無憂宮
夢想


 風の吹き付けるごうごうという音も、聞き慣れてしまうと子守唄に聞こえる。
 ソファに身を横たえ本を読んでいたカミュは、強風に誘われるようにうとうとと眠りの淵を漂っていた。
 久方ぶりの一人の時間は、師であるという緊張感をも解いてくれる。
 無意識下で、弟子の前では完全な存在であろうとしていたのかもしれない。
 聖域にいた頃のように何の気負いも無く過ごす時間も、時には良い。
 自堕落な時の消費は、望むべく最高の贅沢だった。
 もっとも、それもつかの間のこと。
 突如、風に混じり繰り返される無粋な騒音に、その安寧な時間は妨げられた。
 扉を叩く音。
 まだ弟子が戻ってくる時間ではないのだが。
 漠然とした不審感と共に、カミュはゆっくりと現実世界に浮上してきた。
 まどろみの中に取り残されたままの鈍い感覚をもどかしく思いながらも、上体を起こし入口を見遣る。
 極北の地では、まだまだ春の到来も名ばかりだ。
 寒風吹きすさぶ中、出迎えを待てなかったのか。
 勢いよく扉が開かれると同時に、舞う雪に押し込まれるように客人が飛び込んできた。
 逆光に妨げられた視界に、長身のシルエットが映る。
 寝起きでまだ働かない頭は、戸口に立つ人物の名をカミュに告げていた。
 見開いた瞳から放たれる視線を一身に浴びながら、客人はそれ以上の雪の侵入を防ごうとしてか、慌てた様子で扉を閉めた。
 すかさず温かい家の中に入り込もうとする激しい風を外へ追い出すと、ようやく振り向き笑いかけてくる。
 「なんだ、寝てんの? ひよこちゃんたちは?」
 モノクロだった世界が、途端に鮮明に色づき始める錯覚を覚える。
 それほど明朗な声が、室内に響き渡った。
 状況をよく認識できないまま、カミュは少しぼんやりとした表情を向けた。
 「……ミロ?」
 「ぼけぼけしてるな、相変わらず」
 口の悪い友人の台詞に、ようやくカミュの思考は追いついてくる。
 けなされて目覚めるとは、負けず嫌いな自分らしい。
 わずかばかりの苦笑いを無理やり押し殺しながら、カミュはミロを見上げた。
 「ひよこというのがアイザックと氷河のことなら、マースレニッツァに行ってる」
 「マースレニッツァ?」
 耳慣れない単語を呆けたように繰り返すミロに、カミュはうなずいてみせた。
 「近くの村で春を迎える祭があるんだ。夜まで自由行動」
 「いいな。俺、修行中そんなのなかったぜ。ほんとに修行してんのか、おまえら」
 「ここで暮らすだけでも修行だ。それとも、おまえ、ここに五年住むか」
 寒さに弱いミロの性質を十分理解した上で、意地悪く問う。
 本領発揮というところだ。
 滅相もないと言いたげに、ミロは勢いよく首を振った。
 途端に髪から雪が零れ落ち、驚いたように蒼い目が瞬く。
 その様子が可笑しくて、カミュは表情を緩めた。
 「まあ、ちょうどいい時に来てくれた。六時に待ち合わせになってるから、一緒にお迎え、よろしく」
 「よろしくって……。近くなんだろ、迎えなんか必要か?」
 「距離的には聖域からクレタ島くらいかな。テレポートするなら近いだろ」
 テレポートしてまで祭に連れて行きたいかと、ますます呆れ顔のミロには構わず、カミュは立ち上がると眠気を振り払うように大きく伸びをした。
 視界の隅に、勝手に荷物を置き、雪を払ったコートを掛けるミロの姿が入った。
 何度目の訪問か、もう分からないほどなのだ。
 どこに何があるか、自分の家のように熟知しているはずだ。
 それでも、一応客であることに変わりはない。
 濡れた髪を拭くようにとタオルを差し出すと、ミロは嬉しそうに破顔した。
 久々に見る屈託のない明るい笑顔が、なんとなくくすぐったい。
 春陽の到来を祝う祭に背を向けた自分を案じて、太陽の方からこちらに来てくれたようだった。
 とはいえ、彼の訪問により胸の奥に灯った仄かな光に気づかれるのは癪だ。
 カミュはことさらぞんざいにタオルをミロに押し付けた。
 気にしたふうもなくタオルを受け取ったミロは、さっきまでカミュが寝ていたソファにどっかと腰を下ろす。
