無憂宮
混乱


 食事ができたから、と、わざわざ彼を捜しにまで行ったのに、その苦労はあまり報われなかった。
 冷静に考えたら、そもそも食事を作る、ということでさえ、自分の義務ではないはずだった。
 ほとんど手をつけられないまま残された料理が、テーブルの上で冷たくなっていた。
 頬杖をついたカミュは、ため息を落とした。
 いつもなら、こんなことはないのだ。
 いつもなら、作った料理を、鍋ごと抱え込む位の勢いで食べるのだ。
 いつもなら、食事の間中、にこにこと楽しそうに話し続け、異常なほど時間をかけて食べるのだ。
 いつもなら。
 しかし、今日のミロはおかしかった。
 ぼんやりとして、口数が少なく、視線が合うとすっと目を逸らす。
 食欲もないらしく、いたずらにフォークをじゃが芋に突き刺しては穴を空けていた。
 外で眠り込んでいたから風邪でも引いたかと心配になったが、そういうわけではないらしい。
 熱があるのか、額をくっつけて確認しようとしたら、脅えたような顔をして逃げていった。
 そのまま、帰ってこなかった。


 翌日も、その翌日も、同じだった。
 食事ができた、と、呼びにいくと、激しく狼狽した表情を見せる。
 今日はデスたちと食べるから、とか、食欲がない、とか、とってつけたような言い訳が、空しい。
 何年の付き合いだと思っているのだ。
 嘘をつくときに、わずかに目が泳ぐミロの癖ぐらい、熟知している。
 ミロの視線は一点に定まろうとさえしなかった。
 二人分の食事を作り、二人で食べるのが長年の習慣として身についてしまっていた。
 ふと気づけば、二人分の野菜を刻み、二人分の食器を用意している。
 一人で食べる食事は、味すらわからなかった。
 カミュは、テーブルの向かい側を見遣った。
 空いた椅子が、寂しかった。


 「ああっ、もう!」
 カミュは舌打ちした。
 包丁を握る手が滑り、指を切った。
 慎重なカミュにしては珍しいことだ。
 切った指を口に含むと、鉄の味がした。
 「一体、何にいらついているのだ」
 テーブルに着いたシャカが、呆れたように問いかける。
 カミュは指をくわえたまま振り返った。
 ばつが悪そうに呟く。
 「……別に」
 久しぶりに戻ってきたシャカは、前から頼んでいたキーマカレーのレシピと香辛料を持ち帰って来てくれた。
 早速、試作に取りかかってはみたものの、カミュの心中は穏やかではなかった。
 元々、キーマカレーが食べてみたい、と、言い出したのは、ミロだ。
 基本的に、カミュもシャカも食に対する意欲が薄い。
 シャカなどは本当に食べることを忘れさえするが、カミュはそうではなかった。
 ただ、常に、ミロの食事の相伴をしていたから、結果的にきちんと食べているだけだ。
 常に、ミロが傍にいたから。
 しかし、今は、折角ミロの希望通りに料理をしても、彼が食べに来る保障はなかった。
 「ミロは、今日はいないのかね」
 カミュの内心を見透かしたようなタイミングで、シャカが声をかける。
 彼の閉ざされた瞳は、本当に何もかも見通しているのかもしれなかった。
 「しらない」
 「珍しいな、君たちにしては」
 シャカがわずかに口角を持ち上げた。
 カミュはシャカの揶揄するような言葉を無視して、皿にカレーとナンを盛り付けた。
 「食べてみてくれ」
 少々乱暴に卓上に置かれた皿に、シャカは静かに手を伸ばした。
 「ふむ、カレーはいいが、ナンが物足りないな」
 「そうか、何が悪いんだろう?」
 「それは、自分で考えたまえ」
 カミュは自分の分に口をつけた。
 正直、あまり食べたことがない料理なので、何がよいのかもよくわからなかった。
 「……考えても、わからないことも、ある」
 ぽつり、と呟かれた言葉に、シャカは微笑を浮かべた。
 今のカミュが抱えている疑問は、料理のことだけではない。
 喧嘩をしたわけでもないのに、突然自分を避けだした友人の不可解な行動に、翻弄されていた。
 原因がわからない以上、放置しておくしかないと決めたのだろうが、それでも内心の動揺は隠せない。
 突如一人にされた寂しさ、困惑、怒り。
 ミロの温かな眼差しや明るい笑い声が、もう二度と自分には向けられないのかもしれないという不安……。
 カミュの心の中では、諸々の感情が行き場も無く渦巻いている。
 普段ならミロが座るであろう椅子に腰掛けているシャカには、よくわかった。
 カミュの視線は、わずかに上に投げられてから、シャカに合わせて修正されていた。
 シャカよりも体格のいいミロの瞳の位置が、カミュには染み付いているのだ。
 そして、その度にカミュの瞳をよぎる色は、カミュの心の内を腹蔵なくさらけだしている。
 菩提の境地に達したシャカには無縁な心情だが、だからこそカミュの混乱、そしてその原因となったミロの執心が微笑ましかった。
 人は煩悩を断ち切れず、それゆえに愛すべき存在なのだ。
 「……いずれ、自ずとわかる時も来よう」
 「そういうものか?」
 「そういうものだ」
 シャカは莞爾として笑った。
 カミュはもう一度ナンに手をつけた。
 わかるには、もう少し時間が必要なようだった。

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