2009 Christmas
サンタクロースなど本当はいないのだと、そう知ってしまったのは七歳のときだった。
毎年眠っている間に枕元にプレゼントを置いていってくれたサンタが、その年を境にぱったりと来なくなってしまったのだ。
もちろん、俺がサンタに見捨てられるような悪い子供だったから、ではない。
サガが失踪しアイオロスが乱心したその年以降、俺たちを普通の子供として気にかけてくれる年長者がいなくなった、ただそれだけのことだ。
もっとも、そう理解するのはもうしばらく先のことで、サンタの来ないクリスマスを初めて経験した俺は、ひどく落ち込むばかりだった。
迷子になったサンタクロースを迎えにいこうと聖域の門の辺りでじっと待ってみたり、ねだった物が悪かったんだろうかと、プレゼントの第二、第三候補を考えてみたり、とにかく必死だったのだ。
今思い返してみると、周囲の誰も真実を教えてくれなかった理由がよくわかる。
ずっと俺と行動を共にしてくれていたカミュも、「きっとサンタクロースは日付を間違えたのだろう」などと言って励ましてくれていたが、内心では一体どうしたら俺がサンタを諦めてくれるのか、ずっと考え続けていたに違いない。
そうして一生懸命に考えた結果、カミュは一日遅れのクリスマスプレゼントを夜中こっそりと俺の枕元に忍ばせたのだ。
夢うつつに部屋に入ってくる赤い色を見た気がしたから、てっきりサンタが来てくれたんだと思ったのだが、朝になって俺がみつけたのは、お願いしたのとは全く違う、本とノートという実用的なプレゼントだった。
驚きと落胆と混乱に交互に襲われ、しばらくたってようやく昨晩の赤い人はカミュだったんだと気づいたが、眠そうに欠伸を噛み殺しながら「サンタが来たのか、よかったな」と笑う偽サンタを見たら、何も言えなくなってしまった。
あのときもらったプレゼントは決して願っていた物ではなかったが、使うのがもったいない気がして大事に仕舞い込んだから、今もどこかにあるはずだ。
そのカミュは、今年も偽サンタになり、もらってもあまり子供が喜びそうもないプレゼントを、張り切って弟子たちに贈るつもりなんだろう。
もしもシベリアに来るつもりがあるのならクリスマスは止めて正月にしろと、わざわざ時期を指定してくるぐらいなのだ。
きっと昨晩、シベリアでは子供たちのために偽サンタが暗躍したのだろう。
大人になりサンタの訪問リストから外されてしまったことを少し寂しく思いながら、俺はベッドの中でぐずぐずと惰眠を貪っていた。
寂しいクリスマスをどう過ごそうかと思うと、早く起きる気にもなれない。
クリスマスとは名ばかり、きっと今日も聖域に残る暇そうな連中を集めてうだうだと騒ぐばかりの、いつものような代わり映えしない一日になるのだろう。
それはそれで楽しいが、やはりクリスマスには一番大切な人と過ごしたい。
まあ、願ったところで、その俺が大切に思う奴には他にもっと大事にしている連中がいるようだから、仕方がないのだが。
そんなことを思いながら、もう一眠りしようかと俺は寝返りを打った。
途端に、一気に目が覚めた。
目を見開きまじまじと見たが、間違いない。
ベッドの中には、サンタクロースがいたのだ。
気持ちよさそうに寝息を立てる突然の訪問者の寝顔をしばらくみつめた後、俺はそっと毛布をめくってみた。
十二月になると街のあちこちに出没する赤い衣装は、やはりサンタクロースのそれだ。
ただ、少々世間のイメージとは異なることに、このサンタは髪まで紅い。
しかも、白い髭をたくわえた老人などではなく、随分と綺麗な顔をした若者だ。
少し迷った後、俺はそっとサンタの紅い髪を引っ張った。
「メリークリスマス、サンタクロース」
呼びかけてみると、サンタはわずかに眉をしかめた。
「……ああ」
「ああ、じゃなくて、起きろ、カミュ」
「眠いのだ。もう少し寝させてくれ、ミロ……」
「質問に答えたら、な」
カミュは渋々という感じで瞼を半分だけ持ち上げた。
