自覚
巨蟹宮の扉が乱暴にノックされた。
宮主が出迎えるのも待たず、来客はドアをバタンと開けた。
「一体なんなんだ、緊急招集って」
ぶつくさと文句を言いながら、最上宮の絶世の美人が入ってくる。
「俺らを呼ぶなら、おまえが上に来い。大体どういうことだ、俺だけ財布持って来いってのは」
さらにもう一人、上から三番目の住人が後に続く。
「ま、今日は下にある家のほうが都合がいいんでな」
二人を呼びつけたデスマスクは、悪びれもしないで二人を居間に通した。
そこには先客がいた。
テーブルに顎をのせ両腕をだらりとさげた、しどけない姿勢のミロが、視線だけ入り口に向ける。
「うーす」
口調にも顔つきにも、いつもと違って覇気がない。
アフロディーテとシュラは怪訝そうに顔を見合わせた。
「今日の議題は、こいつ、ミロ」
楽し気に笑うデスマスクに、アフロディーテが何かを察したように、あっと小声をたてる。
「ひょっとして、ひょっとして、ひょっとして?」
「ビンゴ!」
ウインクを返すデスマスクは、小躍りするアフロディーテと、ぱちんと手を打ち合わせた。
「そっか、そうなんだー」
一人、嬉しそうに合点がいった様子のアフロディーテを、シュラは不満げに問い詰める。
「なんだよ、おまえらだけ。何なんだ、一体?」
デスマスクとアフロディーテは視線を交わし、にやっと笑った。
アフロディーテが、意味ありげにちらりとミロを見る。
「こないだの賭け、覚えてるだろ? シュラの負けだから」
「今晩、おまえのおごりな」
楽しそうな二人に、ミロは小声で毒づく。
「人を賭けのネタにするなよ……」
シュラは、無意識に財布を握り締めた。
ミロをネタにした賭け、それは 。
ミロがこの三ヶ月以内に、カミュへの想いに気づくかどうか、というものだった。
日頃の言動を見ていれば、二人の仲がいいのはすぐにわかる。
積極的に他人に関わろうとしないカミュが、唯一小まめに世話をする相手がミロ。
ミロも、カミュに面倒をみてもらうのを喜んでいる節があった。
ともすればバラバラになりかねない聖域の中で、子供の頃からお互いの存在を寄る辺に成長してきた、まさに水魚の交わりともいうべき友人同士なのだ。
しかし、最近それが少し違うと言い出したのは、アフロディーテだった。
カミュはどうかわからないけれど、ミロは恋愛感情に移行しつつある、と主張し、頑として譲らなかったのである。
そこで豪華な晩飯を賭ける事になったのだが、アフロディーテの洞察力は恋愛の女神と同じ名に恥じるところが無かったらしい。
その結果、一人否定派にたったシュラは、賭けにのった自分を非常に後悔することになったのだ。
「冗談だろ、なんかの間違いだろ? な、そうだといえ、ミロ」
シュラはミロの両肩を捕まえると、ゆさゆさと乱暴に揺さぶった。
長い金の髪が激しく揺れ動き、周囲に光を撒き散らす。
「俺もそう思いたいんだけど……」
ミロがぐらぐらする頭を押さえつつ、やっとのことで呟く。
いつもならやり返してくるだろうに、その元気もないらしい。
「ま、いいんでねーの。俺らがちゃんと付き合いだしたのも、おまえら位の年の時だし」
デスマスクの軽口に、アフロディーテはにこにことうなずいた。
シュラは全身から力が抜けていくのを感じた。
どうやら、自分を騙すための演技ではない。
ため息をつくと、シュラは革の財布をデスマスクに放り投げた。
「俺、今日、教皇補佐だから、おまえら行って来い」
「なんだ、一緒に行かないのか」
「いや、いい。もう帰るわ、俺」
むくれるアフロディーテを軽くいなし、シュラはふらふらと出て行った。
悄然とした後姿を見送ったデスマスクは肩をすくめた。
「やべーな、あれ、結構ショック受けてる……」
「そうだな……」
賭けの対象にされて不機嫌なミロは、二人の会話に何か違和感を感じた。
賭けに負けたくらいのことが、それほど重大とも思えない。
なにか他に、シュラにダメージを与えるようなことがあっただろうか。
上目遣いに目で訴えかけてくるミロに、アフロディーテは人差し指に髪を巻きつけながら答えた。
「シュラもね、けっこうカミュ、気に入ってるんだよね」
「ええっ、そうなの?」
ミロは目を丸くした。
日頃のシュラの様子を思い返してみても、そんな気配は微塵も感じられなかった。
アフロディーテがため息をつく。
「うん、本人認めてないけどね。きっとそう」
「だから、おまえがカミュに惚れたとなると、奴にとってはやばい事態なわけよ」
