2007 カミュ誕
扉を開けた俺に向かって放たれたカミュの第一声は「私は今食事の支度で手が放せないので、子供たちに相手をしてもらってくれ」などというひどく愛想のないものだった。
氷雪交じりの寒風吹きすさぶ中、遠方からのわざわざの訪問を少しは労ってくれてもいいんじゃないかとか、むしろ俺の方がガキ共の相手をしてやることになると思うんだがとか、言ってやりたいことは次から次へと溢れてくるが、それを言っても詮無きことは充分すぎるほどにわかっていた。
だから、ここは短い了解の返事を投げつけてやるだけにとどめ、俺は一刻も早く凍えた体を温めようとそそくさと暖炉の前に陣取ることにした。
揺らめく炎が目に眩しい。
灯を視界から遮るように手を炎にかざすと、皮膚を通してじんわりと熱が体内に染み込んでくるのがわかった。
解凍される魚ってこんな気分かな。
二つの豆台風がやってきたのは、そんな愚にもつかないことをぼんやりと考えているときだった。
「ミロ、いらっしゃい!」
師匠から俺の接待指令を受けたのか、自室からけたたましく走り出してきたのはカミュの二人の弟子だ。
随分と歓迎してくれているようだが、彼らには珍しいこの愛想のよさは、偏にじっと机に向かい勉強する苦痛から解放された喜びがなせる業だろう。
「お、久しぶりだな。元気か」
数ヶ月ぶりに会う彼らは少し背が伸び、顔つきも心なしかしっかりしてきたようだ。
小さな子供の成長の速さに内心で驚きつつ、俺は勢いよく飛びついてきた子供たちを両手で抱えとめた。
記憶にあるそれよりも幾らか増した彼らの重みが心地よい。
だが、そんな感慨などおくびにも出さず、俺は殊更に険しい表情を作ってみせた。
「危ないだろ、火の傍だぞ」
「え、ミロ、僕たちに吹っ飛ばされるくらい弱いの?」
「もしかして、ミロが聖闘士っての嘘?」
「あのな……」
あれほど無口な師匠からどうしてこう口の減らない弟子が育つのか。
あとで懇々と奴の教育方針について問い詰めてやろうと密かに決意した俺は、そこでふと彼らが互いに目配せを交わしているのに気付いた。
大人に内緒で何か企んでいる、そんな悪戯っぽい表情は、小さな子供だった俺もよく浮かべていたはずのものだ。
「何だよ、何か言いたいことでもあるのか」
水を向けてやると、くすくすと漣のような笑い声と共に交わされていた彼らの無言の会議にも、ようやく結論が出たらしい。
協議の結果、二人を代表して質問に立つことになったのは兄弟子だったようだ。
カミュがいる台所の方をちらりと振り返ったのち、アイザックはそっと俺の耳に内緒話でもするように顔を寄せた。
「ミロ、教えてほしいんだけど」
「何を?」
「カミュの誕生日。いつか知ってる?」
何故かつられて小声になった俺も、先ほどのアイザック同様カミュの気配を窺ってしまった。
幸い、カミュは自分が話題に上っていることになど少しも気付いた風もない。
その後ろ姿に安堵しつつ、俺は期待に満ちた二人の顔を等分に見比べた。
「そんなの本人に聞けよ」
「だってカミュ、教えてくれないんだもん。忘れたって!」
つい荒げてしまった声に自分で驚いたように、慌てた氷河が両手で口を押さえる。
そんな弟分に嗜めるような一瞥を与えたアイザックは、わずかに表情を引き締め、真っ直ぐに俺を見上げ訴えた。
「この間さ、先生、氷河の誕生日を祝ってくれて、俺のも今度ちゃんと祝ってくれるって。すごく嬉しかったから、先生のもお祝いしなきゃと思ったんだけど……」
「だけど、カミュは自分のお祝いはいらないって教えてくれないんだ」
不満そうに口を尖らせた氷河が、今度は声を抑えたまま言葉を繋ぐ。
一生懸命なその四つの瞳の集中砲火を浴びながら、俺は何だかくすぐったいような気分になった。