とろんとした瞳は、今すぐにでも眠りの国に戻ってしまいそうだ。
とにかく、カミュの意識があるうちに聞きたいことだけ聞き出してしまおう。
俺は早口で質問をぶつけた。
「おまえ、なんでここにいるんだよ」
「すぐにでも寝たかったのだ。宝瓶宮まで行くより、こちらの方が近いからな」
「そうじゃなくて!」
シベリアで子供たちとクリスマスを過ごしているはずじゃないのかとか、なんでそんなふざけた格好をしているんだとか、聞きたいことはたくさんある。
ありすぎて何から聞いていいのかわからなくなった俺の目の前で、カミュは小さく欠伸をした。
「昨夜、子供たちが眠っている間にプレゼントを置いておこうとしたのだがな……」
ひどく眠そうなカミュの、いつも理路整然とした彼らしくもない下手くそな説明によると、こうだ。
好奇心の強い子供たちは、サンタが来るまで起きているといって、昨夜はなかなか眠らなかったのだという。
一人がようやく眠ったかと思えば、もう一人がぱっちりと目を覚ますといった具合で、彼らはサンタの訪問を心待ちにしていたらしいが、カミュにとってはそれは大きな誤算だった。
妙なところで完璧主義のカミュらしく、念には念を入れ服装まで本格的なサンタになったとはいえ、さすがにそんなに気合いを入れて待機されたとあっては、サンタクロースの正体が誰かすぐにわかってしまう。
そこで、カミュは彼らが眠りにつくまでプレゼントを渡すのを待ったのだ。
待って待って待ち続けた結果、とうとう一睡もしないまま明け方近くになってしまった、という訳だ。
「……クリスマスだから特別に昼頃まで眠っていてもいいと、昨夜言っておいたのでな。子供たちはまだ寝ている。私はその間に買い物に行くつもりだったのだが……」
「あまりに眠くて挫折した、と?」
「察しがいいな」
小さな欠伸と共に、嬉しくもない褒め言葉をもらう。
俺は片頬をわずかにひきつらせた。
「ついでにもっと鋭いところをみせてやろうか。おまえがここに来たのは、その買い物とやらを俺に押しつけるつもりだってことだろ」
「素晴らしい洞察力だ。さすがだな、ミロ」
カミュはどうやら褒めておだてて生徒を伸ばす教育法に目覚めたらしい。
それは幼い子供には有益かもしれないが、長年の付き合いで互いに長所も短所も自分のこと以上にわかっている俺たちには、果たして効果はあるのだろうか。
カミュはもう一度欠伸をすると、枕に突っ伏してしまった。
「買ってきてもらいたい物は、リストにしてそこに置いておいた。頼んだぞ」
「……金は?」
「立て替えておいてくれ。戻ったら返す」
「利息いっぱい付けてやるから、覚えとけ」
「わかった」
片足を夢の国に引きずり込まれているような人間相手に、これ以上会話を続けるのは無駄だろう。
利息は絶対に金以外の方法で払わせてやろうと密かに決意しつつ、俺はベッドから降りた。
俺がいなくなった分広々と眠れるようになったせいか、カミュは心地よさそうにふわりと微笑んだ。
「……クリスマスを楽しみにしている子供たちを見たら、昔のおまえを思い出してな」
半ば夢を見ているのかもしれない。
それも、最高級に幸せな夢を。
あどけないと表してもいいくらい無邪気な笑みを浮かべつつ、カミュは寝言のように呟いた。
「おまえに会いたくなって……」
舌足らずな口調で、最後までしっかり言い切ることもできない。
普段のように頭で考えた文章を発しているのではなく、心を過ぎった感情を、そのまま表に出しているんだろう。
恐らくは、本心だ。
いつものような理論武装など何ひとつ施していない、素直なカミュの想いだ。
「カミュ……」
思わぬ不意打ちにどきりとしながら、俺はカミュをみつめた。
返事はなかった。
規則正しい穏やかな寝息は、彼が完全に深い眠りに落ちていること告げていた。
大きく息を吐き、俺はつい止めてしまっていた呼吸を再開した。
「……狡いな、全く」
