誓約
降り注ぐ陽射しに、吹き抜ける風に、秋の気配が色濃く窺えるようになってきた。
猛暑を誇るギリシャにも、ようやく過ごしやすい季節が訪れつつあるのだ。
それでもカミュは、過ぎ去った夏の日と同じように、日陰に避難していた。
宮の庭、泉上に張り出した木の枝は、格好の避暑地だった。
水辺の空気はひんやりと湿り気を帯び、厚く生い茂った木の葉は陽光を遮断してくれる。
時折風が奏でるかすかな葉擦れの音に包まれ、カミュは枝に止まった小鳥のように腰をかけていた。
聖域を見下ろす十二宮、なかでもカミュの守護する宝瓶宮は高みに位置する。
必然的に、眼下に広がる聖域がよく見渡せた。
埃が立つほど乾燥した石畳の小道も、所々に冷涼な影を落とす緑の木々も、過日と何一つ変わらない。
女神の降誕に湧き、未来への希望と来たる聖戦への緊張とが、聖域中に満ち溢れていた頃と。
それでも、光輝くようなこの地に、拭いがたい澱のようなものが淀んでいるように見えるのは僻目だろうか。
カミュは小さくため息をついた。
あれから一月も経っていないのに、自分は随分歳を取ってしまった気がする。
サガの失踪と、アイオロスの叛乱。
聖域の双璧と称えられた二人は、相次いで姿を消した。
何の前触れもなく、突然に。
いや、気づこうとしなかっただけなのかもしれない。
聖闘士も神官も、聖域に住まう全ての人間が、現実から目を背け、平穏無事な聖域を装い続けていただけだったのかもしれない。
気づいた時には、既に不穏の種子は根を張りめぐらせていた。
日の傾きと共に知らぬ間に伸びていた影の長さに驚くように、突然に見える変化も、水面下で徐々に進行していたのだろう。
カミュは唇を噛みしめた。
誰を責められる訳でもない。
異変の兆しに気づかなかったのは、自分も同じ。
行き場のない自己嫌悪が、身中を焼き尽くすように渦巻いていた。
こんな時、どうすればいいのか。
青い空を見上げて、楽しいことだけを考えて。
そう教えてくれたのは、サガだった。
二度と見えることすらないかもしれない、この御しがたい激情の元となった張本人。
それでも、他に解決法も思いつかず、カミュはサガに言われたとおり天を仰いだ。
厚く厚く、何層にも重なり合った葉の合間、針の先程の隙間を通し、陽の光が照射される。
眩しくて、泣きたくなった。
「……こんなとこにいたのか」
突然かけられた声に、カミュは慌てて地面を見下ろした。
木漏れ日をはるかに凌ぐ強い光に、一瞬視界が白く奪われる。
明度の落差に次第に適応した瞳が捉えたのは、金色に波打つ髪と蒼い瞳。
こちらを見上げて、ミロが笑っていた。
「そっち、行ってもいい?」
二、三度瞳を瞬かせたカミュは、承諾の返事の代わりに無言で枝先ににじり寄った。
するすると危なげなく登ってきたミロは、先程までカミュが座っていた空間に身軽に飛び移ってきた。
足をぶらぶらと揺らしながら、興味深げに周囲を見渡す。
「へえ、こっからだと聖域がよく見えるんだな」
「うん……」
この樹上はカミュのお気に入りの場所だったが、ミロがここまで登ってくるのは初めてだった。
一つ所にじっとしているのが苦手なミロは、いつもカミュを連れ出そうと木の下で待ち構えているだけだったのに。
相次ぐ異変に、ミロにも何か思う所があったのかもしれない。
再び陰鬱な方向に発展しそうな思考を振り捨てようと、カミュは話題を転じた。
「アイオリアは?」
「さっき会ったけど、落ち着いてたよ。今はアルデバランが一緒にいるはず」
アイオロスの叛乱以来、アイオリアは自宮に蟄居していた。
命を受けた訳ではなかったが、賢明な選択だったといえよう。
カミュたちでさえ、黄金聖闘士に対する猜疑の念を浮かべた視線を嫌というほど感じているのだ。
信頼は、裏切られた瞬間に憎悪に変わる。
その信が篤ければ篤いほど、憎しみの炎は苛烈に燃えさかる。
叛乱者の弟であるアイオリアは、その憤懣をぶつける格好の標的となりかねなかった。
別人のように無表情に塞ぎこむようになってしまった彼に、これ以上の心労を与えたくない。
その身を案じたカミュたちが交代で獅子宮に通っているのも、そんな慮りがあってのことだった。