この見渡す限りの荒涼とした大地の真ん中で、なかなかどうしてカミュは立派に師としての務めを果たしているらしい。
理想的といっていいほどに密な師弟関係を築き上げた親友が無性に誇らしく、そのカミュを心より慕う子供たちがやけに愛しく思われた。
俺は小さく笑った。
「……明日だよ」
「え?」
余りにあっけなく得られた答えに拍子抜けしたのか、二人は滑稽なくらいにぱちぱちと瞬きを繰り返した。
「カミュの誕生日だろ。それなら明日だ」
「本当に?」
「でなきゃ、こんな寒いところにわざわざ来るかよ」
顔を見合わせた二人は、ようやく俺の言葉を信じる気になったようだ。
「明日か……」
まさかそれほど逼迫しているとは思わなかったのか。
アイザックと氷河は瞳に少し困ったような色を浮かべ、目に見えてそわそわと落ち着きがなくなった。
あまりにわかりやすい反応に込み上げる苦笑を何とか押し隠し、俺は彼らの頭をくしゃりと乱暴に撫でてやった。
「カミュのお祝いどうするか、考えなきゃいけないんだろ。いいぞ、部屋戻って」
「え、でも……」
「おまえらがしっかり俺の相手を務めてくれたって、カミュには後でちゃんと言っといてやるから」
内緒な、と、口の前で指を立てて片目をつぶってやると、ようやく安心したのか、子供たちの表情はにわかに明るくなる。
ああ、眩しい。
いかにも子供らしいあまりに素直な感情表現に、暖炉の中で燃え盛る炎を直視する思いで自然と目が眇められたが、彼らはそんな俺の様子には一向に頓着なかった。
「ありがと、ミロ」
「また後で遊んであげるよ」
「あ、ちょっと待て」
これ幸いと生意気な捨て台詞を残して立ち去ろうとする背を呼び止めると、俺は持ってきた鞄を引き寄せ中を探った。
目当ての品を手探りで掴み出すと、訝しげな二人に向けて放り投げる。
慌てて受け止めた包みと俺を不思議そうに見比べる子供たちに、俺は声を潜めて笑いかけた。
「おまえらも誕生日なんだよな。お祝いやるよ。カミュに隠れてこっそり食いな」
以前俺が持ってきた土産の菓子を、彼らは随分と気に入っていた。
通りすがりの小ぢんまりとした店でふと思い立って求めた何の変哲もない焼き菓子だったが、あまり嗜好品には縁のない彼らには蕩けんばかりの甘味だったのかもしれない。
ものすごい勢いで貪り食っては食べすぎだとカミュに怒られていたのだが、あのときの二人の笑顔を思い浮かべると、彼らへの贈り物として今の俺が思いつく最上の品はこの菓子だったのだ。
カミュの行き届いた栄養管理の有益性もわかるが、小さな子供の旺盛な食欲は少しくらい脱線したところで責められるべきものではないだろう。
現に俺たちだって子供の頃は、時折サガが作ってくれる菓子を無類のご馳走と楽しみにしていたものだ。
少々苦しい言い訳を頭の中で繰り広げていた俺の前で、子供たちは好奇心に負けたようで早速包みをこじ開け中身を盗み見ていた。
包みの正体を理解した二人はしばらく驚いたように俺をみつめ、そしてにっと共犯めいた笑みを浮かべる。
「ありがと!」
「おお、食いすぎて腹壊すなよ」
大切そうに包みを抱え自室へと駆け戻っていく子供たちの背中はとても嬉しそうで、見送る俺もまたその喜びが伝染したようにある種の満足感を味わうことができる気がする。
そんなささやかな喜びに浸っていると、今度は俺自身の背に何やら視線が突き刺さるのを感じた。
あ、やっぱり気付いてたのか。
「……あまり私の弟子を甘やかさないでもらえるか」
振り返ると、腕組みをしたカミュが冷ややかにこちらを見ていた。
だが、俺からの密かな贈り物の正体に気付いていながら取り上げる様子もなかったところをみると、さして怒っているという訳でもないらしい。
「悪い、以後気をつける」
殊勝な台詞と裏腹に悪びれもせずににっこりと笑ってみせると、カミュもまた少し呆れたように、だがどこか嬉しそうに微笑んだ。
