<磨羯宮>
テーブルの上の灰皿は、よくこれだけ入るものだと感心するくらいの吸殻で埋まっていた。
几帳面なシュラは、毎日灰皿を空にしているはずだった。
ということは、この吸殻は今日一日でシュラが吸った煙草の残骸。
落ち着かなくて、ただひたすら煙草を灰にしていたのだろう。
出迎えてくれたときに既にくわえていた煙草を、現に今も離さない。
隣に座ったカミュには目もくれず、ただ黙然と煙を吐き出している。
「……煙たいんだけど」
「……ああ、悪い。ちょっと、これ一本だけいいか」
いいか、と言われて否と返せるカミュではない。
それでも無言の抵抗を示すように、立ち上がると窓を開けた。
煙の充満した宮内の空気を、清新な外気が侵略し始める。
カミュは瞳を閉じ、夜風に髪をなぶらせた。
煙草の臭いが髪につくのは、あまり好きではなかった。
「……今なら、まだ間に合うぞ」
背後からシュラの声がした。
振り返るが、シュラはこちらを見ようともしない。
かなり短くなった煙草を、ようやく灰皿に捨てる。
吸殻の山が、またほんの少し高くなった。
「何が?」
「まだ、サガのところに行っても、不審がられるような時間じゃない」
シュラは淡々と続けた。
「今なら、引き返せるぞ」
「……そうして、欲しいのか?」
シュラに負けず劣らず感情の入らない声だった。
やはり、シュラが何を考えているのか、よくわからない。
もともとカミュは人の感情を読み取ることが得意ではない。
その不得手な分野に果敢に挑戦しているのだが、シュラは難敵だった。
表情からは、彼が何を思い、何を企図しているのか、全く伝わってこないのだ。
カミュは深々と息をつくと、無言のまま部屋を後にした。
扉の閉まる音が、胸に刺さった。
シュラは肺にたまった煙草の名残を吐き出そうとするかのように、大きなため息を落とした。
カミュが自分を選んでくれたことは、嬉しい驚きだった。
驚きすぎて、信じられない程だった。
言葉の意味を量りあぐねるように眉をひそめることこそあれ、カミュはシュラの傍では、常に穏やかな笑顔でいるわけではない。
サガやミロと共にいるときのカミュは、慈しみ深い微笑を絶やさないのに、シュラの隣では違った。
共に過ごした時間の差、と言ってしまえばそれまでだった。
しかし、その巻き戻すことのできない過去は、シュラにとっては容易に乗り越えがたい障壁だった。
だから、最後にもう一度だけ熟考してほしかったのだ。
それでもシュラの傍にいてくれるというのなら、シュラは心から安堵してカミュを迎えただろう。
だが、今となっては、全ては幻。
指の間から、跡形もなくすり抜けてしまった。
「……行っちまったもんな……」
陰鬱な呟きと共に、シュラは新たな煙草に手を出そうとした。
「煙草はさっきの一本だけ、という約束だったはずだが?」
突然かけられた声が、シュラの手を止める。
慌てて声の方を向くと、先程開け放たれた窓からカミュが顔を覗かせていた。
窓枠に両手をかけ上体を持ち上げると、軽々と窓から室内に身を躍らせる。
「煙草、吸いすぎじゃないのか。もう少し喫煙量を減らさないと、身体を壊す」
「……わかってはいるがな」
カミュはゆっくりとシュラに近づいた。
先程のように隣に腰掛けると、じっとシュラの瞳を見上げてくる。
言葉の代わりに、たっぷり想いを込めて注がれる真紅の瞳。
氷の人形と、誰が言ったのだろう。
完璧なまでに整った顔こそ作り物めいているものの、驚くほどの情熱をたたえたこの瞳は、明らかに人形などにはふさわしくない。
シュラは自分の懸念が杞憂だったことを悟った。
「節煙できるように、これからは私が傍で監視することにしよう」
シュラは笑った。
傍にいる口実が、できた。
過去ではなく、現在に。
「……意外とお節介なんだな」
「世話好きといってくれないか」
微笑むカミュを、シュラは腕を伸ばして抱き寄せた。
煙草くさい、と、笑いを含んだ声が、腕の中で小さく悲鳴を上げていた。