「俺たちがいるから、リアは、大丈夫」
ミロは真正面を見据えたまま独り言のように言を紡いだ。
「……俺たちは黄金聖闘士だから、皆が迷う時には余計にしっかりしなきゃいけない」
自分に言い聞かせるように、ミロは妙に大人びた口調で呟いた。
彼の一人称が、「僕」から「俺」に変わったのは最近のことだ。
彼なりに、幸せな子供時代との訣別を、そんな変化に含ませているのかもしれなかった。
「……ちょっと、大変だけどね」
「そうだね」
柄にもない重々しい台詞に照れたように微笑みかけるミロに、カミュもまた微笑を返した。
黄金聖闘士は指針たれ。
そう教えてくれた二人は、既に聖域にはいない。
それを今更咎める気はないけれど、それでも傍にいて欲しいと願う気持ちは誤魔化しようもなかった。
ミロも、同じ心境なのだろう。
続く言葉もなく、ただ所在無げに黙していたミロは、腕を伸ばし手近な緑葉を一枚むしり取った。
しばらく手の中で弄ばれていたその葉は、やがてひらひらと泉に舞い落ち、水面にささやかな波紋を生じさせる。
波立ちもすぐに収まり、のんびりと水面を漂いだした木の葉を、カミュはぼんやりとみつめていた。
まるで、自分たちのようだ。
方位磁針も海図もなく大海原に出航する船のような、頼りない自分たち。
それでも、この脆弱な葉ですら落ち着き先を見つけたように、いつかは帰るべき港へ辿り着けるのだろうか。
サガが消え、アイオロスが失せた。
この見捨てられたような聖域を、自分たちは、残された幼い黄金聖闘士たちは、導いてゆけるのだろうか。
「ねえ、カミュ」
漠然とした不安に襲われるカミュの内心を察したか、唐突にミロが声をかけた。
「ねえ、カミュ、約束しよう」
蒼い瞳が、まっすぐカミュの紅い瞳を捉える。
カミュは訝しげにその双眸をみつめ返した。
「みんなばらばらになっちゃったけど、僕たちは、俺たちだけは、ずっと一緒にいよう」
熱のこもった真剣な眼差し。
不安の淵からぐいと引き戻すような力強い声。
予想外のミロの発言に、しばらく瞠目していたカミュは、やがてくすりと笑った。
大丈夫だ、と思った。
この頼りない航海も、ミロがいるなら迷わない。
ミロが、傍にいてくれるなら。
「……うん」
カミュの言葉に、ミロは満面の笑みで頷き返した。
久しぶりに見るミロの明るい笑顔に、カミュは眩しげに瞳を細めた。
ミロも、世界が歪むのを見てしまった一人だ。
それでもミロが笑っていられるのは、傍に自分がいるためだと思いたかった。
自分にとってミロが支えとなってくれているように、ミロにとっても自分の存在はいくらかでも意味のあることなのだと。
そんな思いをひた隠しにしつつ、カミュは小声で「一緒にいよう」と繰り返した。
「……邪魔をする」
近づいてくる、その身を取り巻く空気さえ輝くような錯覚を覚えた。
音もなく二人に歩み寄る訪問者は、シャカだった。
ジャミールに戻ったムウを訪ないに出かけていたはずだったが、ようやく帰ってきたのだろう。
「……ムウの様子は?」
カミュの問いに、シャカは首を横に振った。
さらりと風になびく白金髪から、光の粒子が零れ落ちる。
哀切なまでに美しい煌きが、続く言葉に脅えるカミュの胸に応えた。
「どうあっても聖域に戻るつもりはないらしい。彼の地で修復に専念するとか」
「そう……」
落胆を顕わにするカミュに、シャカは優しく微笑みかけた。
「会いたいのなら、会いに行けばよいだろう。瞬間移動すれば、そう遠くはない」
「そりゃ、おまえならそうかもしれないけど?」
不満そうに毒づくミロに不審気な視線を浴びせかけていたシャカは、やがて得心がいったように頷く。
「そうか、君たちは瞬間移動は不得手であったな」
小宇宙の発動方向としていわゆる超能力に分類される作用には、あいにくミロもカミュも、ムウやシャカほど熟達している訳ではない。
痛い所を突かれ、肩を竦める二人に、シャカは静かに言葉を続けた。
「察していると思い言わなかったのだが、その枝の耐荷重量は、ちょうど君たち二人の体重と同じくらいだ。そのうちに……」