扉を開けた俺に向かって放たれたカミュの第一声は「私は今食事の支度で手が放せないので、子供たちに相手をしてもらってくれ」などというひどく愛想のないものだった。
氷雪交じりの寒風吹きすさぶ中、遠方からのわざわざの訪問を少しは労ってくれてもいいんじゃないかとか、むしろ俺の方がガキ共の相手をしてやることになると思うんだがとか、言ってやりたいことは次から次へと溢れてくるが、それを言っても詮無きことは充分すぎるほどにわかっていた。
だから、ここは短い了解の返事を投げつけてやるだけにとどめ、俺は一刻も早く凍えた体を温めようとそそくさと暖炉の前に陣取ることにした。
揺らめく炎が目に眩しい。
灯を視界から遮るように手を炎にかざすと、皮膚を通してじんわりと熱が体内に染み込んでくるのがわかった。
解凍される魚ってこんな気分かな。
二つの豆台風がやってきたのは、そんな愚にもつかないことをぼんやりと考えているときだった。
「ミロ、いらっしゃい!」
師匠から俺の接待指令を受けたのか、自室からけたたましく走り出してきたのはカミュの二人の弟子だ。
随分と歓迎してくれているようだが、彼らには珍しいこの愛想のよさは、偏にじっと机に向かい勉強する苦痛から解放された喜びがなせる業だろう。
「お、久しぶりだな。元気か」
数ヶ月ぶりに会う彼らは少し背が伸び、顔つきも心なしかしっかりしてきたようだ。
小さな子供の成長の速さに内心で驚きつつ、俺は勢いよく飛びついてきた子供たちを両手で抱えとめた。
記憶にあるそれよりも幾らか増した彼らの重みが心地よい。
だが、そんな感慨などおくびにも出さず、俺は殊更に険しい表情を作ってみせた。
「危ないだろ、火の傍だぞ」
「え、ミロ、僕たちに吹っ飛ばされるくらい弱いの?」
「もしかして、ミロが聖闘士っての嘘?」
「あのな……」
あれほど無口な師匠からどうしてこう口の減らない弟子が育つのか。
あとで懇々と奴の教育方針について問い詰めてやろうと密かに決意した俺は、そこでふと彼らが互いに目配せを交わしているのに気付いた。
大人に内緒で何か企んでいる、そんな悪戯っぽい表情は、小さな子供だった俺もよく浮かべていたはずのものだ。
「何だよ、何か言いたいことでもあるのか」
水を向けてやると、くすくすと漣のような笑い声と共に交わされていた彼らの無言の会議にも、ようやく結論が出たらしい。
協議の結果、二人を代表して質問に立つことになったのは兄弟子だったようだ。
カミュがいる台所の方をちらりと振り返ったのち、アイザックはそっと俺の耳に内緒話でもするように顔を寄せた。
「ミロ、教えてほしいんだけど」
「何を?」
「カミュの誕生日。いつか知ってる?」
何故かつられて小声になった俺も、先ほどのアイザック同様カミュの気配を窺ってしまった。
幸い、カミュは自分が話題に上っていることになど少しも気付いた風もない。
その後ろ姿に安堵しつつ、俺は期待に満ちた二人の顔を等分に見比べた。
「そんなの本人に聞けよ」
「だってカミュ、教えてくれないんだもん。忘れたって!」
つい荒げてしまった声に自分で驚いたように、慌てた氷河が両手で口を押さえる。
そんな弟分に嗜めるような一瞥を与えたアイザックは、わずかに表情を引き締め、真っ直ぐに俺を見上げ訴えた。
「この間さ、先生、氷河の誕生日を祝ってくれて、俺のも今度ちゃんと祝ってくれるって。すごく嬉しかったから、先生のもお祝いしなきゃと思ったんだけど……」
「だけど、カミュは自分のお祝いはいらないって教えてくれないんだ」
不満そうに口を尖らせた氷河が、今度は声を抑えたまま言葉を繋ぐ。
一生懸命なその四つの瞳の集中砲火を浴びながら、俺は何だかくすぐったいような気分になった。
この見渡す限りの荒涼とした大地の真ん中で、なかなかどうしてカミュは立派に師としての務めを果たしているらしい。
