無憂宮
2010 ミロ誕


 当然といえば当然なのだが、誕生日というものは、年に一度しかない。
 自分をこの世に送り出してくれた親に感謝し、その日以来自分が築き上げてきた人間関係の中で、今一番傍にいてもらいたい人に生まれたことを祝ってもらう、大切な日。
 俺の場合、その特別な日を一緒に過ごす相手は、聖域に来て誕生日を祝う余裕ができてからというもの、いつも決まって同じ相手だった。
 水瓶座のカミュ。
 目の覚めるような紅毛で、びっくりするほど頭が良く、呆れ果てるくらい手のかかる、俺の親友だ。
 その親友とは、この一年ほど会っていない。
 喧嘩別れした訳ではない、はずだ。
 俺が世に言う初恋とかいうものを経験したおかげで、少々気まずくはなっていたが、小宇宙で話しかければ普通に応対してくれるし、カミュが聖域に戻ってきたらまた一緒に飯を食う約束だってしていた。
 ただ、彼は多忙で、あまりに多忙すぎて、赴任先のシベリアから帰ってこれないというだけなのだ。
 弟子の育成などという、彼に言わせれば名誉だが、俺からしたら面倒極まりない任務を仰せつかったばかりに、カミュはシベリアから離れられなくなっていた。
 幼い頃からいつも一緒にいた相手がいなくなってしまったのだ、心にぽっかりと穴が空いてしまったように、寂しくてたまらない。
 その空虚さに耐えかねて、俺は何度もシベリアに遊びに行くと訴えてみたが、その度に「私は遊びでシベリアにいる訳ではない」と、極北の外気と同じくらい冷たい声音で却下されていた。
 だから俺は、誕生日が来るのを心待ちにしていた。
 だって、誕生日は特別な日のだ。
 俺の一番の親友のカミュには、俺の誕生日を祝う権利と義務があるはずだ。
 これは、決して遊びじゃない。
 理論派のカミュを説得するための理屈を一年がかりで考えだした俺は、秋も深まったある日、小宇宙でカミュに呼びかけた。
 だが、俺は折角用意した口実をひとつも披露できなかった。
 「……待て、カミュ。今、何て言った?」
 聞き間違いではないだろうかと、俺はこっそりと頬をつねりながら尋ねた。
 『シベリアに来てくれないか。おまえに頼みたいことがあるのだ』
 カミュは訪問日を指定し、「では、待っている」と言い放つと、一方的に通信を終わらせた。
 いささか礼儀知らずな応対をされたというのに、顔がにやけてならなかった。
 頼みたいこと、とやらについて、カミュは何も教えてくらなかった。
 だが、カミュが指定したその日は、俺の誕生日なのだ。
 わからない方が、おかしい。 
 しかし、隠し通せると思っているのか、頑なに唐突な招待の目的を明かさないカミュの意図を尊重し、俺はあえて気づかないふりをしてやることにした。
 そして今日、俺はシベリアの大地に立っている。
 光速で移動すれば大した苦労ではないが、それにしても遠い。
 空気の匂いも目に入る風景も、聖域のそれとは大違いだ。
 まだ十一月だというのに、氷の聖闘士が日々修行に明け暮れているからだろうか、一帯は雪に覆われていた。
 眩しいほどの青空や生き生きと緑の葉を茂らせるオリーブの木々など、鮮やかな色彩に慣れてしまった俺には、この白い大地と薄曇りの空に支配された世界は、何か半透明の膜のようなもので覆われているような、極端に言えば生命が全て失われてしまっているみたいな、そんな感じさえした。
 幼い頃、いつも俺に引っ張り回されていたカミュが、この荒涼とした大地で一人で幼い子供を指導していたのだと思うと、俺が知らないところでカミュは随分成長したのだと思わざるをえない。
 果たして、俺はこの一年で、何か変わっただろうか。
 カミュにふさわしい人間に、なれているんだろうか。
 カミュをシベリアに送り出すことが決まった頃、思春期に入りかけていた俺は、幼馴染みで親友だと思っていた彼に、いつの間にかそれ以上の感情を抱いていたことを自覚した。
 カミュを遠くに手放したくないという切実な想いは、子供のわがままというには少し複雑すぎると、気づいてしまったのだ。
 初めて味わう想いだけにどうしていいかわからなくて、賢いカミュなら何か上手い対処法を知っているんじゃないかと、恐る恐る告白したときのことは、つい先日の出来事みたいに覚えている。
