美酒と御馳走を堪能した私たちが足を向けたのは、歴史あるこの街に似つかわしい中世風のこぢんまりとしたホテルだった。
材質にまで拘ったらしい贅を尽くしたアンティーク調の設えは、普段ならばもっと目を喜ばせてくれただろうが、生憎とかなり酔いが回った今の私にはあまり感銘を与えるものではなかった。
誰一人知った人間のいない初めて訪れる土地で、ミロの誕生日を二人きりで祝う。
そのお誂えの環境が作り出した昂揚感につい羽目を外してしまったのか、さて宿に戻ろうと席を立とうとして初めて、私は自分の足が使い物にならなくなるほど酒を体内に注ぎ込んでいたことを知った。
元々アルコールに強い体質なのが幸いして、気分が悪くなることも意識が飛ぶこともなかったのは喜ばしいが、どうにも立ち上がれない自分がもどかしい。
情けない思いで見上げる私の表情に、初めは怪訝そうに首を傾げていたミロも状況を呑み込んだらしい。
くすりと笑いながら差し出された腕に、私はひしと縋りついた。
そうしてミロに支えられるようにして部屋まで連れて行ってもらった私は、彼が扉を開けるや待ちかねたようにその脇をすり抜け、ふらふらとよろけながらも一目散に寝台を目指した。
ともすれば部屋が回り出しそうな酔い方をしたのは久々で、一刻も早く身を横たえたかったのだ。
寝具の海に飛び込むようにして身を投げ出し、頬に触れる清潔なリネンの感触を楽しむ。
壊れてしまいそうなほど激しい心臓の拍動が、ひどく心地よかった。
「……珍しいな、カミュがそんなに酔うなんて」
「ああ、いい酒がそろっていたからな。つい調子に乗った」
くすくすと楽しげに笑うミロに文句のひとつも言ってやりたかったがさすがにそんな元気もなく、私は薄目を開けて彼を見上げた。
「悪いが水を飲みたい。もらえるか」
「はいはい、お姫様。仰せのままに」
投げつけた枕を背中に目でもついているかのようにひらりとかわし、ミロは冷蔵庫の中からミネラルウォーターを取り出すと、グラスと共に私の傍にやってきた。
寝台の端に腰をかけたミロの手元で、とくとくと水がグラスに注がれる音がする。
川のせせらぎに似た水音は、生命の奏でる音だ。
きっと私もこの水を飲めば、人心地がつくだろう。
「起きられるか? 自分で飲める?」
「ああ……」
頷いた私は腕をついて上体を起こそうとしたが、どうにも腕に力が入らない。
無駄な努力を繰り返しては撃沈する私の様子が滑稽なのか、ミロは相変わらず忍び笑いを漏らしていた。
「いいよ、寝てろ。飲ませてやるから」
「……すまない」
「ん。ほら、口開けて」
子供のようだと少々羞恥を覚えつつ、それでも私はミロの言葉に従い目を閉じたまま力なく口を開いた。
柔らかいコップから、水が注ぎ込まれた。
冷たくて、ほのかに温かい、不思議な水だ。
舌にその水が染み渡ると、かすかにミロの味がした。
私はぼんやりと瞼を持ち上げた。
温かい燈色の照明を遮るように、目の前に何かが覆いかぶさっていた。
落ちかかってきた髪が一房頬をくすぐり、私はようやく状況を把握した。
飲み損ねた水を寝台に零すことを懸念したミロが、口移しで水を飲ませてくれたのだ。
こくんと喉が鳴る音を合図に、ミロは離れた。
写真家をも虜にする秀麗なミロの顔が、目の前にあった。
私はじっとミロをみつめた。
「……ミロ」
「文句は素面に戻ったら聞いてやるよ」
誕生日だというのに酔っ払いの面倒をみさせられたことへのささやかな意趣返しとでもいうつもりなのだろう。
意地悪く笑ってみせるミロに、私は小さくかぶりを振った。
「違う。もう一口欲しいのだが」
一瞬呆気にとられたようにかるく目を見張ったミロは、承諾の返事の代わりにくすりと笑うと、再び水を口に含んだ。
口移しに私に水を流し込んだミロは、私が水を嚥下する音を聞くとまた離れていこうとした。
そうさせなかったのは、私だ。
ミロの首に腕を回し抱き寄せ、水の礼とばかりにキスをする。
