無憂宮
対決


 「シュラ、話がある」
 ミロが珍しく真剣な表情を浮かべて磨羯宮を訪れた。
 ミロがここに来るということ自体、そうそう無いことだった。
 いつももう一つ上の宮に通うミロにとって、磨羯宮は素通りされる存在だった。
 シュラは無言で顎をしゃくって、ミロを室内に促した。
 最近のミロの悩みは唯一つ。
 ここに来た目的も、容易に予想がついた。
 できれば外れてほしい予測だったが、あいにくとシュラの情報分析力は高い評価を受けている。
 自分が弾き出した結論に、シュラは自信があった。
 「いや、ここでいい」
 「玄関先で立ち話ってことは、俺まで立たせるってことだぞ。それに……」
 シュラはちらっとミロの後ろに目をやった。
 薄暗い宮の通路を照らす明かりがほのかに揺らめいていた。
 「誰が通るかわからない。聞かれてもいいなら、好きにしろ」
 ミロの返事も待たず、シュラはさっさと室内に戻っていく。
 背後から、ミロが続く気配がした。


 シュラの居宅は、黒を基調としたシンプルな部屋だった。
 余計な装飾品などの無い簡素な室内は、どこかストイックな主そのものだ。
 シュラは革のソファに座ると、客に椅子を勧めるでもなく、テーブルの上の灰皿を引き寄せる。
 煙草に火をつけると、ようやく立ったままのミロを見た。
 「で?」
 ぶっきらぼうな問いかけに、ミロは頭をかきむしると床にどっかと胡坐をかいた。
 ほんの少し頬を紅潮させ、真摯な瞳を向けてくる。
 「カミュのことなんだけど……」
 予想通りの展開に、シュラはふうっと煙を吐き出した。
 ミロは、カミュを好きだ。
 ようやく自覚したその想いに戸惑っているものの、決して諦める気がないことを、蒼い瞳が雄弁に語っていた。
 蠍座は粘り強い。
 神話の時代から、延々と天空のオリオンを追い続けている蠍を守護星座とするミロは、まさにその典型だった。
 大抵のことには飽きっぽい反面、これと思ったものには頑迷なまでの執着をみせる。
 そして今、ミロの執心の対象は、紅毛の麗人だった。
 「アフロに聞いた。シュラ、カミュ好きなんだって?」
 単刀直入な話の展開に、吐き出そうとした煙を思わず吸い込んだシュラは激しくむせた。
 ミロが心配そうに見上げた。
 「大丈夫?」
 「……おまえがふざけたこと言うからだ」
 なおも咳き込みながら、胸を軽く叩く。
 何度か気管をなだめると、ようやく呼吸が落ち着いた。
 その様子に安心したのか、早速ミロは本筋に話を戻した。
 「だったら、言っとかなきゃと思って」
 青玉の瞳と黒曜石の瞳が発する不可視の光線が、空中で激突する。
 ミロは言葉を搾り出すように、膝に置いた手の指に力を込めた。
 手の甲に白く筋が浮き上がるのを、シュラはぼんやりと視界の端に捉えた。
 「俺、カミュのこと、好きだから」
 宣戦布告。
 蒼い瞳がまっすぐシュラを射抜いた。
 決して闇に囚われることの無い瞳がまぶしくて、シュラはすっと目を細めた。
 「告白する相手が違うだろ。俺に言ってどうする」
 「いや、だから、カミュに言う前に、シュラに言っとこうと思って」
 徹底したフェアプレー精神ということか。
 抜け駆けの告白を潔しとしないのだろう。
 どこまでも子供のように清廉な心根は、こんなところでも発揮されるらしい。
 幼い頃と全く変わらないその純粋さに、シュラはある種の感動さえ覚えた。
 ミロのウェーブがかかった金の髪は、その量の多さとあいまって、しばしば太陽の光をちりばめたようだと評されていた。
 外観のみならず、その精神までもが、まさに陽の存在。
 シュラは薄く笑うと、灰皿に煙草を押し付けた。
 もみ消された炎の悲鳴のように、煙が一筋立ち昇る。
 「好きにしろよ。俺は別にカミュに隣人以上の想いは無い」
 瞳を瞬かせたミロは、首を傾げてシュラの顔を覗き込んでくる。
 少し唇を尖らせた表情は、虚言を絶対悪とする子供そのものだった。
 「本当に?」
 「嘘ついてどうすんだよ」
 「絶対?」
 「しつこい」
 ようやくミロは安心したような笑顔をみせた。
 大輪の花が咲くように、それだけで部屋の雰囲気が明るくなる。
 周囲の色まで変えてしまう、これはミロの天賦の才だった。
 「よかった。じゃ、シュラに気遣うこと無いな」
 正直すぎる台詞を吐きながら、ミロは立ち上がった。
 先ほどまでの悲愴な決意など微塵も感じさせない、晴れ晴れとした表情だった。
 その現金なまでの豹変ぶりが少々癪で、シュラは不興気な視線を送った。
 「ま、せいぜい頑張れ。親友だからって、即恋人になれるとは限らんぞ」
 「なるまで待つさ」
 自信に満ち溢れた顔で、ミロは口の端をにっと持ち上げた。
 人生が思い通りに展開していくと信じて疑わない傲慢な子供の笑みだ。
 世界が崩壊していく恐怖を味わったことのない安逸な幸せ者のまなざしだ。
 嫉妬と羨望。
 醜い感情を覆い隠すポーカーフェイスは、もうすっかりシュラの身に馴染んでしまっていた。


 ミロが帰ると、シュラは大きく息をついた。
 握り締めた手の甲に軽く歯をたてる。
 嘘が、どんどんうまくなる。
 本心を塗り固めて、偽装して。
 それでも、心の奥底では生の感情が渦巻いているのだ。
 行き場の無い想いが彷徨しているのだ。
 ぎりっと噛みしめた口の端から、血がわずかに滴った。
 忘れられない血の匂い。
 これが、シュラに課せられた枷だった。
 敬愛する聖闘士を自ら葬った罪を償うことはできなかった。
 真実を見抜けなかった罪は、子供だったからといえ許されるものではなかった。
 彼の享年を越えてしまった自分に、幸せを求める資格など、ない。
 闇の中に生き続けようと、決めたのだ。
 ミロは自分とは違う。
 光に愛され、体中で幸福を享受できる存在だ。
 カミュを、幸せにしてやれる存在だ。
 「……あいつを、頼むな……」
 ぼそりと乾いた呟きが洩れた。
 その言葉は、受け止めるべき相手の耳に届くこともなく虚空に吸い込まれていった。

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