 幸か不幸か、カミュの賢さは数式や理論に関してはずば抜けていたが、情動方面にはからっきしだったようで、俺の突然の告白にただ目を丸くするばかりだった。
 そうしてしばらく黙り込んだ後、それでも親友の俺に対し誠実であろうとしてくれたのか、彼は答えを保留した。
 今は、まだ考えられない。
 それが、彼の精一杯の回答だった。
 もしもいつかカミュも俺と同じ想いを抱くようになってくれたら、そのとき俺が心変わりをしていなかったら、もう一度二人でどうしたらいいか考えよう。
 たとえ結果がどうであろうと、これからも親友であることに変わりはないと、そう約束して、俺たちは別れた。
 それから一年。
 お互いにその話題に触れようとしないまま、歳月は飛ぶように過ぎた。
 一年経っても俺の気持ちは変わらなかったから、あとは、カミュ次第、だろう。
 どれだけ保留されても俺には待つことしかできないし、それ自体は苦にならないが、いざ再会となるとやはり緊張することは否めなかった。
 カミュが住むという小さな家が見えてきたとき、その緊張はピークに達した。
 どんな顔で、なんて声をかけたらいいんだろう。
 俺は、自然に笑えるだろうか。
 考えがまとまらない内に戸口に立ってしまった俺は、なるようになれと、半ば自棄気味に扉をノックした。
 待つ程もなく、応答の声がする。
 扉を開けたのはカミュだった。
 色彩のない世界にいきなり華が咲いたような真紅の長い髪が、俺の瞳を奪う。
 師匠としての経験と自意識が、カミュの表情を少し変化させたのだろうか。
 最後に会ったときにはまだ頬のあたりに幼さを残していたはずだが、あの頃よりは少し凛々しくなった気がする。
 その変容は俺を幻滅させるどころか、心を浮きたたせるばかりだった。
 綺麗だと、素直に思った。
 カミュの顔など子供の頃から見慣れてしまっていたから、顔立ちがどうとか今まで考えたこともなかったのに、一年間離れていたことで、俺は彼の外見まで好みだったのだと今更ながらに思い知らされた。
 「よく来てくれたな、ミロ」
 「あ、ああ……」
 いつも饒舌なのは俺の方だったはずなのに、立場が逆転してしまったように上手く言葉が出てこない。
 そんな俺の様子がおかしいのか、カミュはくすりと小さく笑った。
 「早速だが、頼めるか」
 何を、と問う間もなかった。
 カミュと俺の間に、ぐいと何か金色の物体が引っ張り出される。
 カミュの顔ばかりじっとみつめていた俺の視界の中で、その物体は随分と下の方に位置していたから、それが何かはよくわからなかった。
 答えは、すぐにカミュが教えてくれた。
 「弟子の面倒をみてほしいのだ。兄弟子が風邪を引いてしまってな。私は看病しなくてはならないから、その間この子の相手をしてやってくれ」
 「……は?」
 「氷河というんだ。頼んだぞ」
 理解が追いついてくる前に、扉は無情にも目の前でばたんと閉められた。
 呆然としたまま、視線をそろそろと下に移行させる。
 金色と見えたのは、カミュの弟子だという子供の艶やかな金髪だった。
 口元を結んだままじっと俺を見上げてくる子供の冷ややかな碧い瞳と、視線がぶつかる。
 「…………は?」
 誕生日を祝ってもらうどころか、家にも入れてもらえなかったことに、その頃になってようやく気づいた。


 「ええと……」
 寒さだけが理由ではない突然の頭痛に襲われた俺は、それでも年長者のプライドにかけ、何とか状況をリードしなくてはならないと思った。
 「おまえ、氷河、だっけ」
 「はい」
 子供らしからぬ生真面目な顔は、俺の記憶の中の一部分を刺激したが、それが何かはよくわからなかった。
 そんなことより、見知らぬ子供と二人きりにされたこの状況をどう乗り切るか、今はそっちの方が大事だ。
 「俺と修行するって、今の話、聞いてたか?」
 「はい」
 愛想のない子供だ。
 短い返答だけで、にこりともしない。
 なかなか可愛い顔をしているのに、もったいないことだ。
 俺はくしゃりと頭をかき回した。
 閉ざされた扉は一向に開く気配はなく、どうやら、ここはカミュの思惑に従うしかないらしい。