ミロとカミュは自他ともに認める親友同士である。
しかし、友人だと思っていた一方に、友情以上の感情が芽生えたらどうなるのか。
少なくとも同じ相手を想う人間にとっては、最強にして最大のライバルが忽然と出現することを意味するのである。
「ま、シュラのことは気にしなくていいよ。ずっと忠告してあげてたのに、何にも行動しなかったあいつが悪い」
アフロディーテが、ミロの頭をよしよしとばかりに撫でた。
ミロは珍しく素直になすがままになっている。
「でも、俺だってどうしていいかわかんない……」
ミロは情けない顔を隠そうともしなかった。
カミュを好きだと気がついてしまったけれど、まだどこか嘘っぽくて、信じられない。
それでもなんだか顔が合わせづらくて、いつも一緒に食べていた夕食も、なんだかんだと口実をつけては逃げていた。
それに、気持ちを正直に伝えたところで、受け入れられるとは限らないのだ。
せっかく親友として良好な関係を築いているのに、それを自ら壊す勇気はミロには無かった。
「デス達はどうだったの、付き合い始めって?」
親友から恋人に昇華した先達に、ミロが真剣な面持ちで尋ねる。
デスマスクとアフロディーテは顔を見合わせると、同時に吹きだした。
「や、参考にはならんと思うぞ」
「そうだな。ま、人それぞれということだ」
ミロの質問をやんわりと拒絶したアフロディーテは、そのかわり、とても綺麗な微笑をみせた。
「でもね、一つ教えてあげよう。恋をするって、とても、素敵なことだよ」
デスマスクが、柄にも無く照れたように壁のほうを向き、かりかりと頭をかきだした。
ミロの胸の奥が、ほんのりと温かくなった。
ああ、なんかいいな、こうゆうの。
戦闘ばかりの自分たちにも、こんな和める世界を与えてくれるもの、それが、恋、なんだろうか。
とっぷりと日も暮れた頃、シュラはようやく仕事を終えて、教皇の間を後にしようとしていた。
昼間のミロの爆弾発言のせいで仕事に集中できず、結局こんな時間までかかってしまった。
いつもの三倍くらい仕事をした気がするほど疲労困ぱいし、重い足をひきずり帰ろうとするシュラに、側廊から出てきた人間が声をかけた。
「シュラ、ずいぶん遅くまで仕事してたんだな」
シュラは思わず息を呑んだ。
あまり、今、会いたくない人物だった。
「……カミュ、おまえもいま帰りか?」
昼間の巨蟹宮で、分が話題に上っていたことなど知らないカミュはうなずいた。
「ああ、読書してたら、いつの間にか日が暮れていた」
時折、教皇の間から帰る時に書庫から出てきたカミュと鉢合わせ、それほど長くもない宮までの階段を共に歩くこともあった。
しかし、よりによって今日でなくてもいいだろうに。
シュラは肩を落とした。
「どうかしたのか、元気がないようだが」
「ああ、疲れたかな、今日はちょっと」
嘘はついていない。
今日は疲れた、精神的に。
カミュは疲労が色濃く残るシュラを気遣ってか、常にも増して口数が少なくなっていった。
自宮に着いてほっとしたのもつかの間、すぐに扉を叩く音がした。
ノックというよりは、肩でぶつかるような鈍い音。
そういう粗暴な動作をするのは、デスマスクあたりだろう。
シュラは舌打ちしながら、玄関に向かった。
「開いてるぞ」
「開けられない」
その声に、シュラは慌ててドアノブを回した。
扉の向こうにカミュがいた。
手にはまだ湯気の出ている両手鍋をかかえている。
「今から食事作るのもなんだろう。よかったら食べてくれ」
シュラはあっけにとられつつも、差し出された鍋を受け取った。
「あ、ああ。ありがとう……。おまえは?」
「食欲、ないんだ。それに昨日のも残ってるし」
カミュは、それじゃ、と言い残して階段を上がっていった。
シュラはため息をついた。
いつも、カミュがミロと食事をしているのは知っていた。
そしてこの数日、ミロが磨羯宮より上には行っていないことも知っていた。
自分の気持ちに気づいてから、ミロはカミュを避けていた。
それは、わかる。仕方のないことだとも思う。
でも、カミュは訳もわからず、突然一人にされているのだろう。
二人に慣れた身には、一人の食事は寂しすぎる。
今日は来るかもしれないと、ミロの分の食事を用意して、無駄にして、というのを繰り返しているに違いなかった。
シュラは鍋を覗き込んだ。
たっぷり二人分はあるブイヤベースだった。
一匙、すくってみた。
「……ちくしょう、うまいな」
シュラは笑った。
乾いた笑いだった。
