人を頼る。
 それは無駄な労力を費やすことを厭うミロの合理的思考によるものだったが、生来の気さくで人懐こい性格のおかげで、相手方に疎まれることもなく喜んで力を貸してもらえることが常だった。
 しかし、相談相手が悪かったのか、尋ねた内容がよくなかったのか、もしくはその両方のせいなのか、今回ばかりは少々様子が違ったらしい。
 屈託なく質問をぶつけられたアフロディーテは、眉をひそめたままたっぷり十秒はミロを凝視した。
 「……冗談でしょ?」
 「え、めちゃくちゃ本気だけど?」
 意外そうに瞳を見張るミロに、アフロディーテは呆れたと言わんばかりに首を振った。
 「ありえない。クリスマスなんだよ?」
 「そう。だから何が欲しいって、カミュに聞いたんだよ」
 ミロの問いかけに、少し考える素振りを見せた後、カミュは「薪」と呟いた。
 知識欲は旺盛なカミュも物欲はそれほどないらしく、有形の、ミロがあげられるような物を欲しがるということは滅多にない。
 それでも贈り物をすれば喜んでくれるので、その嬉しそうな顔見たさに、ミロは誕生日だとか何だとか適当な口実を作ってはカミュに希望を聞いていた。
 とはいえ、大抵の場合は、「気持ちだけもらっておく」と聞いた甲斐もなくやんわりと流されるのだが、珍しく今回はそのカミュが具体的な要望を告げたのだ。
 折角なのだから求めうる最上の品を贈りたいとミロが張り切るのも、むべなるかなと言うべきだろう。
 山のように積まれた薪にきらきらと瞳を輝かせるカミュの姿が早くも脳裏に浮かんでいるのか、ミロは満面の笑みで続けた。
 「で、どんな木がいいのか、おまえに聞こうと思って。アフロディーテ、寒いとこ出身だろ? そういうのも知ってそうじゃん」
 「うん、そうだよ、確かに知ってるよ、そうだけどね」
 アフロディーテは頭痛を堪えでもするかのように額に手を当てた。
 「ねえ、ミロ。本当にカミュに薪なんかあげるつもりかい?」
 「ああ、リクエストだしな」
 珍しくカミュにねだってもらえたのが嬉しくてたまらないようで、ミロは胸を張って答える。
 誇らしげなミロをみつめたアフロディーテは、ひとつ大きく息を吐いた。
 「……あげてみなよ。きっと引かれるから」
 「え?」
 「賭けてもいいけど、クリスマスにそんなのもらったら、百年の恋も冷めるね」
 ミロは不思議そうに小首を傾げた。
 「なんで? だって、カミュが……」
 「それ、文字通り薪っていう意味じゃないと思うよ」
 顔中に疑問符を貼り付けたミロに、アフロディーテはもう一度溜息をつきつつ、それでも根気よく続けた。
 「ブッシュ・ド・ノエルって、知ってる?」
 クリスマスの薪という名で知られるこの菓子は、まさにその名の通り薪を模した形をしている。
 幼い弟子と生活を共にしているカミュが、自分の子供の頃の聖夜の情景を思い出し、生国のクリスマスケーキが懐かしくなったとしても不思議はないだろう。
 「……と、私は思うけどね」
 アフロディーテが筋道だった推論を展開するにつれ、訝しげだったミロの瞳が光を帯び始めた。
 「それだ、きっと!」
 ミロは勢いよく立ち上がった。
 「すごいな、アフロディーテ。やっぱり、おまえに聞いてよかった。ありがとな!」
 「あ、ミロ!」
 善は急げとばかりに、早速調達に行って来ると駆け出そうとしたミロを、アフロディーテは慌てて呼び止めた。
 急な制止に前のめりになりながらも、何とか転ばずに留まったミロは、気ぜわしげに振り返った。
 「何?」
 「オススメの店は、デスマスクに尋ねるといい。あいつはそういうことに詳しい。それから……」
 アフロディーテはその名の由来となった女神もかくやと嫣然と微笑んだ。