みしりと生木が裂ける不気味な音がした。
反射的に緊張し全身を強張らせる枝上の二人に、シャカの声が無情に響く。
「……折れる」
宣告された言葉の意味を理解する間もなく、二人が腰をかけていた枝が重量に耐えかね、突如根元から折れた。
突然の重力の襲撃になす術もなく、カミュとミロは瞬時に泉に落下し、高い水飛沫を上げていた。
「……もっと早く言え」
全身ぐっしょりと濡れたミロが、濡れて顔に張り付く髪をかき上げながら、忌々しげに吐き捨てる。
「当然予知していると思ったのでね」
悪びれもせずにうそぶくシャカに、ミロは舌を鳴らして立ち上がった。
「……ああ、そうですかっ!」
「……何の真似だ」
立ち上がりさま大きく水面をかいたミロの腕は、寸分違わずシャカを狙い水を跳ね上げていた。
前触れもない攻撃に、さすがのシャカも防御が間に合わなかったらしい。
髪も衣にも水を浴びたシャカは、ゆらりと立ち尽くしていた。
かすかに声に怒気が篭っているが、濡れそぼった姿ではいつもの神々しいまでの迫力もなかった。
「いや、当然予知してるもんだと思ってね」
悪戯っぽく口の端をにやりと持ち上げるミロに、カミュは思わず笑い声を上げていた。
「カミュ、君も笑いすぎだ」
「すまない、でも……」
なおも笑い止まないカミュを不興気に睨んでいたシャカは、やがてふっと口許を緩めた。
「まあ、よい。ついでに水浴びでもさせてもらおう。場所を空けたまえ」
「空けてくれって言えよな」
言葉は乱暴ながらも、ミロは素直に泉の奥へと移動した。
そして、シャカが泉に足を踏み入れるや、両手でばしゃばしゃと水を浴びせかける。
シャカも負けじと水面に手をかざした。
途端に泉が波立ち、渦巻く水流が威嚇する水神のごとく立ち上った。
「嘘、それを俺にぶつける気……?」
「先に仕掛けたのは君だろう?」
「待て、落ち着け、シャカ!」
腰まで水に浸かりながら、大騒ぎして対峙する二人を、一人岸辺に戻ったカミュは微笑んで見守っていた。
久々に十二宮に響く明るい声が、聖域を導く瑞兆のように思われた。
降り注ぐ陽射しに、吹き抜ける風に、秋の気配が色濃く窺えるようになってきた。
猛暑を誇るギリシャにも、ようやく過ごしやすい季節が訪れつつあるのだ。
それでもカミュは、過ぎ去った夏の日と同じように、日陰に避難していた。
宮の庭、泉上に張り出した木の枝は、格好の避暑地だった。
水辺の空気はひんやりと湿り気を帯び、厚く生い茂った木の葉は陽光を遮断してくれる。
時折風が奏でるかすかな葉擦れの音に包まれ、カミュは枝に止まった小鳥のように腰をかけていた。
聖域を見下ろす十二宮、なかでもカミュの守護する宝瓶宮は高みに位置する。
必然的に、眼下に広がる聖域がよく見渡せた。
埃が立つほど乾燥した石畳の小道も、所々に冷涼な影を落とす緑の木々も、過日と何一つ変わらない。
女神の降誕に湧き、未来への希望と来たる聖戦への緊張とが、聖域中に満ち溢れていた頃と。
それでも、光輝くようなこの地に、拭いがたい澱のようなものが淀んでいるように見えるのは僻目だろうか。
カミュは小さくため息をついた。
あれから一月も経っていないのに、自分は随分歳を取ってしまった気がする。
サガの失踪と、アイオロスの叛乱。
聖域の双璧と称えられた二人は、相次いで姿を消した。
何の前触れもなく、突然に。
いや、気づこうとしなかっただけなのかもしれない。
聖闘士も神官も、聖域に住まう全ての人間が、現実から目を背け、平穏無事な聖域を装い続けていただけだったのかもしれない。
気づいた時には、既に不穏の種子は根を張りめぐらせていた。
日の傾きと共に知らぬ間に伸びていた影の長さに驚くように、突然に見える変化も、水面下で徐々に進行していたのだろう。
カミュは唇を噛みしめた。
誰を責められる訳でもない。
異変の兆しに気づかなかったのは、自分も同じ。
行き場のない自己嫌悪が、身中を焼き尽くすように渦巻いていた。
こんな時、どうすればいいのか。
青い空を見上げて、楽しいことだけを考えて。
そう教えてくれたのは、サガだった。
二度と見えることすらないかもしれない、この御しがたい激情の元となった張本人。