巨蟹宮の扉が乱暴にノックされた。
宮主が出迎えるのも待たず、来客はドアをバタンと開けた。
「一体なんなんだ、緊急招集って」
ぶつくさと文句を言いながら、最上宮の絶世の美人が入ってくる。
「俺らを呼ぶなら、おまえが上に来い。大体どういうことだ、俺だけ財布持って来いってのは」
さらにもう一人、上から三番目の住人が後に続く。
「ま、今日は下にある家のほうが都合がいいんでな」
二人を呼びつけたデスマスクは、悪びれもしないで二人を居間に通した。
そこには先客がいた。
テーブルに顎をのせ両腕をだらりとさげた、しどけない姿勢のミロが、視線だけ入り口に向ける。
「うーす」
口調にも顔つきにも、いつもと違って覇気がない。
アフロディーテとシュラは怪訝そうに顔を見合わせた。
「今日の議題は、こいつ、ミロ」
楽し気に笑うデスマスクに、アフロディーテが何かを察したように、あっと小声をたてる。
「ひょっとして、ひょっとして、ひょっとして?」
「ビンゴ!」
ウインクを返すデスマスクは、小躍りするアフロディーテと、ぱちんと手を打ち合わせた。
「そっか、そうなんだー」
一人、嬉しそうに合点がいった様子のアフロディーテを、シュラは不満げに問い詰める。
「なんだよ、おまえらだけ。何なんだ、一体?」
デスマスクとアフロディーテは視線を交わし、にやっと笑った。
アフロディーテが、意味ありげにちらりとミロを見る。
「こないだの賭け、覚えてるだろ? シュラの負けだから」
「今晩、おまえのおごりな」
楽しそうな二人に、ミロは小声で毒づく。
「人を賭けのネタにするなよ……」
シュラは、無意識に財布を握り締めた。
ミロをネタにした賭け、それは
ミロがこの三ヶ月以内に、カミュへの想いに気づくかどうか、というものだった。
日頃の言動を見ていれば、二人の仲がいいのはすぐにわかる。
積極的に他人に関わろうとしないカミュが、唯一小まめに世話をする相手がミロ。
ミロも、カミュに面倒をみてもらうのを喜んでいる節があった。
ともすればバラバラになりかねない聖域の中で、子供の頃からお互いの存在を寄る辺に成長してきた、まさに水魚の交わりともいうべき友人同士なのだ。
しかし、最近それが少し違うと言い出したのは、アフロディーテだった。
カミュはどうかわからないけれど、ミロは恋愛感情に移行しつつある、と主張し、頑として譲らなかったのである。
そこで豪華な晩飯を賭ける事になったのだが、アフロディーテの洞察力は恋愛の女神と同じ名に恥じるところが無かったらしい。
その結果、一人否定派にたったシュラは、賭けにのった自分を非常に後悔することになったのだ。
「冗談だろ、なんかの間違いだろ? な、そうだといえ、ミロ」
シュラはミロの両肩を捕まえると、ゆさゆさと乱暴に揺さぶった。
長い金の髪が激しく揺れ動き、周囲に光を撒き散らす。
「俺もそう思いたいんだけど……」
ミロがぐらぐらする頭を押さえつつ、やっとのことで呟く。
いつもならやり返してくるだろうに、その元気もないらしい。
「ま、いいんでねーの。俺らがちゃんと付き合いだしたのも、おまえら位の年の時だし」
デスマスクの軽口に、アフロディーテはにこにことうなずいた。
シュラは全身から力が抜けていくのを感じた。
どうやら、自分を騙すための演技ではない。
ため息をつくと、シュラは革の財布をデスマスクに放り投げた。
「俺、今日、教皇補佐だから、おまえら行って来い」
「なんだ、一緒に行かないのか」
「いや、いい。もう帰るわ、俺」
むくれるアフロディーテを軽くいなし、シュラはふらふらと出て行った。
悄然とした後姿を見送ったデスマスクは肩をすくめた。
「やべーな、あれ、結構ショック受けてる……」
「そうだな……」
賭けの対象にされて不機嫌なミロは、二人の会話に何か違和感を感じた。
賭けに負けたくらいのことが、それほど重大とも思えない。
なにか他に、シュラにダメージを与えるようなことがあっただろうか。
上目遣いに目で訴えかけてくるミロに、アフロディーテは人差し指に髪を巻きつけながら答えた。
「シュラもね、けっこうカミュ、気に入ってるんだよね」
「ええっ、そうなの?」
ミロは目を丸くした。
日頃のシュラの様子を思い返してみても、そんな気配は微塵も感じられなかった。
アフロディーテがため息をつく。
「うん、本人認めてないけどね。きっとそう」
「だから、おまえがカミュに惚れたとなると、奴にとってはやばい事態なわけよ」