わかってやっていたら極悪非道だと思うが、カミュは時折こうしてふっと隙をみせることがある。
余りに無防備な、クールさの欠片もないその蕩けるような一瞬を目にしてしまったら、どうして逆らうことができるだろう。
実際、その一番の犠牲者となっている俺は、素直にカミュの言っていた買い物リストを探していた。
カミュが指さしていたテーブルの上には、見慣れない手帳があった。
俺は手帳なんか持っていないから、カミュの物に違いない。
本当は来年から使うつもりだったのか、まだ真新しいその革の手帳を手に取ると、メモらしきものが挟み込まれているのに気づいた。
そのメモに几帳面な字で記されていたのは、パーティーの準備とおぼしき食材の数々だ。
招かれてもいない御馳走の買い出しをさせられる我が身の不幸を呪いつつ、ざっとリストに目を走らせる。
育ち盛りの子供が二人もいるから、だろうか。
三人分には随分と分量が多い気がする。
どんなにか盛大なパーティーになることだろうと、半ばやっかみながら見ていた俺は、やがてふとあることに気づいた。
分量で表示されている項目はよくわからないが、それ以外は四、もしくはその倍数で数量を指示しているものが多いのだ。
おまけにリストの最後には、ワインを赤白二本ずつとの指定がある。
いくらカミュが酒豪でも、一人でこんなに空ける訳がない。
そうだ。
そういえば、さっきカミュは立替金を「戻ったら返す」と言っていた。
返してもらうためには、俺も一緒にシベリアに戻る必要があるんじゃないだろうか。
俺はすやすやと眠るカミュを見た。
どうやら、この寝ぼすけサンタは、荷物を運ぶトナカイ代わりに俺を連れて帰るつもりなのだ。
「……報酬はたっぷりもらうぞ、カミュ」
おかげで楽しいクリスマスを過ごせそうなこと自体が何よりの報酬なのかもしれないが、素直に喜ぶのが何となく悔しくなって、俺は眠るカミュにびしっと指を突きつけ、一方的にそう宣告した。
後日。
シベリアでの楽しいクリスマス休暇を過ごし帰ってきた俺は、テーブルの上に置かれたままの手帳に気づいた。
忘れ物を届けに、またシベリアに来いということだろうか。
しかし、さすがに今さっき盛大に見送られたばかりとあっては、それも少々気まずい。
年始はカミュも聖域に帰ってくるだろうから、それまで預かっていることにしようと勝手に決め、それでも不都合はないかと俺は一応中を改めてみた。
ぱらぱらとページをめくっていた指が、止まる。
まだ新しく何も書いていない手帳に、一カ所だけ記入があったのだ。
来年用の手帳におまけのようについている今月分の予定ページの、日付は二十五日。
記されていたのは、『Merry Christmas』の一言だった。
思わず目を見張った俺は、くすりと笑った。
「……やっぱり希望してないプレゼントをくれるんだな、あのサンタ」
万事いい加減な俺に、きっとこれでスケジュールを管理しろということなのだろう。
とはいえ、手帳なんか使ったことのない俺には、その上手な活用法は今一つわからない。
仕方がないので、とりあえず今日のところに「シベリア」と書いてみた。
空白ばかりのページに突然現れたその文字は、奇妙に存在感を放っているようで、みつめているうちになんだか愉快な気分になってきた。
よし、決めた。
来年は、こうしてカミュとの日々を、この手帳に書いていこう。
どこに行ったとか、何をしたとか、些細なことも全て書き残しておこう。
幼い頃からずっと傍にいたのだ。
その半身のような存在が遠く離れていない寂しさを、次第にカミュのことで埋まっていくこの手帳は、いくらか癒してくれるかもしれない。
いや、もしかしたら、カミュも今までそうしていて、だからこそ俺に同じ救済を与えたくて、この手帳をくれたのだろうか。
カミュは、今まで一体何を書いていたんだろう。
俺は、これから何を書くことができるんだろう。
現金なもので、そう考えたら、全く使い道がないと思われた贈り物が、とても良いものに思えてきた。