 「カミュに伝えておいてくれ。私からも、メリークリスマスと」
 一瞬かるく目を見張った後、にっと口の端を吊り上げたミロは大きく頷いた。
 「わかった!」
 「それから、ミロ、君はもう少し落ち着いた方がいい……と、聞いてない、な」
 長い金髪を揺らしたミロの後姿は、既に双魚宮を飛び出しはるか彼方に消えていた。
 アフロディーテは苦笑を浮かべた。
 「全く、相変わらずにぎやかなことだ」
 しかし、きっとこの騒がしい客の訪れを、降り積もる雪が全ての音を吸い込んでしまうような静寂に包まれた彼の地で、カミュは首を長くして待っていることだろう。
 そう思うと、世話の焼ける後輩たちの久々の再会が楽しいものになるように願わないではいられなかった。


 意気揚々と差し出したプレゼントに、カミュは少し驚いたようだった。
 ミロと、手にした贈り物の箱を何度か見比べ、ようやく事態を把握したのか、口許に淡く笑みを刷く。
 「あ、ああ、ありがとう、ミロ」
 期待していた程には芳しくない反応だ。
 「あれ……?」
 訝しがるミロを尻目に、カミュは興味津々といった様子でみつめる弟子たちに声をかけた。
 「早速頂こうか。アイザック、氷河、お茶にしよう。ミロがケーキを持ってきてくれたのだ」
 歓声を上げ駆け寄ってきた弟子たちは、大事そうにカミュからケーキの箱を受け取った。
 カミュに促されて一応礼は言うものの、既に箱の中のケーキに夢中になってしまったらしく、それ以上来客には見向きもしない。
 いつものミロならからかい混じりに子供たちの非礼を咎めてみたりもするのだが、そうして彼らの関心が自分たちからそれているのは、今ばかりは幸運だとしか思えなかった。
 「カミュ、とりあえず部屋に荷物置かせてくれ」
 嬉々として茶の支度に取りかかるアイザックと氷河を横目で見ながら、ミロは先に立って部屋へ向かった。
 一応客ということで、カミュがミロの支度を手伝おうと着いてくるのはわかっていた。
 カミュが扉を閉める音を背中で聞いたミロは振り返った。
 「なあ、もしかして、貢物お気に召さなかった?」
 今の自分はひどく情けない顔をしていることぐらい、わかっていた。
 だが、てっきり喜んでくれるはずだと確信していただけに、カミュの鈍い反応には落胆を隠せない。
 見るからにしょぼくれたミロに、申し訳なさそうにカミュは微笑んだ。
 「いや、すまない。そうではない。ただ、予想外だったので驚いただけだ」
 「予想外って……。え、だって、あれ、おまえの希望だろ?」
 困惑を露にするミロに、カミュは少し困ったように眉根を寄せた。
 「いや、私は暖炉にくべる薪が欲しかったのだが……」
 ぽかんと口を半開きにしたまま、ミロはじっとカミュをみつめた。
 「……嘘」
 「嘘をついてどうする」
 「うわ……」
 一気に脱力感が足元から這い上がってくる。
 思わず床にしゃがみこんだミロは頭を抱えた。
 些細な誤解に過ぎないことは充分理解している。
 珍しくカミュが欲しがった物なのに、それは滅多にないことだというのに、勝手に深読みしたミロはその希望を叶えてやることができなかったのだ。
 そう思うと、つくづく取り返しのつかないことをしてしまったようで、じわじわと胸苦しくなってきた。
 「ミロ」
 そうしてミロが落ち込む姿があまりに大仰で痛々しかったからだろうか。
 声に労るような響きを込めて名を呼んだカミュは、ミロのすぐ傍に膝をついた。
 「そういう訳なので、悪いが、薪を持って来月もう一度来てはくれないだろうか」
 「……え?」
 俯いていた頭を上げると、カミュは悪戯っぽく笑っていた。
