にゃんこ十二宮
【白羊宮】
今日は天気もいいので、いつも遊んでくれる人たちがいる山に登ってみようと思います。
階段をてくてく登っていくと、すぐに仔人間が私に気がつきました。
「あ、 ! ムウさま、 が来ましたよっ!」
ぴょんぴょんと跳ねるように階段を下りてきた仔人間は、私をひょいと抱き上げます。
そうして私を天高く差し上げたまま、階段の途中にもかかわらずくるくると踊るように回りだしたので、私は仔人間が転んでしまうのではないかとひやひやしました。
仔人間は乱暴なので困るのですが、大抵こんなときは仔人間の飼い主が宥めてくれるので、少しの我慢です。
「貴鬼、 が困っていますよ。もう少し丁寧に扱っておあげなさい」
騒ぎに呆れたように、飼い主のムウさんが家から出てきました。
これでもう安心です。
ムウさんは仔人間から私を受け取ると、にっこりと安心させるように笑ってくれました。
「にゃあ」
助けてくれたお礼をいうと、ムウさんは突然私の首に手をかけました。
何をしてるんだろうと不思議に思っていると、ムウさんは親指と人差し指で私の首を挟みこみ、満足気にうなずきます。
「いいところに来ました。 に渡すものがあるのですよ」
家の中に連れて行かれた私は、ムウさんの作業台の上に下ろされました。
ここはいつも「入ってはいけません」と言われているところです。
いろんな道具の数々を目の前にして、私はわくわくと周囲を見渡しました。
さて、何から遊びましょう?
「 、じっとしてるんですよ」
「みゃ?」
ムウさんを見上げてみると、突然首の周りにひんやりとした感じを覚えました。
首に何かがはめられたのですが、それが冷たくてとても気持ちがいいのです。
「首周りは私の目測通りでしたね」
得意気なムウさんの傍らで、貴鬼さんが話しかけてきます。
「この首輪、おいらの腕輪と同じだね、 !」
貴鬼さんが自分の腕を私に見せるように差し出してきました。
貴鬼さんの腕にはきらきら輝く金色のわっかがはまっています。
同じというからには、私の首にもこのきれいなわっかがはまっているんでしょう。
あれ? ということは、貴鬼さんももともとは猫で、この腕輪のおかげで人間になれたのでしょうか?
ええ、きっとそうに違いありません。
だって貴鬼さんときたら、いつだってちょこまかと動き回って、その落ち着きの無さはとても人間とは思えませんでしたから。
「この首輪はGPS機能搭載ですから、 がどこにいてもすぐにわかりますよ。あなたはいつも気紛れですからね」
ムウさんは何だか難しいことを言っていますが、多分これも私が人間になったらわかることでしょう。
「にゃあ」
思いがけないプレゼントがとても嬉しくてとびっきりの笑顔でお礼を言うと、私は他の皆さんにも自慢しに行こうとムウさんの家を後にしました。
【双児宮】
アルデバランさんはお留守のようだったので、次はお隣のお隣の家を訪問しました。
ここに住んでいるのは、とても顔のよく似た二人です。
外見はよく似てるけれど、性格は違って、でもやっぱりどこかそっくりな不思議な人間たちなのです。
「にゃ」
礼儀正しくご挨拶をしてから入っていくと、サガさんがお出迎えしてくれました。
「おや、 。久しぶりだね」
「にゃん」
首輪に気づいてもらいたくて、足元にまとわりついてみると、サガさんは優しく微笑んで、私を抱き上げてくれました。
「素敵な首輪だね、 。よく似合うよ」
そう言いながら指の先で顎の下を撫でてくれるものだから、私はうっとりと目を細めてごろごろと喉を鳴らしました。
いつもそうなのですが、サガさんは、私がこうしてほしいな、と思うことが、手に取るようにわかるようなのです。
ひょっとしたら、サガさんも昔は猫だったのかもしれません。
「何だ、また来てるのか、 」
振り返ると、カノンさんが近づいてくるところでした。