初めは驚いていた様子のミロも、すぐに私に応えてくれた。
互いに何度か舌を絡めワインの味のする口付けを楽しんだあと、ミロは私に覆いかぶさるようにして抱きついてきた。
閉じた瞼に、こめかみに、たくさんのキスを降らせた後、ミロは首筋をぺろりと舐める。
酔いに火照った身体の熱が、一気にその一点に集中する気がした。
ミロにもまた、その熱は伝わったのだろう。
彼はひとつ息を吐いた。
酒気を孕んだ熱い吐息に、私の酔いはさらに増した。
「気分よく酔っ払ってるところ申し訳ないんだけど……」
少しも心のこもっていない謝罪の言葉を呟きながら、ミロはゆっくりと私の首元の釦を外した。
「俺、誕生日祝いに好きなものもらっていいんだよな」
露になった鎖骨の間に所有の印を刻むような口付けを落とすと、ミロはそう言って意味ありげに微笑んだ。
私もまた、彼を真似て意地悪く笑ってみせた。
もちろん誘ったのは私の方だったから、私に異論があるはずもない。
「申し訳ないと思うなら、私をもっといい気分にさせてみたらどうだ」
酔いに任せた挑発的な言葉に、ミロの手が一瞬止まった。
「……言うねえ、カミュ。あとで後悔するなよ」
にやりと口の端を持ち上げるミロの不敵な表情に、凄惨な色気が漂う。
背筋がぞくぞくした。
後悔などするはずがない。
私はこんなにも酔っているのだし、しかも今日はミロの誕生日だ。
口実なら、これ以上ないほどにそろっている。
そう諦め悪く言い訳する自分を内心で嘲笑いつつ、私はふとベッドサイドの時計に目をやった。
時刻は、すでに0時を回っていた。
ミロの誕生日はいつの間にやら昨日のこととなってしまっていたらしい。
しかし、ずるい私はそれに気付かなかったことにした。
私は彼から時計が見えないようにミロを抱き寄せると、その耳元にもう一度「誕生日おめでとう」と囁き、そのついでに耳朶を淡く噛んでやった。
くすぐったそうに眉を寄せ微笑むミロの顔はひどく嬉しそうで、その瞳にみつめられるだけで最上の貴腐ワインよりもはるかに心地よく酔える気がした。
材質にまで拘ったらしい贅を尽くしたアンティーク調の設えは、普段ならばもっと目を喜ばせてくれただろうが、生憎とかなり酔いが回った今の私にはあまり感銘を与えるものではなかった。
誰一人知った人間のいない初めて訪れる土地で、ミロの誕生日を二人きりで祝う。
そのお誂えの環境が作り出した昂揚感につい羽目を外してしまったのか、さて宿に戻ろうと席を立とうとして初めて、私は自分の足が使い物にならなくなるほど酒を体内に注ぎ込んでいたことを知った。
元々アルコールに強い体質なのが幸いして、気分が悪くなることも意識が飛ぶこともなかったのは喜ばしいが、どうにも立ち上がれない自分がもどかしい。
情けない思いで見上げる私の表情に、初めは怪訝そうに首を傾げていたミロも状況を呑み込んだらしい。
くすりと笑いながら差し出された腕に、私はひしと縋りついた。
そうしてミロに支えられるようにして部屋まで連れて行ってもらった私は、彼が扉を開けるや待ちかねたようにその脇をすり抜け、ふらふらとよろけながらも一目散に寝台を目指した。
ともすれば部屋が回り出しそうな酔い方をしたのは久々で、一刻も早く身を横たえたかったのだ。
寝具の海に飛び込むようにして身を投げ出し、頬に触れる清潔なリネンの感触を楽しむ。
壊れてしまいそうなほど激しい心臓の拍動が、ひどく心地よかった。
「……珍しいな、カミュがそんなに酔うなんて」
「ああ、いい酒がそろっていたからな。つい調子に乗った」
くすくすと楽しげに笑うミロに文句のひとつも言ってやりたかったがさすがにそんな元気もなく、私は薄目を開けて彼を見上げた。
「悪いが水を飲みたい。もらえるか」
「はいはい、お姫様。仰せのままに」
投げつけた枕を背中に目でもついているかのようにひらりとかわし、ミロは冷蔵庫の中からミネラルウォーターを取り出すと、グラスと共に私の傍にやってきた。