テーブルの上の灰皿は、よくこれだけ入るものだと感心するくらいの吸殻で埋まっていた。
几帳面なシュラは、毎日灰皿を空にしているはずだった。
ということは、この吸殻は今日一日でシュラが吸った煙草の残骸。
落ち着かなくて、ただひたすら煙草を灰にしていたのだろう。
出迎えてくれたときに既にくわえていた煙草を、現に今も離さない。
隣に座ったカミュには目もくれず、ただ黙然と煙を吐き出している。
「……煙たいんだけど」
「……ああ、悪い。ちょっと、これ一本だけいいか」
いいか、と言われて否と返せるカミュではない。
それでも無言の抵抗を示すように、立ち上がると窓を開けた。
煙の充満した宮内の空気を、清新な外気が侵略し始める。
カミュは瞳を閉じ、夜風に髪をなぶらせた。
煙草の臭いが髪につくのは、あまり好きではなかった。
「……今なら、まだ間に合うぞ」
背後からシュラの声がした。
振り返るが、シュラはこちらを見ようともしない。
かなり短くなった煙草を、ようやく灰皿に捨てる。
吸殻の山が、またほんの少し高くなった。
「何が?」
「まだ、サガのところに行っても、不審がられるような時間じゃない」
シュラは淡々と続けた。
「今なら、引き返せるぞ」
「……そうして、欲しいのか?」
シュラに負けず劣らず感情の入らない声だった。
やはり、シュラが何を考えているのか、よくわからない。
もともとカミュは人の感情を読み取ることが得意ではない。
その不得手な分野に果敢に挑戦しているのだが、シュラは難敵だった。
表情からは、彼が何を思い、何を企図しているのか、全く伝わってこないのだ。
カミュは深々と息をつくと、無言のまま部屋を後にした。
扉の閉まる音が、胸に刺さった。
シュラは肺にたまった煙草の名残を吐き出そうとするかのように、大きなため息を落とした。
カミュが自分を選んでくれたことは、嬉しい驚きだった。
驚きすぎて、信じられない程だった。
言葉の意味を量りあぐねるように眉をひそめることこそあれ、カミュはシュラの傍では、常に穏やかな笑顔でいるわけではない。
サガやミロと共にいるときのカミュは、慈しみ深い微笑を絶やさないのに、シュラの隣では違った。
共に過ごした時間の差、と言ってしまえばそれまでだった。
しかし、その巻き戻すことのできない過去は、シュラにとっては容易に乗り越えがたい障壁だった。
だから、最後にもう一度だけ熟考してほしかったのだ。
それでもシュラの傍にいてくれるというのなら、シュラは心から安堵してカミュを迎えただろう。
だが、今となっては、全ては幻。
指の間から、跡形もなくすり抜けてしまった。
「……行っちまったもんな……」
陰鬱な呟きと共に、シュラは新たな煙草に手を出そうとした。
「煙草はさっきの一本だけ、という約束だったはずだが?」
突然かけられた声が、シュラの手を止める。
慌てて声の方を向くと、先程開け放たれた窓からカミュが顔を覗かせていた。
窓枠に両手をかけ上体を持ち上げると、軽々と窓から室内に身を躍らせる。
「煙草、吸いすぎじゃないのか。もう少し喫煙量を減らさないと、身体を壊す」
「……わかってはいるがな」
カミュはゆっくりとシュラに近づいた。
先程のように隣に腰掛けると、じっとシュラの瞳を見上げてくる。
言葉の代わりに、たっぷり想いを込めて注がれる真紅の瞳。
氷の人形と、誰が言ったのだろう。
完璧なまでに整った顔こそ作り物めいているものの、驚くほどの情熱をたたえたこの瞳は、明らかに人形などにはふさわしくない。
シュラは自分の懸念が杞憂だったことを悟った。
「節煙できるように、これからは私が傍で監視することにしよう」
シュラは笑った。
傍にいる口実が、できた。
過去ではなく、現在に。
「……意外とお節介なんだな」
「世話好きといってくれないか」
微笑むカミュを、シュラは腕を伸ばして抱き寄せた。
煙草くさい、と、笑いを含んだ声が、腕の中で小さく悲鳴を上げていた。