口調は全然違うのですが、何度見てもやっぱりサガさんとよく似ています。
「にゃ」
カノンさんにもこの首輪を見てもらいたくて、私はサガさんの腕の中で一生懸命背伸びをしてみせました。
「おい、サガ。 が逃げたがってるぞ」
……カノンさんは、少々猫心理の読解力が欠けてるようです。
「にゃにゃ」
「そうだよな、こんな偽善者の近くは嫌だよな、 も」
一生懸命に「違うんだ!」と訴えかけているのに、カノンさんは的外れなところで勝手に納得してしまいます。
「……誰が偽善者だと言うのだ、カノン?」
「そりゃ、我が愚兄以外に……」
言いかけたカノンさんの笑顔がそのまま凍りつきました。
私も全身の毛がちりちりと逆立つようで、どうにも落ち着きません。
これは危険です。
前にもこんなことがありましたが、そのときはなぜかこの家だけが大地震に見舞われたのでした。
再びそんな目にはあいたくありません。
私はばっとサガさんの腕の中から飛び降りると、一目散に外に逃げ出しました。
階段をひた走り、次のお宅まであと少しというところまで来たとき、突然轟音がとどろきました。
振り返ってみると、サガさんとカノンさんの家の一部が壊れ、もうもうと埃が立ち上っています。
やはり、あれは局地的地震の前触れだったに違いありません。
サガさんとカノンさんはとても強いので無事だとは思いますが、私は先に逃げ出しておいて本当によかったと思います。
【巨蟹宮】
次の家は、いつもいい匂いがします。
ここはもっとずっと上に住んでいるアフロディーテさんの別荘らしいのですが、料理人のデスマスクさんがとても美味しいご飯を作ってくれるのです。
まだ私が小さな仔猫だった頃には壁中からヘンな人たちが覗いてましたが、いつのまにか皆いなくなったので嬉しいです。
だってあの人たち、何だかとても気味が悪くて、おまけにどんなに毛を逆立てて威嚇しても全然怖がってくれなかったんですから。
本当にいなくなってくれてよかったと思いつつ、私はお庭に向かいました。
お天気のいい日は、アフロディーテさんはよくお庭でお食事をしていたりするのです。
もしかしたら、お皿から少し取り分けてくれるかもしれません。
そんな期待をしながらお庭に行くと、やはり思ったとおり、アフロディーテさんはお庭のテーブルにいました。
「にゃ」
一声かけると、ほんの少しだけ首をかしげこちらを見たアフロディーテさんが微笑んでくれます。
「 か。いらっしゃい」
私はお言葉に甘えてアフロディーテさんの膝の上に乗りました。
アフロディーテさんからは、今日もふわりといい香りがします。
お花の匂いでしょうか?
いつもこの匂いを嗅ぐたびに、私は噂に聞くまたたびというものは、きっとこんなとろけそうな匂いに違いないと思うのです。
「へえ、いいチョーカーしてるね。ねえ、 、これ、私にくれない?」
アフロディーテさんはそう言いながら、私の首輪をつっと指で弾きました。
とんでもありません。
これは私が人間になるために必要な大切な首輪です。
「にゃーっ!」
私はテーブルの上に飛び上がると、ふーっと背を丸くしてアフロディーテさんを一生懸命にらみました。
でも、壁の中から顔を出してた人たちみたいに、アフロディーテさんは少しも怖がってくれません。
「冗談だよ。私の首はそんなに細くないし、きっと の方がよく似合う。ほら、みてごらん」
くすくす笑いながら、アフロディーテさんはテーブルの上にあった薄い板を私の方に向けました。
……何ということでしょう!
私と同じように首輪をした猫が、この板の中に閉じ込められているではありませんか!
板の中の猫も、私の首輪に気づいたのか、とても驚いた顔をしています。
やはり彼女もムウさんに首輪を作ってもらったのでしょうか?
ひょっとして、もう首輪の力で人間になったことがあるのでしょうか?