 はるばる聖域からやって来て、子供のお守りを押しつけられるとは思わなかったが、それでも、さっきの短い邂逅で、やはり俺はカミュに恋をしていると確信してしまったのだから、逆らえる訳がない。
 恋愛は惚れた方が立場が弱いのだと、自称恋愛経験豊富な年上の友人が、そう言っていたのを思い出す。
 きっとそれは、真理だ。
 「修行って、何するんだよ」
 「いつもは、二十キロのランニングと、筋力トレーニング各三百回と、組み手と、凍気のコントロールと……」
 「待て待て待て」
 自慢じゃないが、修行時代なんてもう記憶の彼方だ。
 もちろん俺だって曲がりなりにも黄金聖闘士だから、それくらい、やろうと思えばかるくこなせるが、好んでやりたいとは思えない。
 そもそも、俺は氷の魔術師と評されるカミュとは違う。
 「凍気のコントロールなんて言われたって、俺、できないぞ」
 子供は少し馬鹿にしたような瞳で俺をみつめた。
 小宇宙の性質が違うのだ。
 俺に非はないはずだが、さすがに少し気まずい。 
 「……そんな目で見るなよ」
 氷河の眼差しから逃れるようにしばらく周囲を見渡していると、ふといい思いつきが浮かんだ。
 カミュは、氷河の相手をしろとはいったが、修行をしろとは言っていない。
 それなら、何をしたって文句は言われないはずだ。
 幸いここは、ギリシャ育ちの俺には珍しいもので埋め尽くされている。
 俺は足元から雪を一掴み掬い上げた。
 冷たい。
 ちょっとでも力を入れたらすぐにでも崩れさってしまいそうな、新鮮な感触だった。
 「なあ、氷河。雪合戦しようぜ」
 碧い瞳が大きく見開かれる。
 「何だよ、やったことあるだろ?」
 「ありますけど……」
 突然現れたこの人は、一体何を言っているんだろう。
 そんな疑問を顔中に浮かべた子供は、不思議そうに俺を見ていた。
 俺はにやりと笑ってやった。
 「じゃ、決まりだ。一応、俺は雪合戦初心者だけど、年上だからな。ハンデやるよ。俺は左手一本しか使わない。おまえは好きにすればいい。それでいいな?」
 余程想定外だったのだろう。
 氷河は、言葉もなくただ呆然と俺を凝視した。
 その顔に、掴んでいた雪玉をいきなりぶつけてやる。
 顔に残った弾け飛んだ雪玉の残骸を、氷河は仔犬のようにふるふると頭を振って払い落とした。
 「いいな?」
 もう一度訊いたが、やはり返事はなかった。
 氷河は可愛らしい容貌にそぐわず負けず嫌いな子供だったらしく、すかさずしゃがみこみ足元の雪をかき集め始めた。
 ようやく見せてくれた笑顔は、子供らしい快活なものだった。
 
 
 汗をかくほど遊んだ後、俺と氷河はカミュが待つ家に戻ることにした。
 「雪玉凍らせるのは反則だろ、氷河」
 「ハンデだよ。何してもいいって、ミロがそう言った……じゃないですか」
 とってつけたような敬語が微笑ましい。
 どうやらすっかり心を許してもらえたようで、出会った当初の、俺の正体を探るような疑わしげな視線を注いでいたあの子供と同一人物とは、とても思えなかった。
 「カミュには、すごく頑張って修行したって言っとけよ」
 「うん。あ、はい」
 拳と拳をこつんと合わせ、共犯めいた目配せを交わす。
 満足し、俺は扉に手をかけた。
 夕餉の支度はもうできているのだろう。
 食欲をそそるいい匂いがしてきて、運動後の俺と氷河の腹の虫が騒ぎだす。
 「ただいま、カミュ……」
 言い終わる前に、乾いた破裂音が響いた。
 予想外の出迎えに茫然と立ち尽くす俺に、遅れて色とりどりのテープや紙吹雪のようなものがふわりと舞い落ちてくる。
 俺を棒立ちにさせた犯人は、カミュと、もう一人の弟子なのだろう、氷河と同じ年頃の子供だ。
 「誕生日おめでとう、ミロ」
 カミュはにっこり笑った。
 風邪で寝ていたはずのもう一人の弟子は随分と元気そうで、クラッカーを構えたまま、悪戯っぽい瞳で好奇心を隠そうともせずにこちらを見ている。
 「……ありがとう」
 まだ事態を把握できずに、それでも条件反射的に祝辞に答えると、つと片手が下に引っ張られた。
 「おめでとう」
 視線を向けると、訳知り顔の氷河が満足げに笑ってそう告げた。


 誕生日を祝ってくれるのかもしれないと期待はしていたものの、一度は落胆と共に諦めたのだ。