サンタクロースなど本当はいないのだと、そう知ってしまったのは七歳のときだった。
毎年眠っている間に枕元にプレゼントを置いていってくれたサンタが、その年を境にぱったりと来なくなってしまったのだ。
もちろん、俺がサンタに見捨てられるような悪い子供だったから、ではない。
サガが失踪しアイオロスが乱心したその年以降、俺たちを普通の子供として気にかけてくれる年長者がいなくなった、ただそれだけのことだ。
もっとも、そう理解するのはもうしばらく先のことで、サンタの来ないクリスマスを初めて経験した俺は、ひどく落ち込むばかりだった。
迷子になったサンタクロースを迎えにいこうと聖域の門の辺りでじっと待ってみたり、ねだった物が悪かったんだろうかと、プレゼントの第二、第三候補を考えてみたり、とにかく必死だったのだ。
今思い返してみると、周囲の誰も真実を教えてくれなかった理由がよくわかる。
ずっと俺と行動を共にしてくれていたカミュも、「きっとサンタクロースは日付を間違えたのだろう」などと言って励ましてくれていたが、内心では一体どうしたら俺がサンタを諦めてくれるのか、ずっと考え続けていたに違いない。
そうして一生懸命に考えた結果、カミュは一日遅れのクリスマスプレゼントを夜中こっそりと俺の枕元に忍ばせたのだ。
夢うつつに部屋に入ってくる赤い色を見た気がしたから、てっきりサンタが来てくれたんだと思ったのだが、朝になって俺がみつけたのは、お願いしたのとは全く違う、本とノートという実用的なプレゼントだった。
驚きと落胆と混乱に交互に襲われ、しばらくたってようやく昨晩の赤い人はカミュだったんだと気づいたが、眠そうに欠伸を噛み殺しながら「サンタが来たのか、よかったな」と笑う偽サンタを見たら、何も言えなくなってしまった。
あのときもらったプレゼントは決して願っていた物ではなかったが、使うのがもったいない気がして大事に仕舞い込んだから、今もどこかにあるはずだ。
そのカミュは、今年も偽サンタになり、もらってもあまり子供が喜びそうもないプレゼントを、張り切って弟子たちに贈るつもりなんだろう。
もしもシベリアに来るつもりがあるのならクリスマスは止めて正月にしろと、わざわざ時期を指定してくるぐらいなのだ。
きっと昨晩、シベリアでは子供たちのために偽サンタが暗躍したのだろう。
大人になりサンタの訪問リストから外されてしまったことを少し寂しく思いながら、俺はベッドの中でぐずぐずと惰眠を貪っていた。
寂しいクリスマスをどう過ごそうかと思うと、早く起きる気にもなれない。
クリスマスとは名ばかり、きっと今日も聖域に残る暇そうな連中を集めてうだうだと騒ぐばかりの、いつものような代わり映えしない一日になるのだろう。
それはそれで楽しいが、やはりクリスマスには一番大切な人と過ごしたい。
まあ、願ったところで、その俺が大切に思う奴には他にもっと大事にしている連中がいるようだから、仕方がないのだが。
そんなことを思いながら、もう一眠りしようかと俺は寝返りを打った。
途端に、一気に目が覚めた。
目を見開きまじまじと見たが、間違いない。
ベッドの中には、サンタクロースがいたのだ。
気持ちよさそうに寝息を立てる突然の訪問者の寝顔をしばらくみつめた後、俺はそっと毛布をめくってみた。
十二月になると街のあちこちに出没する赤い衣装は、やはりサンタクロースのそれだ。
ただ、少々世間のイメージとは異なることに、このサンタは髪まで紅い。
しかも、白い髭をたくわえた老人などではなく、随分と綺麗な顔をした若者だ。
少し迷った後、俺はそっとサンタの紅い髪を引っ張った。
「メリークリスマス、サンタクロース」
呼びかけてみると、サンタはわずかに眉をしかめた。
「……ああ」
「ああ、じゃなくて、起きろ、カミュ」
「眠いのだ。もう少し寝させてくれ、ミロ……」
「質問に答えたら、な」
カミュは渋々という感じで瞼を半分だけ持ち上げた。