 ひとしきり長い髪をがしがしとかき回すと、それでもう満足してしまったらしい。
 彼の注意は、すぐに他の物に向けられた。
 「あれ、何か飲んでた?」
 テーブルには、琥珀色の液体に半ばまで満たされたグラスがあった。
 カミュの読書の友だったものだ。
 「ああ、ホットブランデー。もう冷めているだろう。飲むなら作るが」
 台所に行こうとしたカミュの腕が掴まれる。
 振り向くと、ミロは小さく首を振って笑った。
 「いいや、これ、味見するから」
 そうか、と、納得した瞬間を狙われた。
 油断を悔いる間もなかった。
 腕にかけられたミロの手がぐいと引っ張られ、バランスを崩したカミュはそのままミロの腕の中に倒れこんだ。
 慌てて起き上がろうとするが、既に、遅い。
 カミュの首に腕を廻しその逃走を禁じたミロは、紅い瞳を覗き込みながら、にやりと笑みを浮かべた。
 「……じゃ、いただきます」
 ミロの口付けに熱せられ、火酒の名残の香が仄かに吐息に混じった。
 彼が味見をするというブランデーは、グラスの中ではなく、自分の口腔にわずかに残るものであるらしい。
 酒とは違う酔いに、ぐらりと世界が揺らめいた。


 「おまえは……!」
 しばらくしてようやく解放されたカミュは、思い切りミロをにらみつけた。
 頬が熱い。
 ここに鏡が無いのがありがたいと思えるほど、今の自分は真っ赤な顔をしているはずだ。
 しかし、ミロの突飛な行動にカミュが怒りを露にするのはいつものこと。
 すっかり慣れてしまったのか、ミロはいささかも動じない。
 それどころか、唇の端を嫌味っぽく持ち上げて、カミュの耳元で囁く。
 「おいしかった。お代わりしていい?」
 「ばか……」
 それ以上の抗議を遮るように、ミロはカミュを抱き締めた。
 先程までの揶揄する口調とはうって変わった、心の底から安堵したような呟きが漏れた。
 「会いたかった、カミュ」
 久しぶりに自分をかき抱く腕の中で、やっとカミュは大人しくなった。
 全身を包み込むミロの体温が心地よくて、うっとりとまどろむように瞳を閉じる。
 過酷な自然環境にぶつぶつと文句を言いながらも、ミロは遠くシベリアまでやって来てくれるのだ。
 それも、偏にカミュのため。
 目眩がするほどの幸福感が、離れていた時間と距離を埋める。
 「……ひよこちゃん、六時まで帰ってこないんだよな」
 返事の代わりに、カミュはミロの背に伸ばした腕に力を込めた。


 カミュのベッドは大人二人が寝るにはやや狭いが、お互いのぬくもりを感じあうにはちょうどいい広さだった。
 ひとしきりじゃれあった後の独特の心地よい疲労感の中、ミロはぼんやりと天井を眺めていた。
 傍らでは、カミュが薄く微笑みながら、シーツに広がる金髪に指を差し入れている。
 暇な時や酔った時など、カミュは手持ち無沙汰になると、よくこうしてミロの髪を指に絡めて遊んでいた。
 癖の強いミロの髪は、カミュのそれと違い、指の間からさらさら零れ落ちることもない。
 そうやって指にまとわりつく金糸を解く行為に、カミュは知恵の輪を解くような楽しみを見出しているのかもしれなかった。
 どうやら、これからは情事の後というのも、この手慰みの時間に充てられるらしい。
 ミロは苦笑すると、天井からゆっくりと視線を下ろした。
 壁から床へと移動する途中、穏やかな笑みを含んだ紅い瞳にぶつかる。
 「そんなに楽しいか」
 沈黙を破った問いかけに、カミュは小さく微笑むと、指を髪から引き抜いた。
 「全然似てないのにな、と思って」
 「何が?」
 カミュには珍しい主語も目的語もない発言に、ミロは眉を顰めた。
 何故か、嫌な感じがした。
 そして、自分の勘は、こういう時は特に当たるのだ。
 ミロの顔に不穏な影が射すのも気づかないのか、カミュは無邪気に笑った。
 「ミロとサガ。さっき、お前が入ってきた時、一瞬サガかと思ったんだ」
 夢を見ていたんだ、と、カミュは目を細めた。
 この家で修行していた幼い頃、時折サガが様子を見に来てくれていた、その時の夢だった。
