無憂宮
Card Tower


 扉を開けると、床に座り込んだミロの背が見えた。
 私が部屋に入ってきたことに気付いているだろうに、彼は振り返りもしない。
 珍しく黙り込み、一心不乱に何かに取り組んでいる様子だ。
 一体、何をしているのだろう。
 興味を惹かれた私は、ミロの背後からそっと近づいてみた。
 「今、手が離せないんだ。ちょっと静かにしててくれよ」
 静かな牽制の声がさらに好奇心をかきたてる。
 そろそろと首を伸ばして彼の手元を覗き込んでみた私は、ようやく事情を理解した。
 声どころか息まで潜めるようにして、ミロは慎重にトランプでタワーを組み立てていたのだ。
 既に三段も組み上がった塔を前に、ここ最近見たこともないほどひどく真剣な顔をしているミロが、なんとなく微笑ましい。
 「おまえの集中力は、もう少し有益な方向に発揮した方がいいと思うが」
 苦笑しつつ、ミロの邪魔をしないよう少し離れたソファに腰かける。
 二枚のカードでようやく山を一つ作ることに成功したミロは、静かに息を吐いた。
 「何言ってんだよ、有益も有益。これ完成したら願いが叶うって願掛けしてんだからな」
 「願掛け? 一体何を?」
 「これが完成したら、未来永劫たとえ生まれ変わってもずっとカミュと一緒にいられる」
 「……は?」
 突然自分の名を出され面食らった私は、ひどく間の抜けた声を出したように思う。
 そんな私の様子がおかしかったのか、ようやく意識をトランプから私に移したミロは、悪戯っぽくにやりと笑った。
 「やっぱ目標あると効果テキメンだったぜ。そう決めるまでは一段だってできなかったんだからな」
 「……私の意志と希望は一切斟酌されないのだな」
 「まあ、あくまで願なんだし、それくらい笑って許せよ」
 そう言われてしまっては、あまりに大人げなくて抗議もできない。
 むっとしたまま黙り込む私を宥めるように笑い、ミロは再びトランプに向き直った。


 時として傍観者は本人よりも緊張させられるものなのかもしれない。
 実際に自分が手を出している訳ではないから、ミロがどの程度の自信をもってカードを上層階に置いているのか皆目わからず、ただ不安感だけが煽られる。
 四段目が完成する頃には、私もまた身を乗り出してタワーが高さを増していく様を息をつめてみつめていた。
 「……あと、一つ」
 タワーを吐息で崩さないよう横を向いてふうっと息を吐いたミロは、ぶらぶらと両手を振って指に入った余分な力を抜こうとしていた。
 ついで緊張を解きほぐそうとでもするように、こちらを向いて少し硬い笑顔をみせる。
 「やばい、心臓バクバクだ」
 「くだらないことで臓器に負荷をかけるな」
 「ん、ちょっと後悔してきた」
 ミロは真顔で頷いた。
 「なあ、もしタワー壊れたらどうしよう、カミュ」
 戯言だったはずの自分の言葉が今更ながら恐くなったのか、ミロの瞳にはどこか怯えたような色が浮かんでいた。
 塔の崩壊は、すなわちミロの願が叶わない、ということを意味する。
 その思いつきのような願掛けにどれほどの拘束力があるのかは知らないが、ミロの真剣な表情を見ていると、何故だか私まで不安な気分にさせられた。
 言霊、という普段なら歯牙にもかけない眉唾物の思想が、にわかに信憑性を帯びてきた気さえする。
 とはいえ、そんなことをミロに悟らせるわけにはいかない。
 「私が知ったことか」
 内心の動揺などおくびにも出さず殊更にぶっきら棒に吐き捨ててやったが、どういうわけだかそれがミロを安心させたらしい。
 「冷たいな、相変わらず」
 吹っ切ったように笑ったミロは、二枚のカードを手にすると芝居がかった仕草でかるく口づけた。
 「ま、最善を尽くすとしますか。そこでとくとご覧あれ」
 すっと表情を引き締めたミロは、カードを逆V字に組み合わせ、そろそろとタワーの最上部に置こうと近づける。
 塔の天辺が綺麗な三角を描いたことを確認すると、ミロはゆっくりと手を放した。
 ミロの真剣な素振りに釣られたようにすっかり心拍数の上がった私は、小さく喉を鳴らした。
 その瞬間、塔が揺らいだ。


 くつくつと笑うミロの声が無性に癇に障った。
 「……うるさい」
 「いや、だって、カミュ……」
 「うるさいと言っている」
 ふて腐れる私に相変わらずにやにやとした嫌な笑みを向けながら、ミロは倒れたトランプタワーを元に戻した。
 別段、難しい作業ではない。
 塔はばらばらに崩壊した訳ではなかったから、横になったものを起こせばいいだけの話だ。
 タワーが崩れると思った瞬間、私は無意識に凍気を放っていた。
 その結果、呆気に取られるミロの目の前で、一瞬にして凍りついた塔はそのままの形を保ってゆっくりと倒れたのだ。
 すっくとそびえ立つ塔を満足気に見遣ったミロは、仏頂面の私の隣に腰を下ろした。
 「なんだ、カミュも俺と同じこと願ってたんなら、そう言えよ」
 「違う」
 「だって……」
 「おまえが一生懸命塔を作るのを見ていたら、私も完成した姿をみたくなったというだけだ。くだらない願掛けとは一切関係ない」
 早口で一気に弁明すると、私はそれっきり口を噤んだ。
 横からじっと注がれるからかうような視線には、気付かないふりをすることにした。
 やがて、ミロが諦めたように肩をすくめる気配がした。
 「ふうん、ま、そういうことにしといてもいいけど」
 そのかわり、と、呟いたミロは真正面を向いた私の前に身を乗り出してきた。
 「何だ?」
 「苦労して塔を完成させた俺に、お祝いくれよ」
 「馬鹿馬鹿しい。何故、私が……」
 皆まで言うことはできなかった。
 続くはずの言葉は、全てミロに吸い取られてしまった。
 先程まで息を潜めて慎重な作業に従事していた反動なのか、飢えた獣のような随分と荒いキスに驚いたのは束の間だった。
 タワーが崩れたらどうしようと、子供のように情けない顔をしたミロの姿を思い出したのだ。
 奴が勝手にかけた願とはいえ、そのためにミロが頑張ったのは確かだった。
 褒美くらい、やってもいいだろうと思ったのだ。
 転生後のことなど私の知ったことではないが、少なくともこの私が私として生きている限りは、ミロと共に過ごしていたい。
 そう口にすることなどこの先一度だってないだろうが、少しくらいはそう伝わればいいと思いつつ、私は覆いかぶさってくるミロの首に腕をかけそっと抱きしめた。

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