 期待感ゼロからの不意打ちの効果は絶大で、サプライズパーティーは見事に成功を納めた。
 以前いた孤児院でこうしたパーティーをよくやっていたという兄弟子が実質的な準備を取り仕切り、弟弟子はその間俺を遠ざけておくという手はずだったらしい。
 子供の工作で飾り付けられた暖かい家の中、カミュの心尽くしの料理に舌鼓を打つという楽しい時間は瞬く間に過ぎた。
 師匠の期待に応え、重大任務を見事にやってのけた優秀な弟子たちは、はしゃぎ疲れたのか早々に部屋に戻り休んでいた。
 残されたのは、俺とカミュだけ。
 ここがシベリアでなければ、過去に戻ったような錯覚すら覚える。
 「楽しんでもらえてよかった」
 言いながら、カミュは湯気の上がるカップを俺に手渡してきた。
 礼を言い、一くち口をつける。
 「紅茶?」
 疑問調に語尾が上がったのは、聖域でいつもカミュが淹れてくれていたものとは少し味が違ったからだ。  
 カミュは頷いた。
 「リキュール入りのな。こちらは寒いから、体が暖まるだろう」
 「なるほど」
 もう一口飲んでみたが、そう言われると体の芯がほかほかと炙られているような気がしてくる。
 「大人の味がする」
 「……そういうつもりはなかったのだが」
 思ったことをそのまま口にすると、カミュは少し困惑したように微笑んだ。
 一年前のことを思い出しているのだろう。
 子供から大人への移行期間にカミュよりも先に到達してしまった俺は、カミュを戸惑わせるばかりだった。
 今のカミュは、あのときと同じ顔をしている。
 だが、あの頃よりは随分と成長したらしく、気まずくなりそうな空気を壊したのも、カミュだった。
 「子供たちはすっかりおまえに懐いていたな。気に入ったか?」
 「何を?」
 カミュは得意げに笑った。
 「誕生日祝いに、おまえにも弟子を持つ気分を味わわせてやろうと思ったのだ」
 「あれ、誕生日祝いだったのかよ……」
 結果的には楽しかったとはいえ、いきなり子供を押しつけられ途方に暮れたことを思い出すと、苦笑いしか出てこない。
 カミュは当然だと言わんばかりに頷いた。
 「私は弟子を指導していると楽しいからな。おまえにもこの喜びを分けてやろうと……」
 そのまま教育理念について熱弁を振るい出すのではないかと恐れた俺は、慌ててカミュを止めた。
 この数時間、カミュと一緒にいてわかった。
 カミュは意外に教師向きな人間で、弟子の指導に精魂傾けているのだ。
 弟子のことを語りだしたら、きっと朝になっても一人で喋り続けていることだろう。
 聖域にいた頃は積極的に他人と関わろうとしなかったカミュの意外な一面だが、彼は常に本との対話に没頭していたことを思うと、その対象が弟子に代わっただけとも言える。
 そして、俺は昔も今も、カミュの心を占める自分以外の存在が嫌いだった。
 「遠慮しとく。たまにならいいけど、毎日子供の相手をしなきゃならないと思うと、げんなりするからな。俺には教師は無理だ」
 「……そうか。おまえは師匠に向いていると思ったのだが……」
 がっかりしたように眉をひそめたカミュは、「きっと義務だと思うから嫌なのだな」と、勝手な理由付けをして納得していた。
 誤解を解くのも申し訳なかったからそのまま放っておくと、やがてカミュの表情がふっと和らいだ。
 「実は、おまえに氷河の相手を頼んだのは、あの子のためでもあったのだ」
 「どういうことだ?」
 カミュは痛ましげに目を伏せた。
 「あの子は、目の前で親を亡くしていてな。まだ心の傷が癒えていないらしいのだ」
 近頃は大分増しになったとはいえ、シベリアに来たばかりの頃は、夜中にうなされて飛び起きることも多かったという。
 「おまえなら、きっと氷河を癒してくれると思ったのだが、想像以上だったな。礼を言うぞ、ミロ」
 「……感謝してくれるのは嬉しいが、俺、ただあいつと遊んでただけだぞ」
 みっちり修行したとカミュには報告したが、実際のところ、俺たちは雪合戦をしたりスノーマンを作ってみたり、ひたすら雪遊びをしていただけだった。
 良心の呵責に耐えかねて白状すると、カミュは含み笑いを漏らした。