 戸口に立ったミロのシルエットは、風に煽られた髪のせいかサガの姿に見え、夢の続きかと驚いた。
 そう言って微笑むカミュに、他意は無い。
 それはわかっていた。
 それでも、カミュは無意識とはいえ、ミロが心の奥底に封印し、目を背けていた扉を開いてしまったのだ。
 ミロはぎりっと音が鳴るほど奥歯を噛み締めた。
 堰を切った衝動に、歯止めは効かない。
 勢いよく姿勢を反転させると、カミュの両肩を寝台に押し付ける。
 蒼い瞳が、紅蓮の炎を宿した。
 「俺はサガじゃない!」
 「ミロ?」
 突然激昂したミロに、カミュは瞳を瞬かせた。
 なぜミロがそれ程怒りを浮かべているのか全く分からないといった顔で、きょとんと見上げてくる。
 戸惑いを浮かべた真紅の瞳は、氷の鏡のようにミロの姿を映しこんでいた。
 不条理な感情に支配された醜い男の姿。
 見たくない。
 しかし、今カミュが目にしているのは、この醜悪な男の顔なのだ。
 我に返ったミロは、行き場のない怒気を無理やり呑み下した。
 そのあまりの苦さにふうっとため息をつくと、カミュの肩を押さえつけていた手からようやく力を抜く。
 「ごめん、カミュ。何でもない」
 「何でもなくないだろう」
 扇のように広がる紅い髪の海の中、仰向いたカミュは、視線で射抜こうとするかのように、ミロを静かに見据えた。
 誤魔化しを嫌うカミュの潔癖さが、今ばかりは恨めしい。
 納得のいく答が得られるまで、彼が追及の手を休めることはないだろう。
 とはいえ、原因が自分にあることは明らかだ。
 ミロはゆっくりと体を起こすと、カミュに背を向けた。
 顔を見ながら話したいような話題ではない。
 「……俺、嫌なんだ」
 カミュの口から、サガの名を聞きたくなかった。
 懐かしさと憧憬が篭った声で、その名を呼んで欲しくなかった。
 カミュの心の中に延々と住み続ける、サガの名を。
 子供の頃、とても世話になった人だというのはよくわかる。
 ミロも、彼のことは好きだった。
 それでも、時折思ってしまうのだ。
 もしサガが失踪しなかったら、もし今も聖域にいたら、カミュはサガではなくミロを選んでくれただろうか、と。
 格好悪い告白。
 いなくなってからもう何年も経つ人間に対して嫉妬を抱いているなどと、できることなら隠したままでいたかった。
 狭量な男だと、侮蔑されても仕方が無い。
 先程までの充足感は幻のように消え去り、ミロは力なく背を丸めて俯いた。
 その背に、小さなため息と共に漏らされた呟きが届く。
 「……ばかだな、おまえ」
 「どうせバカだよ」
 ふて腐れたように、ミロはうそぶいた。
 でも、そうやってバカになるのが、人を好きになるってことだろ。
 続けようとした反論の台詞は、喉元で呑みこまれた。
 何の前触れも無く、背後からカミュが抱きしめてきたのだ。
 「ほんとに、ばかだ」
 カミュが言葉を発すると、肩に載せられた顎が小刻みに動き、頬に吐息がかかる。
 そのかすかな刺激が、ミロの強張った身体を解きほぐすようにじんわりと沁み込んでいく。
 「あまりにばかすぎて、だから私はおまえを放っておけないんだろうな」
 肩越しに首を伸ばしたカミュは、ミロの瞳を覗き込んできた。
 視線を逸らすことも許さない、紅い炎に魅入られた。
 「私が好きなのは、おまえだ」
 瞬きも、忘れた。
 水と氷の魔術師は、言葉の魔術師でもあるのかもしれない。
 鬱屈を解き放つ呪文の威力は絶大だった。
 ミロの肩が小刻みに震えだし、カミュが驚いたように抱きしめた腕を解く。
 肩を震わせ喉奥で笑っていたミロは、やがて、天井を見上げて高々と哄笑し始めた。
 「ミロ……?」
 「……ああ、笑いすぎて涙出てきた……」
 目の端をかすかに光らせ、ミロはなおも笑い続けた。
 そうして笑いながらも、怪訝そうに小首を傾げていたカミュを抱き寄せ、その肩を優しく撫でる。
 力任せに掴んでしまったことへの謝罪の意を、掌に代弁させたつもりだった。
 「おまえ、よくも人のことバカバカ言ってくれたな」
 「……ばかをばかと言って何が悪い」
