無憂宮
Twins


 久しぶりに、自分と同じ顔をした同い年の兄がやってきた。
 ここは彼の家でもあるのだから、帰ってきたというべきかもしれない。
 しかし、最近の兄はお忙しくていらっしゃるせいか、ほとんど家には寄り付かない。
 だから、わざとらしく、いらっしゃいませ、と慇懃な口調で出迎えてやった。
 さすがに心当たりがあるのか、サガは恐縮したような顔をした。
 「カノン、一人にして悪いとは思うが、おまえももう子供ではないだろう」
 鏡を見れば、二人の顔が同じパーツでできているのはすぐわかる。
 髪の癖までそっくりで、嫌になるほど瓜二つ。
 でも、サガの困ったような顔は、カノンにはできない。
 だから、ついつい困らせようとしてしまう。
 自分と同じ顔が、自分と違う表情を浮かべるのが見たくて。
 それが鏡に映った自分ではないことを確かめたくて。
 それでも、あまりいじめすぎると、今度は逆切れされるのがおちだ。
 そこそこのところで切り上げてやらないと、自分の身が危なくなる。
 全く、聖闘士の力というのは、こんなことのために使うべきではないだろうに。
 神のようなサガ様が、聞いて呆れる。
 「で、今日は珍しく何の用だ」
 出してやった助け舟に、サガは飛びついてきた。
 「実はおまえに頼みがあるんだ」
 真剣な口調と、まなざし。カノンは我知らず緊張する。
 「おまえにしかできないことなんだ」
 サガは、なおも言葉を重ねた。
 カノンは、つられて話にひきこまれる。
 わずかに身をのりだして、兄の次の台詞を待つ。
 「明日、私の振りをして欲しいんだ」
 「は?」
 サガとカノンが双子であることは、ほとんど知られていない。
 神聖な黄金聖闘士様と、街の問題児が双子では、何かと都合が悪いのだろう。
 子供の頃から、サガが光を浴びれば浴びるほど、カノンの存在は影となっていった。
 いまでは影があるのもわからないほどに、カノン自身は別の闇に同化しようとしているのに、誰も気づかない。
 そのカノンに、光の振りをしろなどと、サガは一体何を考えているのか。
 カノンは呆れてサガを見つめた。
 しかし、サガは怯むことなく続ける。
 「明日、突然の辞令で、聖域を離れる。だから、おまえは一日私の振りをして、宮にいてくれればいい」
 「いないはずのサガが宮にいたら、おかしいだろうが」
 「そう、だからおまえは双児宮にこもっていてくれ」
 「わけわかんね。全然意味ねーじゃん」
 カノンは椅子の背もたれにふかぶかと身体を預け、足を組む。
 それでも、サガは真剣な面持ちを崩さない。
 「意味はある。今、家で預かっている子供が熱を出してしまってね、その看病をしてほしいんだ」
 カノンは頭をかきむしった。
 久々に帰ってきたと思ったら、何を言い出すのか、この兄貴は。
 「そんなの、聖域にいる誰かに頼めよ。何が楽しくて子守なんかしなきゃ……」
 「だからおまえにしか頼めないと言っただろう」
 サガが少し苛立たしげに指を組んだ。
 「あの子は、私にしか懐かないんだ」
 妙に自信たっぷりに言い切るサガに、カノンは片頬を引きつらせた。
 おまえにしか懐かなかった子供を放って、聖域に行ったのはどこのどいつだ。
 言葉にしたことのない、これからもされることのない訴えは喉元で呑み込まれた。
 サガにしか懐かない。
 かつての自分の姿が重なった。
 会ってみたくなった。


 営業用スマイルを浮かべた顔が引きつる。
 改めてカノンはサガを尊敬した。
 昨日サガが持ってきたローブを着た姿は、どこからどこまでサガそのものだ。
 しかし、その効果は絶大すぎた。
 聖域に入るや否や、雑兵やら訓練生やら有象無象が、一言でも挨拶をしようとカノンを取り囲んだのだ。
 最初はそれなりに対応していたカノンも、すぐに嫌気がさしてきた。
 それでも、口調だけはあくまで優しく、作った微笑を絶やさず、
 「すまないね、今、急いでいるので」と言い残して突破してきた。
 あいつは、毎日こんな生活をしているのか、よく耐えられるものだ。
 そして、これだけ多くの人間に慕われているのか、俺の知らないところで。
 ここには、自分の知らないサガの世界がある。
 カノンはこみ上げてくる苦い思いを抑え付け、十二宮まで、小走りで向かった。