とろんとした瞳は、今すぐにでも眠りの国に戻ってしまいそうだ。
とにかく、カミュの意識があるうちに聞きたいことだけ聞き出してしまおう。
俺は早口で質問をぶつけた。
「おまえ、なんでここにいるんだよ」
「すぐにでも寝たかったのだ。宝瓶宮まで行くより、こちらの方が近いからな」
「そうじゃなくて!」
シベリアで子供たちとクリスマスを過ごしているはずじゃないのかとか、なんでそんなふざけた格好をしているんだとか、聞きたいことはたくさんある。
ありすぎて何から聞いていいのかわからなくなった俺の目の前で、カミュは小さく欠伸をした。
「昨夜、子供たちが眠っている間にプレゼントを置いておこうとしたのだがな……」
ひどく眠そうなカミュの、いつも理路整然とした彼らしくもない下手くそな説明によると、こうだ。
好奇心の強い子供たちは、サンタが来るまで起きているといって、昨夜はなかなか眠らなかったのだという。
一人がようやく眠ったかと思えば、もう一人がぱっちりと目を覚ますといった具合で、彼らはサンタの訪問を心待ちにしていたらしいが、カミュにとってはそれは大きな誤算だった。
妙なところで完璧主義のカミュらしく、念には念を入れ服装まで本格的なサンタになったとはいえ、さすがにそんなに気合いを入れて待機されたとあっては、サンタクロースの正体が誰かすぐにわかってしまう。
そこで、カミュは彼らが眠りにつくまでプレゼントを渡すのを待ったのだ。
待って待って待ち続けた結果、とうとう一睡もしないまま明け方近くになってしまった、という訳だ。
「……クリスマスだから特別に昼頃まで眠っていてもいいと、昨夜言っておいたのでな。子供たちはまだ寝ている。私はその間に買い物に行くつもりだったのだが……」
「あまりに眠くて挫折した、と?」
「察しがいいな」
小さな欠伸と共に、嬉しくもない褒め言葉をもらう。
俺は片頬をわずかにひきつらせた。
「ついでにもっと鋭いところをみせてやろうか。おまえがここに来たのは、その買い物とやらを俺に押しつけるつもりだってことだろ」
「素晴らしい洞察力だ。さすがだな、ミロ」
カミュはどうやら褒めておだてて生徒を伸ばす教育法に目覚めたらしい。
それは幼い子供には有益かもしれないが、長年の付き合いで互いに長所も短所も自分のこと以上にわかっている俺たちには、果たして効果はあるのだろうか。
カミュはもう一度欠伸をすると、枕に突っ伏してしまった。
「買ってきてもらいたい物は、リストにしてそこに置いておいた。頼んだぞ」
「……金は?」
「立て替えておいてくれ。戻ったら返す」
「利息いっぱい付けてやるから、覚えとけ」
「わかった」
片足を夢の国に引きずり込まれているような人間相手に、これ以上会話を続けるのは無駄だろう。
利息は絶対に金以外の方法で払わせてやろうと密かに決意しつつ、俺はベッドから降りた。
俺がいなくなった分広々と眠れるようになったせいか、カミュは心地よさそうにふわりと微笑んだ。
「……クリスマスを楽しみにしている子供たちを見たら、昔のおまえを思い出してな」
半ば夢を見ているのかもしれない。
それも、最高級に幸せな夢を。
あどけないと表してもいいくらい無邪気な笑みを浮かべつつ、カミュは寝言のように呟いた。
「おまえに会いたくなって……」
舌足らずな口調で、最後までしっかり言い切ることもできない。
普段のように頭で考えた文章を発しているのではなく、心を過ぎった感情を、そのまま表に出しているんだろう。
恐らくは、本心だ。
いつものような理論武装など何ひとつ施していない、素直なカミュの想いだ。
「カミュ……」
思わぬ不意打ちにどきりとしながら、俺はカミュをみつめた。
返事はなかった。
規則正しい穏やかな寝息は、彼が完全に深い眠りに落ちていること告げていた。
大きく息を吐き、俺はつい止めてしまっていた呼吸を再開した。
「……狡いな、全く」