 「実は、氷河の育ってきた環境では、クリスマスは来月らしくてな」
 ロシア正教の母に育てられた氷河にとっては、十二月にクリスマスを祝うという西欧の習慣は非常に驚きだったらしい。
 「……だから、家では来月もクリスマスを祝うことにしたのだ。よかったらミロにも来てほしいのだが」
 そう言ってにこりと笑ったカミュは、ついで照れたように微笑んだ。
 「本当は、いつでも自由に来てくれ……と言いたいところなのだが、寒がりのおまえが来ると、どうしても薪の消費量が増えるのでな。備蓄がなくなってしまいそうなのだ」
 少し早口で告げられたその台詞を、ミロは口の中で復唱した。
 これは、先ほどとは違い、深読みしてもいい言葉なのだろうか。
 迷う。
 だが、たとえ違ったところで、今回は失うものなど何もないのだ。
 ミロはぺろりと舌を出して乾いた唇を舐めた。
 「……じゃあ、さ、カミュ。薪さえ持って来たら、俺、いつでも来ていいのか?」
 「そう聞こえなかったか?」
 「いや、そう聞こえたけど」
 「なら、そういうことだ」
 カミュは生真面目な表情で頷いた。
 「じゃ、もう一つ聞くけど……」
 問いに答えたカミュの言葉はミロをとても嬉しがらせる意味合いを含んでいることに、気付いてしまった。
 だから、次の問いかけは、質問というよりも確認だ。
 ミロは込み上げてくる笑いを堪えながら、懸命に鹿爪らしい顔を作った。
 「もしかして、おまえがクリスマスに欲しかったのって、本当は薪じゃなくて……」
 「ただ」
 皆まで言うことはできなかった。
 わずかに目を眇めたカミュは、彼には珍しく中途でミロの言を遮った。
 「ただ、生憎と私は買い物に行く時間がなくてな。おまえに返せる物と言えば、食事と……」
 しばらく考えるように視線をさまよわせたカミュは、やがて妙案を思いついたのか、得意気に微笑んだ。
 「……せいぜいこのくらいだ」
 「このくらい?」
 ミロが指示代名詞の意味を図りあぐねている間に、音もなくカミュの顔が近づいてきた。
 驚く隙も与えてもらえなかった。
 しかし、ほんの一瞬、千分の一秒にも満たないような短い間だったが、確かにミロの唇に触れたぬくもりがあったのだ。
 柔らかいその正体が何か、理解するのに少しばかり時間がかかった。
 ようやく思考が追いついてきたときには、既にカミュは何事もなかったかのようにミロから離れていた。
 ぼんやりと目を見開いたまま時が止まった様に呆けるミロの視線から逃れるように、カミュはするりと立ち上がる。
 「……早く来い。子供たちがケーキを食べたくてうずうずしているはずだ」
 「……ああ、わかった」
 口ではそう言いながらも、何故かミロは立ち上がれなかった。
 ケーキを前に待ちかねた弟子たちの呼び声に、カミュが部屋から出て行く気配がして、ようやくミロはそろそろと手を動かした。
 口許まで持っていった指が、消えつつあるぬくもりを留めようとするようにそっと唇を押さえる。
 「……あの野郎」
 唇に指で触れたまま呟いてみる。
 指の腹の感覚は鋭敏で、声を発する際のわずかな口の動きと吐息を如実に伝えてきた。
 ミロは小さく笑った。
 「これじゃ、ケーキの甘さなんて、わかるかよ」
 毒づいてはみたものの、締まりなくにやける表情では説得力に欠ける。
 そうはわかっていたが、頬の筋肉はミロの支配下から逃げ出してしまったらしく、どうにも緩んでしまい抑えられない。
 折角持参した銘店のケーキも、もうしばらくおあずけにせざるをえないようだったが、それでもちっとも構わなかった。

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