だとしたら、今後の参考のために、ぜひ感想を聞いておきたいものです。
私は板の中の猫に近づき……ぶつかりました。
「みゃみゃ?」
手を伸ばしてみましたが、やはり板の向こうには入れません。
向こうの猫も一生懸命手を伸ばしてくれますが、全く無駄のようです。
「みゃ〜」
私はアフロディーテさんを見上げて助けを求めましたが、彼はくすくす笑うだけです。
きれいなバラにトゲがあるように、アフロディーテさんはたまに意地悪く私をからかってはおかしそうに笑うのです。
あ、もしかしたら、これはムウさんの「くりすたる・うぉーる」とかいう技にかけられているのかもしれません。
きっとアフロディーテさんにも、この技の解き方はわからないのです。
でも、わからないと言うのが悔しくて、それで私に意地悪をしているのかもしれません。
本当に人間とはやっかいな生き物です。
「お、 じゃねーか。なに鏡と遊んでんだ?」
デスマスクさんが大きなお皿を手にやってきました。
あんまりにもいい匂いがするものだから、私は板の中の猫のことを一瞬忘れてしまいました。
「みゃん」
おすまし顔でおねだりすると、「しょうがねーな、 は」と言いつつ、デスマスクさんは蟹の剥き身を一切れくれました。
デスマスクさんはすこし顔は怖いのですが、意外と猫好きで優しい人なのです。
半分ほど食べたところで、「そうだ、板の中の猫にもあげよう」と思いつきましたが、ふと見ると、どうやら彼女もご飯をもらえたようです。
安心した私はいただいたご飯をきれいに食べ、二人に丁寧にお礼を言うと、次のお宅へ出かけることにしました。
【獅子宮】
次のお宅は要注意です。
ここはムウさんの家の仔人間に匹敵する危険人物の縄張りなのです。
この人物は本当はもっと上の方に家があるらしいのですが、どうも弟のところにやたら入り浸っては面倒を焼かせているようなのです。
私にとって危険なばかりか、弟にまで迷惑をかけるとは何と困った人なのでしょう。
しかも私や弟のアイオリアさんを振り回してあたふたさせていることに全く気付いていないらしいというのですから、手がつけられません。
それにしても人間の兄弟というのは不思議なものです。
私たちの仲間の兄弟もよく似ているとはいえ、どこかしら毛並みが違ったりするものです。
ところが、サガさんとカノンさんといい、この危険人物とアイオリアさんといい、人間の兄弟は全く顔の見分けがつかないほどよく似ているのです。
人間の皆さんは一体どこで区別をつけているのでしょう?
これはぜひとも今後の研究課題にしなくてはなりません。
おや、そんなことを考えている間に、もう階段を上りきってしまいました。
ここからは危険人物に気配を悟られないよう慎重に行かねばなりません。
音を立てないように爪をひっこめて、私は息を詰めつつそろりそろりと歩き出しました。
……成功です!
今日は危険人物につかまることもなく、無事に次のお宅へ進めそうです。
ほっとした私は、晴れやかな気分で次のお宅へと続く階段を見上げました。
……見上げられませんでした。
目の前に立ちふさがる人影が、私の視界を遮っているのです。
顔はよくみえないのですが、誰でしょう。
は! ひょっとしてまさかもしやあの恐るべき危険人物では……!!
私は一目散に逃げ出そうとして……捕まりました。
「にゃあああ」
「はは、は相変わらず元気だなあ!」
……そういうあなたほどではありません。
それに、そもそも首根っこを摘み上げたりしないでください。
全く危険人物は、猫に対する礼儀をわきまえていなくて困ります。
「にゃあにゃあ」
「そうか、俺もに会えて嬉しいぞ」
……私の精一杯の抗議は、危険人物 アイオロスさんの満面の笑みにあっけなく跳ね返されました。
ダメです、この人に何を言ったって聞いてもらえません。
ここは救いの手を待つしか……。
「兄さん、またを虐めて……!」
神様ありがとうございます、救いが来ました!
たしなめてくれているのは弟のアイオリアさんです。
ああ、アイオロスさんと同じ顔をしているというのに、なんと良識的な優しいお言葉なのでしょう。
「にゃー」
私は助けを求めて、アイオリアさんに精一杯手を伸ばしました。
が。
「そうだ。リア、おまえ、に修行つけてもらえ」
「……は?」
「……にゃ?」
唐突なアイオロスさんの一言に、私もアイオリアさんも呆けたように動きを止めました。
アイオロスさんだけが満足そうに笑っています。
「獅子はでっかい猫みたいなもんだからな。柔軟な身のこなしの秘訣をに教えてもらうといい」
よくわからない理屈なのですが、とりあえず私は褒められているようです。
気分をよくした私が得意げに胸を張ろうとした、そのときです。
「猫は高いところから落ちても、しっかり着地できるんだそうだ。ほら!」
「ふみゃあああああああああああああ!!!!!」
次の瞬間、私は鳥になっていました。
空気を切り裂きながら、一直線に天に向かって突き進んでいるのです。
どうやらアイオロスさんに空高く放り上げられたようなのです。
どんどんどんどん空が近づき、太陽にも手が届きそうです。
つい手を伸ばした私は、そこで己の過ちを悟りました。
私はやはり猫だったのです。
当然ながら、羽を持たない猫は飛べません。
飛び上がる速度が遅くなったと思ったら、今度は逆にどんどんどんどん地上が近づいてくるではありませんか!