それでも、他に解決法も思いつかず、カミュはサガに言われたとおり天を仰いだ。
厚く厚く、何層にも重なり合った葉の合間、針の先程の隙間を通し、陽の光が照射される。
眩しくて、泣きたくなった。
「……こんなとこにいたのか」
突然かけられた声に、カミュは慌てて地面を見下ろした。
木漏れ日をはるかに凌ぐ強い光に、一瞬視界が白く奪われる。
明度の落差に次第に適応した瞳が捉えたのは、金色に波打つ髪と蒼い瞳。
こちらを見上げて、ミロが笑っていた。
「そっち、行ってもいい?」
二、三度瞳を瞬かせたカミュは、承諾の返事の代わりに無言で枝先ににじり寄った。
するすると危なげなく登ってきたミロは、先程までカミュが座っていた空間に身軽に飛び移ってきた。
足をぶらぶらと揺らしながら、興味深げに周囲を見渡す。
「へえ、こっからだと聖域がよく見えるんだな」
「うん……」
この樹上はカミュのお気に入りの場所だったが、ミロがここまで登ってくるのは初めてだった。
一つ所にじっとしているのが苦手なミロは、いつもカミュを連れ出そうと木の下で待ち構えているだけだったのに。
相次ぐ異変に、ミロにも何か思う所があったのかもしれない。
再び陰鬱な方向に発展しそうな思考を振り捨てようと、カミュは話題を転じた。
「アイオリアは?」
「さっき会ったけど、落ち着いてたよ。今はアルデバランが一緒にいるはず」
アイオロスの叛乱以来、アイオリアは自宮に蟄居していた。
命を受けた訳ではなかったが、賢明な選択だったといえよう。
カミュたちでさえ、黄金聖闘士に対する猜疑の念を浮かべた視線を嫌というほど感じているのだ。
信頼は、裏切られた瞬間に憎悪に変わる。
その信が篤ければ篤いほど、憎しみの炎は苛烈に燃えさかる。
叛乱者の弟であるアイオリアは、その憤懣をぶつける格好の標的となりかねなかった。
別人のように無表情に塞ぎこむようになってしまった彼に、これ以上の心労を与えたくない。
その身を案じたカミュたちが交代で獅子宮に通っているのも、そんな慮りがあってのことだった。
「俺たちがいるから、リアは、大丈夫」
ミロは真正面を見据えたまま独り言のように言を紡いだ。
「……俺たちは黄金聖闘士だから、皆が迷う時には余計にしっかりしなきゃいけない」
自分に言い聞かせるように、ミロは妙に大人びた口調で呟いた。
彼の一人称が、「僕」から「俺」に変わったのは最近のことだ。
彼なりに、幸せな子供時代との訣別を、そんな変化に含ませているのかもしれなかった。
「……ちょっと、大変だけどね」
「そうだね」
柄にもない重々しい台詞に照れたように微笑みかけるミロに、カミュもまた微笑を返した。
黄金聖闘士は指針たれ。
そう教えてくれた二人は、既に聖域にはいない。
それを今更咎める気はないけれど、それでも傍にいて欲しいと願う気持ちは誤魔化しようもなかった。
ミロも、同じ心境なのだろう。
続く言葉もなく、ただ所在無げに黙していたミロは、腕を伸ばし手近な緑葉を一枚むしり取った。
しばらく手の中で弄ばれていたその葉は、やがてひらひらと泉に舞い落ち、水面にささやかな波紋を生じさせる。
波立ちもすぐに収まり、のんびりと水面を漂いだした木の葉を、カミュはぼんやりとみつめていた。
まるで、自分たちのようだ。
方位磁針も海図もなく大海原に出航する船のような、頼りない自分たち。
それでも、この脆弱な葉ですら落ち着き先を見つけたように、いつかは帰るべき港へ辿り着けるのだろうか。
サガが消え、アイオロスが失せた。
この見捨てられたような聖域を、自分たちは、残された幼い黄金聖闘士たちは、導いてゆけるのだろうか。
「ねえ、カミュ」
漠然とした不安に襲われるカミュの内心を察したか、唐突にミロが声をかけた。
「ねえ、カミュ、約束しよう」
蒼い瞳が、まっすぐカミュの紅い瞳を捉える。
カミュは訝しげにその双眸をみつめ返した。
「みんなばらばらになっちゃったけど、僕たちは、俺たちだけは、ずっと一緒にいよう」
熱のこもった真剣な眼差し。
不安の淵からぐいと引き戻すような力強い声。
