無憂宮
2005 双子誕


 「やっぱりお前がいたか」
 部屋に入ってくるなり、遅れてきた待ち合わせの相手は不躾にそう言い放った。
 それはこちらの台詞だと内心で思いつつ、サガは手にしたグラスを軽く掲げてみせた。
 高級、というのが店を特徴付けるキーワードとなっているような有名料理店の個室。
 ここにサガを呼び出したのはカミュだった。
 「来てくれますよね?」
 と、一抹の不安を隠しつつ念を押すように見上げてくる、その表情で彼が何かを企んでいることはわかった。
 カミュの誘いをサガが断わることは滅多にない。
 どんなにさりげなさを装っていても、その陰でカミュがありったけの勇気を振り絞っていることぐらい容易に見抜いていたから、たとえ断るにしても、次回に希望を繋ぐように何らかの代替案を提示することが常だった。
 だから、カミュの瞳にかすかに浮かぶ懇請にも似た色に、これが普通の約束とは違うことをサガは容易に読み取ってしまっていたのだ。
 指定された日時や店名等の周辺情報から、その謀の目的も薄々察していたが、あえて追及することはしなかった。
 そして今、向かい合う席についたのは、やはりサガが予期したとおり、カミュとは違う人物だった。
 「絶対おかしいと思ったんだ。こんな高そうな店、ミロが知ってるはずがない」
 自分と同じ顔をした、自分と同じように計略にはまったらしいカノンが、片手でネクタイを緩めながら苦々しげに毒づいていた。
 元は同じ星の元に生を受けながらも、運命に翻弄され長年隔絶された日々を過ごした双子は、こうして真正面から向き合う機会が少ない。
 そうしなくても互いの考えることがおおよそわかってしまう上、今更どこか照れくさいということもあり、本人たちは苦にもしていなかったのだが、彼らを取り巻く人間からは少々奇異に見えるらしい。
 誕生日くらい二人だけの打ち解けた時間をもたせてやろうという、この招待は彼らなりの気遣いなのだろう。
 「お前はやはりミロか」
 「そういうお前はどうせカミュだろ」
 沈黙をもって肯定すると、サガはワインリストを取り上げた。
 「まあ、折角の若者たちの心遣いだ。ありがたく頂くことにしようか」
 「うわ、爺くさ」
 眉をしかめながらも、カノンは楽しげに笑った。
 「そうだな、ま、誕生日ぐらい、な」
 「……覚えていたのか」
 わずかに瞳を見張るサガを、カノンは少し憤慨したようにみつめた。
 「馬鹿にするな。兄貴の誕生日ぐらい、俺の記憶力でも覚えていられる」
 「……お前の誕生日でもあるのだが」
 サガの語調がほんの少し重くなった。
 いつでもサガを優先にしていた、そんな生き方を強いられていたカノンには、いまだに心の奥底にサガへの劣等感が染み付いてしまっているのだろうか。
 自虐的になる必要などないと、決してサガの従属物などではないのだと、カノンは自らの行動で立派に証明してみせたはずなのに。
 表情を曇らせるサガに、カノンはため息をつくと頭をかきむしった。
 「わかってるって、鈍い奴だな。俺がお前を祝ってやるから、お前は俺を祝えって言ってんだよ」
 早口でまくしたてると、わずかに紅潮した顔をふいと背ける。
 あっけにとられてそのふて腐れた横顔をみつめていたサガの口元に、やがて微笑が浮かんだ。
 心配性の兄は、もはや必要ないのかもしれない。
 一人の成熟した大人として、カノンは全てを内に取り込み乗り越える術を確かに身につけていた。
 ほんの少し感じてしまう寂しさの欠片になど気づかない振りをして、サガは自身のそれよりもわずかに明るい色に染まるカノンの瞳をじっとみつめた。
 「では、お言葉に従い祝わせてもらおうか。カノン、誕生日おめでとう」
 「……お前もな」
 照れくさそうな、ぶっきらぼうな一言が返ってきた。
 この一言が聞けただけでも、年下の二人に騙された振りをした甲斐があったかもしれないと、サガは思った。

◆◆◆
 
 「今頃あいつらはゴチソウ食ってんのに、なんで俺らはハンバーガーなわけ?」
 「財政事情が逼迫していてな」
 ハンバーガーショップの片隅で、しきりにぼやくミロはカミュに冷たくあしらわれていた。
 「第一、いくら誕生日だからって、あんっないい店にする必要あったか?」
 俺だって行ったことないのに、と、ミロは恨めしそうにカミュを見た。
 店を決めたのはカミュだ。
 自分の決定に不満をぶつけられたことが不愉快なようで、じろりと睨みつつ反駁する。
 「仕方がないだろう。いつもサガが連れて行ってくれるような店よりもいい所といったら、あそこしか思いつかなかったのだ」
 「……おまえら、いつもどんなとこでメシ食ってんだよ」
 指折り数えて諸国の高級料理店の名を列挙しようとするカミュを、ミロは慌てて遮った。
 聞くだけ虚しくなるのはわかりきっている。
 「あの野郎、教皇詐称時代に一体どんだけ稼いでたんだ?」
 思わず呟いた一言にすっと冷気を感じる。
 店中にその天然クーラーの効果が広がる前に、ミロは取り繕ったような作り笑いでごまかした。
 「いやいや、俺はその辺の居酒屋で充分楽しんでますから」
 「ああ、カノンと一緒ならそうだろうな」
 ほんの少し、カミュの言葉が尖って聞こえた。
 耳にひっかかるこの険が、なんだかくすぐったいように心地よくて、ミロは悪戯っぽく口の端を持ち上げた。
 「あれ、妬いてんの?」
 「……誰が、誰に?」
 カミュはにこりと顔を綻ばせた。
 ちょっと、からかい過ぎたようだ。
 口元は和やかに笑っているのに、紅い瞳の奥でめらめらと氷の炎が揺らめいている。
 自分と周囲の安全のためにも話題を変えようと、ミロは咄嗟に手にしたポテトをカミュの目の前に突き出した。
 「ほら、カミュ、食うか?」
 「……調子のいい」
 悪態をつきながらも、カミュは素直に差し出されたポテトにかじりついた。
 二口、三口と食べ進み、そのままポテトを手にしたミロの指まで口に含むと、軽く歯を立てる。
 「痛っ……!」
 「おや、失礼。ポテトと間違えた」
 「おまえ、絶対わざとだろ」
 大げさに痛がってみせながら、ミロはカミュに噛まれた指先を慰撫するようにぺろりと舐めた。
 かすかな塩気を味蕾が捕らえた。
 そしてそれをはるかに凌駕する、甘美な味に胸がうずいた。
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