 「あの子のあれほど生き生きとした笑顔を見たのは初めてだからな。おまえのおかげであることに代わりはない。それに、修行などしないだろうということも、最初からわかっていた」
 悪戯っぽく瞳を揺らめかせるカミュを、俺はまじまじと凝視した。
 「……嘘」
 「嘘ではない。だから私はあえて『面倒をみてくれ』と言ったのだ。あの頃も、そうだっただろう」
 カミュはじっと俺をみつめた。
 あの頃。
 カミュの瞳に映る聖域の風景を見た気がした。
 その瞳が、懐かしげに細められる。
 「私が聖域に来たばかりの頃、おまえは修行だと称しては、私を連れだし遊んでばかりいた」
 そうだった。
 新しく上の方の宮に来た紅毛の少年と友達になりたかった俺は、真面目な彼を「修行に行こう」と誘っては遊びにでかけていた。
 しつこく誘う俺が迷惑だったのか、当初は笑顔ひとつ見せなかったカミュが初めて笑ってくれたときは、あまりの嬉しさに、誇張表現ではなく本当にぴょんぴょんと飛び跳ねていたことを覚えている。
 と、同時に、もう一つ思いだした。
 出会ったばかりのときの氷河の、警戒心を剥き出しにしたような表情を、以前どこかで見たことがあると思った理由がわかった。
 あれは、初対面の頃のカミュの面差しによく似ていたのだ。
 その氷河にとって俺が癒しになると思っていたということは、もしかしたら、カミュはあの頃、俺の存在に慰撫されていたのだろうか。
 思い出の中をさまよっているかのようにうっとりと、カミュはまるで独り言みたいに呟いた。
 「おまえはいつも陽気に笑っていて、私にはひどく眩しかった。あの頃から、私はおまえに憧れていた」
 一旦言葉を切ったカミュは、気の強い彼には珍しい縋るような不安気な瞳で俺をみつめた。
 「私は――」
 何故か胸がざわついた俺は、無性に喉の乾きを覚えた。
 「あの頃から、私はおまえが好きだったのだ」
 一息に言わないと効果のない呪文を唱えるように、カミュは少し早口でそう言い切った。
 ついで、つっと俺から視線を外すと何事もなかったかのように紅茶を飲む。
 つられて、俺もカップの中身を流し込んだ。
 冷めかけた紅茶は、喉を通るとじわりと俺の胃を焼いた。
 胸まで熱くなってくるのは、やはり紅茶に入れたとかいうリキュールのせいなんだろうか。
 「カミュ」
 返事はなかったが、構わず続ける。
 「それも、誕生日祝い?」
 それにしても、おかしい。
 紅茶を飲み干したというのに、喉の渇きがまったく治まらず、おかげで声が掠れ気味になってしまった。
 「……喜んでもらえるとは思えないが」
 視線をそらせたまま、カミュはぶっきらぼうに呟く。
 「馬鹿にしてるのかよ」
 俺がカップをソーサーに戻す音に、カミュがわずかに身を強ばらせる。
 俺は、息を深く吸い込んだ。
 「喜ぶに決まってるだろ! おまえのこと先に好きになったのは、俺の方なんだぞ。一年前のこと、忘れたのかよ!」
 一気にまくしたててやると、カミュは心外そうに目を見張った。
 「それは違う。今、言っただろう。子供の頃からなのだから、私の方が先だ」
 「それなら、俺だって……」
 隣室に子供だちがいることも忘れ、声を荒げる。
 むきになって言い争ううちに、目が合った。
 笑いだしたのは、どっちが先だっただろう。
 「カミュ」
 かるく両手を広げると、頷いたカミュは無言のまま立ち上がった。
 椅子に座る俺に覆い被さるようにして、そろそろと腕を回してくる。
 腕だけは遠慮勝ちに伸ばしてくれたものの、体幹はまだ遠くにあって、それがもどかしい。
 力任せに引っ張り寄せると、バランスを崩したカミュがたまらず倒れ込んできた。
 起き上がろうとする身体を力一杯抑えつけると、しばらくもがいていたカミュも、やがて俺の肩に顎を乗せたまま大人しくなってくれた。
 「ありがとな、もらっとく」
 魅惑的な誕生日祝いを、ぎゅっと抱きしめる。
 これ以上ないほどにくっついているから、お互いの鼓動が同じように速いペースを刻んでいるのがわかった。
 どうやら、大人の味のする紅茶が、俺にもカミュにも効いてきたようだった。

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