 ミロの腕の中に納まりながらも、カミュは照れ臭さを隠すように、顔を背けて憎まれ口を叩いた。
 視線を外したまま、少しふて腐れたように唇を尖らせる。
 その表情は、意地っ張りな幼い子供の頃と全く同じ。
 ミロは口の端を悪戯っぽく持ち上げた。
 「悪いさ。俺、深く傷ついたから。責任もって癒してもらわないと、な」
 その台詞をいつもの戯言といなしつつも、内に含まれるほんの少しの真実を嗅ぎ取ったのだろうか。
 気遣わしそうに見上げてくる、その一瞬をミロは逃さなかった。
 「……おまえ、つくづく、ば……」
 顎にかけられた指の意図を察し、呆れたようにカミュが紡ぐ言葉を、ミロは皆まで言わせなかった。
 そのかわり、最後の一音を吸い取り、ゆっくりと口の中で味わうことにした。


 遠くで水の流れる音がした。
 ミロがシャワーを浴びている音だ。
 寝台に残されたカミュは、一人、枕を抱きしめ横たわっていた。
 全身に纏わりつく快楽の名残に、身体の輪郭も定かではないような感覚に襲われる
 そうして恋人を抱くようにして枕に支えてもらわねば、四肢が液体となって蕩けてしまいそうな錯覚さえ覚えていた。
 陶酔に麻痺したような身体で、唯一現実感を持っているのは、ミロに鷲掴みにされた両肩だった。
 まだかすかに食い込んだ爪の痕が残っている。
 痛みも、少し。
 それはミロの手による肉体的な傷のためではなく、無意識とはいえ彼を動揺させたことに対する心の痛みだった。
 自分は、ミロの何を見ていたのだろう。
 ミロが垣間見せた怒りと苦痛に歪んだ表情が、脳裏に焼きついて離れなかった。
 サガは、カミュの初恋の人だから。
 いつまでもサガを忘れられないカミュを、ミロはよくそう言って笑っていた。
 カミュにしてみれば、サガは初めて好きになった、人間、だった。
 初恋などというものではなく、もっと根源的な、恩人ともいうべき存在だった。
 そう思うからこそ、いつものミロの冗句に過ぎないと聞き流していたのだが、どうやらそうではなかったらしい。
 おそらくカミュがサガの名を口にする度に、ミロは笑顔の陰で嫉妬の炎を燻らせていたのだろう。
 少しも気づかなかった。
 冗談めかしたミロの悲鳴を、今までカミュは少しも聞き取っていなかったのだ。
 言葉にしなくてもわかってくれるというのは贅沢な思い込みだ。
 いつだってミロはカミュの思考を読みとったように接してくるから、それに慣れてしまっていた。
 どんなにひねくれた反応を返しても、隠された本心に気づいてくれるから、甘えてしまっていた。
 自分にとって、最も必要で、最も大切な、ミロに。
 もっと素直になって、想いを明確な言葉で伝えていれば、ミロも徒に苦しむ必要はなかったかもしれない。
 それでも、彼を大事にしなくてはならないと自戒しつつも、一方で素直になりきれない自分の存在は否定できなかった。
 どこかで不安を感じてしまうのは、やはりサガのことが胸に引っかかっているせいかもしれなかった。
 大切な存在の喪失への脅えは、あのときカミュの心に刷り込まれてしまった。
 サガが消えた、あのときに。
 別離の辛さを味わいたくなくて、初めから相手に関り過ぎないように自制する。
 そうならないように、サガは最後の挨拶にきてくれたはずなのに。
 サガがいなくなっても心を閉ざすことなく、誰かを愛することができるように。
 今の自分は、ミロにもサガにも不実だ。
 カミュはぎゅっと枕を抱きしめた。
 ねえ、サガ。
 瞳を閉じ、虚空に呼びかける。
 私にはミロがいてくれるから大丈夫です。
 あなたにも、そんな人が傍にいますか。
 そうであれば、よいのだけれど。
 記憶に残るサガは、常に穏やかに微笑んでいた。
 その優美な微笑を、今もどこかで誰かに向けていることを願った。


 水の流れる音が止まった。
 もうすぐ、ミロがシャワーを終えて戻ってくるだろう。
 そして、よく寝る奴だと苦笑しながらも、口付けて起こしてくれるだろう。
 それはとても幸せな一瞬だから、もう少し、こうして寝た振りをしていよう。
 もう、少し。