 双児宮には、幼い頃、忍び込んだことがあった。
 あまり記憶と変わらないことに安堵しつつ、カノンはするりと宮に入る。
 扉を閉めると、思わずため息が漏れた。
 とりあえず、誰にも見破られることなく宮に入れた。
 第一関門突破だ。
 第二関門は……。
 と、顔を上げたカノンは、奥の部屋の扉から顔を出している子供と目が合った。
 紅い髪、紅い瞳。
 熱に頬は紅潮し、眼はかすかに潤んでいる。
 カミュ、といったか。
 「サガ……?」
 子供は首を傾げた。
 いぶかしげな表情に、カノンは正体がばれたか、と脅えた。
 「お仕事じゃなかったの?」
 カミュが習いたてのギリシャ語でたどたどしく尋ねる。
 カノンはほっとして、善人風に微笑みかけた。
 「早く終わったんだよ。カミュが心配でね」
 カミュは嬉しそうに笑った。
 「だから、はやく寝て、治しなさい」
 カノンの言葉に、カミュはうなずくと扉を閉めた。


 きちんと片付けられた台所を漁っていると、りんごがいくつかあった。
 記憶が甦り、カノンの頬が緩む。
 サガがよく家に戻ってきていた頃、風邪をひいて珍しく寝込んだカノンに、サガはりんごをむいてくれた。
 まだ子供だったから、うさぎの耳に残そうとした皮が途中で折れてしまって、ちょっと不格好だったりした。
 それでも、とてもおいしくて、二人でニコニコ笑いながら食べた。
 懐かしい思い出。
 りんごくらいなら、食べられるだろう。
 カノンは包丁を取り出した。


 カミュはベッドに横たわっていたが、眠ってはいなかった。
 「りんご、食べるかい」
 カミュはゆっくりと起き上がった。
 さっきよりも頬の赤みは引いている。
 このぶんなら、もう熱は下がるだろう。
 差し出されたりんごの皿を、カミュはまじまじと見つめた。
 「ありがとう」
 にっこり笑って、小さな手がフォークを握る。
 しゃりしゃりとかすかな音をたててかじっている姿は、その紅い瞳と白い肌とあいまって、なんだか兎のようだった。
 (うさぎりんごを食べる兎ってか)
 カノンは内心で腹を抱えて笑っていた。
 そんなカノンの心中も知らず、カミュは一つ食べ終わると、カノンをみつめた。
 ”C’etait bon, merci.”
 突然目の前の子供が訳のわからない言葉をしゃべりだし、カノンはぐっと言葉につまった。
 (やばい、やばすぎる。サガの奴、こんなこと言ってなかったぞ!)
 さすがのカノンも、ごまかしきれない。身体が硬直し、万事休すかと思われた。
 しかし、カノンを窮地に陥れた張本人は、無邪気に微笑んだ。
 「あ、ごめんなさい。ギリシャ語話さないと、話せるようにならないですよね」
 「あ、ああ。そうだな」
 カノンは全身の冷や汗がすっと引くのを感じた。
 助かった……。
 「おいしかったです、ありがとうございます」
 「もういらないのか」
 カミュはこくんとうなずいた。
 「サガも、食べてください」
 「そうだな。もらおうか」
 緊張したせいか、無性に喉が渇いた。
 一つつまんで、口に放り込む。
 しゃり、とかすかな音がした。
 甘い果汁が口内に広がり、さわやかな香りが部屋の空気を染める。
 「サガ、お話、してもらえますか?」
 布団にもぐりこんだカミュがカノンを見上げる。
 「何の話がいい?」
 また面倒な事を言い出した、と戦々恐々としつつ、カノンは答えた。
 「双子座の話」
 「あ、星座の?カストルとポルックスか?」
 カミュはうなずいた。
 戦で命を落としたカストルを追いかけて、共に天に上げられたポルックス。
 一応、自分の星座でもあり、サガが双子座の聖闘士でもあるため、なんとか語れるテーマだった。
 あまり上手い話し方とは言えないが、熱に浮かされた子供には、どうでもいいことだったろう。
 とりあえず人の温かい声が聞きたいのだ。
 たった一人で病臥するのは、寂しすぎる。
 自分にも経験があるから、わかる。
 「仲がいい兄弟なんですよね。うらやましいな……」
 カミュは夢見るように呟き、目を閉じた。
 やがて、静かに眠りだす。
 カノンは安堵感がもたらす極度の疲労に襲われつつ、そっと部屋を後にした。