理想的といっていいほどに密な師弟関係を築き上げた親友が無性に誇らしく、そのカミュを心より慕う子供たちがやけに愛しく思われた。
俺は小さく笑った。
「……明日だよ」
「え?」
余りにあっけなく得られた答えに拍子抜けしたのか、二人は滑稽なくらいにぱちぱちと瞬きを繰り返した。
「カミュの誕生日だろ。それなら明日だ」
「本当に?」
「でなきゃ、こんな寒いところにわざわざ来るかよ」
顔を見合わせた二人は、ようやく俺の言葉を信じる気になったようだ。
「明日か……」
まさかそれほど逼迫しているとは思わなかったのか。
アイザックと氷河は瞳に少し困ったような色を浮かべ、目に見えてそわそわと落ち着きがなくなった。
あまりにわかりやすい反応に込み上げる苦笑を何とか押し隠し、俺は彼らの頭をくしゃりと乱暴に撫でてやった。
「カミュのお祝いどうするか、考えなきゃいけないんだろ。いいぞ、部屋戻って」
「え、でも……」
「おまえらがしっかり俺の相手を務めてくれたって、カミュには後でちゃんと言っといてやるから」
内緒な、と、口の前で指を立てて片目をつぶってやると、ようやく安心したのか、子供たちの表情はにわかに明るくなる。
ああ、眩しい。
いかにも子供らしいあまりに素直な感情表現に、暖炉の中で燃え盛る炎を直視する思いで自然と目が眇められたが、彼らはそんな俺の様子には一向に頓着なかった。
「ありがと、ミロ」
「また後で遊んであげるよ」
「あ、ちょっと待て」
これ幸いと生意気な捨て台詞を残して立ち去ろうとする背を呼び止めると、俺は持ってきた鞄を引き寄せ中を探った。
目当ての品を手探りで掴み出すと、訝しげな二人に向けて放り投げる。
慌てて受け止めた包みと俺を不思議そうに見比べる子供たちに、俺は声を潜めて笑いかけた。
「おまえらも誕生日なんだよな。お祝いやるよ。カミュに隠れてこっそり食いな」
以前俺が持ってきた土産の菓子を、彼らは随分と気に入っていた。
通りすがりの小ぢんまりとした店でふと思い立って求めた何の変哲もない焼き菓子だったが、あまり嗜好品には縁のない彼らには蕩けんばかりの甘味だったのかもしれない。
ものすごい勢いで貪り食っては食べすぎだとカミュに怒られていたのだが、あのときの二人の笑顔を思い浮かべると、彼らへの贈り物として今の俺が思いつく最上の品はこの菓子だったのだ。
カミュの行き届いた栄養管理の有益性もわかるが、小さな子供の旺盛な食欲は少しくらい脱線したところで責められるべきものではないだろう。
現に俺たちだって子供の頃は、時折サガが作ってくれる菓子を無類のご馳走と楽しみにしていたものだ。
少々苦しい言い訳を頭の中で繰り広げていた俺の前で、子供たちは好奇心に負けたようで早速包みをこじ開け中身を盗み見ていた。
包みの正体を理解した二人はしばらく驚いたように俺をみつめ、そしてにっと共犯めいた笑みを浮かべる。
「ありがと!」
「おお、食いすぎて腹壊すなよ」
大切そうに包みを抱え自室へと駆け戻っていく子供たちの背中はとても嬉しそうで、見送る俺もまたその喜びが伝染したようにある種の満足感を味わうことができる気がする。
そんなささやかな喜びに浸っていると、今度は俺自身の背に何やら視線が突き刺さるのを感じた。
あ、やっぱり気付いてたのか。
「……あまり私の弟子を甘やかさないでもらえるか」
振り返ると、腕組みをしたカミュが冷ややかにこちらを見ていた。
だが、俺からの密かな贈り物の正体に気付いていながら取り上げる様子もなかったところをみると、さして怒っているという訳でもないらしい。
「悪い、以後気をつける」
殊勝な台詞と裏腹に悪びれもせずににっこりと笑ってみせると、カミュもまた少し呆れたように、だがどこか嬉しそうに微笑んだ。