 扉の開く音を夢うつつに聞きながら、カミュは深いまどろみの中に落ちていった。


 春告祭の夜はまだまだ続く。
 太陽の昇らない長い冬を終え、ようやく待ち焦がれた春を迎える。
 久しぶりに姿を現した太陽を祝うため、大人も子供も区別無くはしゃいでいた。
 人の熱気に雪まで解けそうな喧騒の中、待ち合わせた場所には、すでに二人の弟子たちが待っていた。
 「あ、先生! ……と、なんでミロまでいるの」
 「ミロが来るから、今日休みだったの?」
 アイザック達にしてみれば別に悪意のない質問だろうが、結果的に後ろ暗いところがあるカミュは激しくうろたえたようだ。
 「そ、そういう訳ではない……」
 いつになく赤面し狼狽するカミュに、兄弟弟子は不審気に顔を見合わせた。
 あまりに不自然なカミュの反応に苦笑しつつ、ミロは彼らの手にした袋を覗き込んだ。
 中にはまだ熱い焼き菓子が詰め込まれていた。
 「なんだ、これ? 俺への貢物か」
 アイザックは袋をミロから守るように慌てて後ろ手に持ち替えると、眼光を精一杯鋭くして見上げてきた。
 「何でミロにやんなきゃいけないんだよ!」
 「そうだよ、先生にあげるに決まってるだろ」
 氷河も口を尖らせて加勢する。
 二人はとても息が合う。
 相手がミロのときは、とくに。
 年長者への敬意など微塵も感じさせない口吻は、カミュをいつも嘆息させていた。
 とはいえ、二人はたまに来るミロを迎える度に顔を輝かせるし、帰る時には少し寂しげな素振りを見せる。
 師の友人を慕ってはいるのだが、それを素直に認めたくないのだろう。
 大好きな師匠を、自分たち以外の誰かに取られるのが嫌なのだ。
 子供らしい独占欲。
 ミロもその辺りの複雑な心境は十分承知していた。
 自分にも覚えがある。
 突如沸き起こる既視感。
 記憶のイメージが、重なった。
 ミロの眼前の光景が、聖域に変わった。
 いつもカミュを独り占めしてずるいと、口を尖らせて文句を言う金髪の子供と、それを笑ってあしらっている年嵩の少年の姿が見えた。
 あの頃の、俺だ。
 俺と、サガだ。
 ため息と共に、苦笑が漏れた。
 どうやら自分は成長していないらしい。
 子供の頃のまま、今もカミュを独占したくて、サガの背を追いかけている。
 そして、この子供たちからみれば、ミロ自身がサガの立場にあるのだろう。
 そう遠くない将来に、彼らは自身が乗り越えるべき存在としてミロのことを想起するのかもしれなかった。
 口許が、皮肉な笑いの形に歪んだ。
 まあ、せいぜい高いハードルになってやるさ。
 新たな決意を内心に携え、ミロは横目でカミュを見た。
 カミュは祭の話をしたくてうずうずしている弟子たちの頭を撫でていた。
 昼間ミロの腕の中でみせた蕩けそうな恋人の顔ではなく、穏やかで温かな師の笑顔に戻っている。
 ごくわずかな失望と、それを補って余りある独占の喜びに浸るミロの気も知らず、カミュは弟子たちに微笑んだ。
 「じゃ、夕食はここで食べていくか。ミロがご馳走してくれるそうだ」
 子供たちの歓声が、ふいに耳に飛び込んできた。
 現実は、無情だ。
 ミロはカミュに向けた笑顔が引きつるのを感じた。
 「こ、この底なし胃袋のガキどもにおごるの?」
 「たまにはいいだろ?」
 「……いいけど、俺ドラクマしか持ってない」
 「……使えないな、おまえ」
 小声でかわされる保護者の会話を知ってか知らずか、子供たちは我先にとカミュの手をとって歩き出した。
 傍目には仲の良い兄弟にしか見えない後姿が人ごみに紛れていく。
 この中に交じる自分も、やはり他人から見たら兄弟に見えるのだろうか。
 ふとした思い付きに、なぜか心が安らぐ自分が可笑しい。
 小さな未来の聖闘士たちに、カミュがささやかなご褒美をあげたくなる理由が分かる気がした。
 厳しい修行の合間にも、たまにはこんな楽しい夜も悪くない。
 ミロは微笑を刻むと、ゆっくりと師弟の後を追いかけた。

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