寝台の端に腰をかけたミロの手元で、とくとくと水がグラスに注がれる音がする。
川のせせらぎに似た水音は、生命の奏でる音だ。
きっと私もこの水を飲めば、人心地がつくだろう。
「起きられるか? 自分で飲める?」
「ああ……」
頷いた私は腕をついて上体を起こそうとしたが、どうにも腕に力が入らない。
無駄な努力を繰り返しては撃沈する私の様子が滑稽なのか、ミロは相変わらず忍び笑いを漏らしていた。
「いいよ、寝てろ。飲ませてやるから」
「……すまない」
「ん。ほら、口開けて」
子供のようだと少々羞恥を覚えつつ、それでも私はミロの言葉に従い目を閉じたまま力なく口を開いた。
柔らかいコップから、水が注ぎ込まれた。
冷たくて、ほのかに温かい、不思議な水だ。
舌にその水が染み渡ると、かすかにミロの味がした。
私はぼんやりと瞼を持ち上げた。
温かい燈色の照明を遮るように、目の前に何かが覆いかぶさっていた。
落ちかかってきた髪が一房頬をくすぐり、私はようやく状況を把握した。
飲み損ねた水を寝台に零すことを懸念したミロが、口移しで水を飲ませてくれたのだ。
こくんと喉が鳴る音を合図に、ミロは離れた。
写真家をも虜にする秀麗なミロの顔が、目の前にあった。
私はじっとミロをみつめた。
「……ミロ」
「文句は素面に戻ったら聞いてやるよ」
誕生日だというのに酔っ払いの面倒をみさせられたことへのささやかな意趣返しとでもいうつもりなのだろう。
意地悪く笑ってみせるミロに、私は小さくかぶりを振った。
「違う。もう一口欲しいのだが」
一瞬呆気にとられたようにかるく目を見張ったミロは、承諾の返事の代わりにくすりと笑うと、再び水を口に含んだ。
口移しに私に水を流し込んだミロは、私が水を嚥下する音を聞くとまた離れていこうとした。
そうさせなかったのは、私だ。
ミロの首に腕を回し抱き寄せ、水の礼とばかりにキスをする。
初めは驚いていた様子のミロも、すぐに私に応えてくれた。
互いに何度か舌を絡めワインの味のする口付けを楽しんだあと、ミロは私に覆いかぶさるようにして抱きついてきた。
閉じた瞼に、こめかみに、たくさんのキスを降らせた後、ミロは首筋をぺろりと舐める。
酔いに火照った身体の熱が、一気にその一点に集中する気がした。
ミロにもまた、その熱は伝わったのだろう。
彼はひとつ息を吐いた。
酒気を孕んだ熱い吐息に、私の酔いはさらに増した。
「気分よく酔っ払ってるところ申し訳ないんだけど……」
少しも心のこもっていない謝罪の言葉を呟きながら、ミロはゆっくりと私の首元の釦を外した。
「俺、誕生日祝いに好きなものもらっていいんだよな」
露になった鎖骨の間に所有の印を刻むような口付けを落とすと、ミロはそう言って意味ありげに微笑んだ。
私もまた、彼を真似て意地悪く笑ってみせた。
もちろん誘ったのは私の方だったから、私に異論があるはずもない。
「申し訳ないと思うなら、私をもっといい気分にさせてみたらどうだ」
酔いに任せた挑発的な言葉に、ミロの手が一瞬止まった。
「……言うねえ、カミュ。あとで後悔するなよ」
にやりと口の端を持ち上げるミロの不敵な表情に、凄惨な色気が漂う。
背筋がぞくぞくした。
後悔などするはずがない。
私はこんなにも酔っているのだし、しかも今日はミロの誕生日だ。
口実なら、これ以上ないほどにそろっている。
そう諦め悪く言い訳する自分を内心で嘲笑いつつ、私はふとベッドサイドの時計に目をやった。
時刻は、すでに0時を回っていた。
ミロの誕生日はいつの間にやら昨日のこととなってしまっていたらしい。
しかし、ずるい私はそれに気付かなかったことにした。
私は彼から時計が見えないようにミロを抱き寄せると、その耳元にもう一度「誕生日おめでとう」と囁き、そのついでに耳朶を淡く噛んでやった。
くすぐったそうに眉を寄せ微笑むミロの顔はひどく嬉しそうで、その瞳にみつめられるだけで最上の貴腐ワインよりもはるかに心地よく酔える気がした。