 サガが帰ってきたのは、夕刻近くなってからだった。
 カミュに気づかれないように、足音を忍ばせてそっと宮に入る。
 「おう、早かったな」
 カノンはテーブルに足を乗せた行儀の悪い姿勢のまま振り返る。サガは呆れたように、ため息をついた。
 「カミュは、大丈夫だったか」
 「熱はだいぶ下がったみたいだぞ。俺の看病のおかげだな」
 「そうか、ありがとう」
 テーブルから足を下ろさせながら、サガは安堵の笑みを浮かべた。
 「正体に気づいた様子も無しっと。いやー、疲れたぜ」
 「ああ、ご苦労だったな」
 無理な頼みをしたため、立場が弱いサガに、カノンは得意になって続けた。
 「喉が渇いたな、なんかない?」
 調子に乗るカノンに苦笑しつつも、サガは台所に向かった。
 そして。
 「カノン、これはなんだ?」
 押し殺した声で、サガが呟く。
 カノンが首を伸ばして振り返ると、りんごを手にしたサガが怖い顔をして立っていた。
 「りんご。なんだよ、ちゃんと塩水つけといたから、色変わってないだろ」
 「そうじゃない」
 サガはりんごの皮を指で弾いた。
 うさぎの耳が揺れる。
 「カミュはりんごの皮が嫌いだから、うさぎりんごは食べないんだ」
 「……うそ、食べてたぜ」
 サガはたっぷり十秒間はカノンの顔をみつめた。
 「他に、カミュと何を話した?」
 ほんの少し、声がうわずっていた。
 カノンも少し、顔がこわばる。
 「変な言葉しゃべってた。それから、双子座の話してくれって」
 サガはふかぶかと息をついた。
 「気づいたな、完全に」
 うさぎりんごで疑い、フランス語で話しかけて確信し、双子座の話で暗に双子と気づいたことを伝える。
 サガにはカミュの思考が手に取るようにわかった。
 「じゃ、気づかない振りしてたってのか、あのガキ?」
 大きくうなずいたサガは、拳を固めた。
 今にも、カノンに向かって繰り出そうとする。
 「ちょ、ちょっと待て。ちょっと待て!」
 「問答無用!」
 「あ、あのガキ、言ってたぞ。双子は仲が良くてうらやましいって」
 サガの怒りは潮が引くようにおさまった。
 「カミュが?」
 カノンはぶんぶんと空を切る音がするくらい、何度も何度も勢いよくうなずいた。
 「そうか、あの子がそんなことを……」
 顎に指をかけて考え込むサガを、カノンは横目で見た。
 (俺たちのことじゃないけどな)
 しかし、とカノンは思う。
 これだけの時間で、サガとカノンが別人だと見抜き、しかもサガの振りをするカノンに気を遣い、気がつかない振りをするとは。
 恐ろしいガキだ。
 カノンは、髪をくしゃっとかき回した。
 サガの怒りが再発するまえに、退散するのが最善と思われた。
 「じゃ、俺帰るわ。ガキによろしくな」
 「伝えられるわけないだろう、おまえは私なんだから」
 サガがほんの少し頬を染めて、照れくさそうに告げる。
 カノンはサガの言葉に、目を見張った。
 サガの振りをしていたから、というだけではない何かがあった。
 「……そうだな」
 カノンはふっと笑った。
 カミュの看病の報酬に、思いがけずによいものをもらった気がした。

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