わかってやっていたら極悪非道だと思うが、カミュは時折こうしてふっと隙をみせることがある。
余りに無防備な、クールさの欠片もないその蕩けるような一瞬を目にしてしまったら、どうして逆らうことができるだろう。
実際、その一番の犠牲者となっている俺は、素直にカミュの言っていた買い物リストを探していた。
カミュが指さしていたテーブルの上には、見慣れない手帳があった。
俺は手帳なんか持っていないから、カミュの物に違いない。
本当は来年から使うつもりだったのか、まだ真新しいその革の手帳を手に取ると、メモらしきものが挟み込まれているのに気づいた。
そのメモに几帳面な字で記されていたのは、パーティーの準備とおぼしき食材の数々だ。
招かれてもいない御馳走の買い出しをさせられる我が身の不幸を呪いつつ、ざっとリストに目を走らせる。
育ち盛りの子供が二人もいるから、だろうか。
三人分には随分と分量が多い気がする。
どんなにか盛大なパーティーになることだろうと、半ばやっかみながら見ていた俺は、やがてふとあることに気づいた。
分量で表示されている項目はよくわからないが、それ以外は四、もしくはその倍数で数量を指示しているものが多いのだ。
おまけにリストの最後には、ワインを赤白二本ずつとの指定がある。
いくらカミュが酒豪でも、一人でこんなに空ける訳がない。
そうだ。
そういえば、さっきカミュは立替金を「戻ったら返す」と言っていた。
返してもらうためには、俺も一緒にシベリアに戻る必要があるんじゃないだろうか。
俺はすやすやと眠るカミュを見た。
どうやら、この寝ぼすけサンタは、荷物を運ぶトナカイ代わりに俺を連れて帰るつもりなのだ。
「……報酬はたっぷりもらうぞ、カミュ」
おかげで楽しいクリスマスを過ごせそうなこと自体が何よりの報酬なのかもしれないが、素直に喜ぶのが何となく悔しくなって、俺は眠るカミュにびしっと指を突きつけ、一方的にそう宣告した。
後日。
シベリアでの楽しいクリスマス休暇を過ごし帰ってきた俺は、テーブルの上に置かれたままの手帳に気づいた。
忘れ物を届けに、またシベリアに来いということだろうか。
しかし、さすがに今さっき盛大に見送られたばかりとあっては、それも少々気まずい。
年始はカミュも聖域に帰ってくるだろうから、それまで預かっていることにしようと勝手に決め、それでも不都合はないかと俺は一応中を改めてみた。
ぱらぱらとページをめくっていた指が、止まる。
まだ新しく何も書いていない手帳に、一カ所だけ記入があったのだ。
来年用の手帳におまけのようについている今月分の予定ページの、日付は二十五日。
記されていたのは、『Merry Christmas』の一言だった。
思わず目を見張った俺は、くすりと笑った。
「……やっぱり希望してないプレゼントをくれるんだな、あのサンタ」
万事いい加減な俺に、きっとこれでスケジュールを管理しろということなのだろう。
とはいえ、手帳なんか使ったことのない俺には、その上手な活用法は今一つわからない。
仕方がないので、とりあえず今日のところに「シベリア」と書いてみた。
空白ばかりのページに突然現れたその文字は、奇妙に存在感を放っているようで、みつめているうちになんだか愉快な気分になってきた。
よし、決めた。
来年は、こうしてカミュとの日々を、この手帳に書いていこう。
どこに行ったとか、何をしたとか、些細なことも全て書き残しておこう。
幼い頃からずっと傍にいたのだ。
その半身のような存在が遠く離れていない寂しさを、次第にカミュのことで埋まっていくこの手帳は、いくらか癒してくれるかもしれない。
いや、もしかしたら、カミュも今までそうしていて、だからこそ俺に同じ救済を与えたくて、この手帳をくれたのだろうか。
カミュは、今まで一体何を書いていたんだろう。
俺は、これから何を書くことができるんだろう。
現金なもので、そう考えたら、全く使い道がないと思われた贈り物が、とても良いものに思えてきた。