ミロとカミュは自他ともに認める親友同士である。
しかし、友人だと思っていた一方に、友情以上の感情が芽生えたらどうなるのか。
少なくとも同じ相手を想う人間にとっては、最強にして最大のライバルが忽然と出現することを意味するのである。
「ま、シュラのことは気にしなくていいよ。ずっと忠告してあげてたのに、何にも行動しなかったあいつが悪い」
アフロディーテが、ミロの頭をよしよしとばかりに撫でた。
ミロは珍しく素直になすがままになっている。
「でも、俺だってどうしていいかわかんない……」
ミロは情けない顔を隠そうともしなかった。
カミュを好きだと気がついてしまったけれど、まだどこか嘘っぽくて、信じられない。
それでもなんだか顔が合わせづらくて、いつも一緒に食べていた夕食も、なんだかんだと口実をつけては逃げていた。
それに、気持ちを正直に伝えたところで、受け入れられるとは限らないのだ。
せっかく親友として良好な関係を築いているのに、それを自ら壊す勇気はミロには無かった。
「デス達はどうだったの、付き合い始めって?」
親友から恋人に昇華した先達に、ミロが真剣な面持ちで尋ねる。
デスマスクとアフロディーテは顔を見合わせると、同時に吹きだした。
「や、参考にはならんと思うぞ」
「そうだな。ま、人それぞれということだ」
ミロの質問をやんわりと拒絶したアフロディーテは、そのかわり、とても綺麗な微笑をみせた。
「でもね、一つ教えてあげよう。恋をするって、とても、素敵なことだよ」
デスマスクが、柄にも無く照れたように壁のほうを向き、かりかりと頭をかきだした。
ミロの胸の奥が、ほんのりと温かくなった。
ああ、なんかいいな、こうゆうの。
戦闘ばかりの自分たちにも、こんな和める世界を与えてくれるもの、それが、恋、なんだろうか。
とっぷりと日も暮れた頃、シュラはようやく仕事を終えて、教皇の間を後にしようとしていた。
昼間のミロの爆弾発言のせいで仕事に集中できず、結局こんな時間までかかってしまった。
いつもの三倍くらい仕事をした気がするほど疲労困ぱいし、重い足をひきずり帰ろうとするシュラに、側廊から出てきた人間が声をかけた。
「シュラ、ずいぶん遅くまで仕事してたんだな」
シュラは思わず息を呑んだ。
あまり、今、会いたくない人物だった。
「……カミュ、おまえもいま帰りか?」
昼間の巨蟹宮で、分が話題に上っていたことなど知らないカミュはうなずいた。
「ああ、読書してたら、いつの間にか日が暮れていた」
時折、教皇の間から帰る時に書庫から出てきたカミュと鉢合わせ、それほど長くもない宮までの階段を共に歩くこともあった。
しかし、よりによって今日でなくてもいいだろうに。
シュラは肩を落とした。
「どうかしたのか、元気がないようだが」
「ああ、疲れたかな、今日はちょっと」
嘘はついていない。
今日は疲れた、精神的に。
カミュは疲労が色濃く残るシュラを気遣ってか、常にも増して口数が少なくなっていった。
自宮に着いてほっとしたのもつかの間、すぐに扉を叩く音がした。
ノックというよりは、肩でぶつかるような鈍い音。
そういう粗暴な動作をするのは、デスマスクあたりだろう。
シュラは舌打ちしながら、玄関に向かった。
「開いてるぞ」
「開けられない」
その声に、シュラは慌ててドアノブを回した。
扉の向こうにカミュがいた。
手にはまだ湯気の出ている両手鍋をかかえている。
「今から食事作るのもなんだろう。よかったら食べてくれ」
シュラはあっけにとられつつも、差し出された鍋を受け取った。
「あ、ああ。ありがとう……。おまえは?」
「食欲、ないんだ。それに昨日のも残ってるし」
カミュは、それじゃ、と言い残して階段を上がっていった。
シュラはため息をついた。
いつも、カミュがミロと食事をしているのは知っていた。
そしてこの数日、ミロが磨羯宮より上には行っていないことも知っていた。
自分の気持ちに気づいてから、ミロはカミュを避けていた。
それは、わかる。仕方のないことだとも思う。
でも、カミュは訳もわからず、突然一人にされているのだろう。
二人に慣れた身には、一人の食事は寂しすぎる。
今日は来るかもしれないと、ミロの分の食事を用意して、無駄にして、というのを繰り返しているに違いなかった。
シュラは鍋を覗き込んだ。
たっぷり二人分はあるブイヤベースだった。
一匙、すくってみた。
「……ちくしょう、うまいな」
シュラは笑った。
乾いた笑いだった。