予想外のミロの発言に、しばらく瞠目していたカミュは、やがてくすりと笑った。
大丈夫だ、と思った。
この頼りない航海も、ミロがいるなら迷わない。
ミロが、傍にいてくれるなら。
「……うん」
カミュの言葉に、ミロは満面の笑みで頷き返した。
久しぶりに見るミロの明るい笑顔に、カミュは眩しげに瞳を細めた。
ミロも、世界が歪むのを見てしまった一人だ。
それでもミロが笑っていられるのは、傍に自分がいるためだと思いたかった。
自分にとってミロが支えとなってくれているように、ミロにとっても自分の存在はいくらかでも意味のあることなのだと。
そんな思いをひた隠しにしつつ、カミュは小声で「一緒にいよう」と繰り返した。
「……邪魔をする」
近づいてくる、その身を取り巻く空気さえ輝くような錯覚を覚えた。
音もなく二人に歩み寄る訪問者は、シャカだった。
ジャミールに戻ったムウを訪ないに出かけていたはずだったが、ようやく帰ってきたのだろう。
「……ムウの様子は?」
カミュの問いに、シャカは首を横に振った。
さらりと風になびく白金髪から、光の粒子が零れ落ちる。
哀切なまでに美しい煌きが、続く言葉に脅えるカミュの胸に応えた。
「どうあっても聖域に戻るつもりはないらしい。彼の地で修復に専念するとか」
「そう……」
落胆を顕わにするカミュに、シャカは優しく微笑みかけた。
「会いたいのなら、会いに行けばよいだろう。瞬間移動すれば、そう遠くはない」
「そりゃ、おまえならそうかもしれないけど?」
不満そうに毒づくミロに不審気な視線を浴びせかけていたシャカは、やがて得心がいったように頷く。
「そうか、君たちは瞬間移動は不得手であったな」
小宇宙の発動方向としていわゆる超能力に分類される作用には、あいにくミロもカミュも、ムウやシャカほど熟達している訳ではない。
痛い所を突かれ、肩を竦める二人に、シャカは静かに言葉を続けた。
「察していると思い言わなかったのだが、その枝の耐荷重量は、ちょうど君たち二人の体重と同じくらいだ。そのうちに……」
みしりと生木が裂ける不気味な音がした。
反射的に緊張し全身を強張らせる枝上の二人に、シャカの声が無情に響く。
「……折れる」
宣告された言葉の意味を理解する間もなく、二人が腰をかけていた枝が重量に耐えかね、突如根元から折れた。
突然の重力の襲撃になす術もなく、カミュとミロは瞬時に泉に落下し、高い水飛沫を上げていた。
「……もっと早く言え」
全身ぐっしょりと濡れたミロが、濡れて顔に張り付く髪をかき上げながら、忌々しげに吐き捨てる。
「当然予知していると思ったのでね」
悪びれもせずにうそぶくシャカに、ミロは舌を鳴らして立ち上がった。
「……ああ、そうですかっ!」
「……何の真似だ」
立ち上がりさま大きく水面をかいたミロの腕は、寸分違わずシャカを狙い水を跳ね上げていた。
前触れもない攻撃に、さすがのシャカも防御が間に合わなかったらしい。
髪も衣にも水を浴びたシャカは、ゆらりと立ち尽くしていた。
かすかに声に怒気が篭っているが、濡れそぼった姿ではいつもの神々しいまでの迫力もなかった。
「いや、当然予知してるもんだと思ってね」
悪戯っぽく口の端をにやりと持ち上げるミロに、カミュは思わず笑い声を上げていた。
「カミュ、君も笑いすぎだ」
「すまない、でも……」
なおも笑い止まないカミュを不興気に睨んでいたシャカは、やがてふっと口許を緩めた。
「まあ、よい。ついでに水浴びでもさせてもらおう。場所を空けたまえ」
「空けてくれって言えよな」
言葉は乱暴ながらも、ミロは素直に泉の奥へと移動した。
そして、シャカが泉に足を踏み入れるや、両手でばしゃばしゃと水を浴びせかける。
シャカも負けじと水面に手をかざした。
途端に泉が波立ち、渦巻く水流が威嚇する水神のごとく立ち上った。
「嘘、それを俺にぶつける気……?」
「先に仕掛けたのは君だろう?」
「待て、落ち着け、シャカ!」
腰まで水に浸かりながら、大騒ぎして対峙する二人を、一人岸辺に戻ったカミュは微笑んで見守っていた。
久々に十二宮に響く明るい声が、聖域を導く瑞兆のように思われた。