こんな高いところから落ちても無事に着地できるような頑丈な体は、生憎持ち合わせていません。
私の短い猫生も、ここで終わりを告げてしまうのでしょうか。
こんなことなら、さっきアフロディーテさんにもっとごちそうをねだっておくのでした。
まだこの先にお会いしたい方々もいるのですが、もうお別れなのでしょう。
ああ、シャカさん、ミロさん、シュラさん、カミュさん、短い間でしたがお世話になりました。
すべて、この常識のないアイオロスさんのせいなのです!
きゅっと瞳を閉じた私は、全世界にそう叫んでやろうとしました。
……しかし、その必要はありませんでした。
地上にぶつかる前に、アイオリアさんが私をしっかりと抱きとめてくれたのです。
「……みゃ……」
「ごめんな、。兄さん、悪気はないんだ。許してやってくれ」
息も絶え絶えの私でしたが、アイオリアさんがとてもすまなそうな表情で謝るので、もう何もいえません。
アイオリアさんにそっと地上に降ろしてもらった私は、よろけながらも次のお宅へ向かいました。
やはりここは危険地帯だという思いを強くした私は、振り返ることもできませんでした。
【白羊宮】
今日は天気もいいので、いつも遊んでくれる人たちがいる山に登ってみようと思います。
階段をてくてく登っていくと、すぐに仔人間が私に気がつきました。
「あ、 ! ムウさま、 が来ましたよっ!」
ぴょんぴょんと跳ねるように階段を下りてきた仔人間は、私をひょいと抱き上げます。
そうして私を天高く差し上げたまま、階段の途中にもかかわらずくるくると踊るように回りだしたので、私は仔人間が転んでしまうのではないかとひやひやしました。
仔人間は乱暴なので困るのですが、大抵こんなときは仔人間の飼い主が宥めてくれるので、少しの我慢です。
「貴鬼、 が困っていますよ。もう少し丁寧に扱っておあげなさい」
騒ぎに呆れたように、飼い主のムウさんが家から出てきました。
これでもう安心です。
ムウさんは仔人間から私を受け取ると、にっこりと安心させるように笑ってくれました。
「にゃあ」
助けてくれたお礼をいうと、ムウさんは突然私の首に手をかけました。
何をしてるんだろうと不思議に思っていると、ムウさんは親指と人差し指で私の首を挟みこみ、満足気にうなずきます。
「いいところに来ました。 に渡すものがあるのですよ」
家の中に連れて行かれた私は、ムウさんの作業台の上に下ろされました。
ここはいつも「入ってはいけません」と言われているところです。
いろんな道具の数々を目の前にして、私はわくわくと周囲を見渡しました。
さて、何から遊びましょう?
「 、じっとしてるんですよ」
「みゃ?」
ムウさんを見上げてみると、突然首の周りにひんやりとした感じを覚えました。
首に何かがはめられたのですが、それが冷たくてとても気持ちがいいのです。
「首周りは私の目測通りでしたね」
得意気なムウさんの傍らで、貴鬼さんが話しかけてきます。
「この首輪、おいらの腕輪と同じだね、 !」
貴鬼さんが自分の腕を私に見せるように差し出してきました。
貴鬼さんの腕にはきらきら輝く金色のわっかがはまっています。
同じというからには、私の首にもこのきれいなわっかがはまっているんでしょう。
あれ? ということは、貴鬼さんももともとは猫で、この腕輪のおかげで人間になれたのでしょうか?
ええ、きっとそうに違いありません。
だって貴鬼さんときたら、いつだってちょこまかと動き回って、その落ち着きの無さはとても人間とは思えませんでしたから。
「この首輪はGPS機能搭載ですから、 がどこにいてもすぐにわかりますよ。あなたはいつも気紛れですからね」
ムウさんは何だか難しいことを言っていますが、多分これも私が人間になったらわかることでしょう。
「にゃあ」
思いがけないプレゼントがとても嬉しくてとびっきりの笑顔でお礼を言うと、私は他の皆さんにも自慢しに行こうとムウさんの家を後にしました。
【双児宮】
アルデバランさんはお留守のようだったので、次はお隣のお隣の家を訪問しました。
ここに住んでいるのは、とても顔のよく似た二人です。
外見はよく似てるけれど、性格は違って、でもやっぱりどこかそっくりな不思議な人間たちなのです。
「にゃ」
礼儀正しくご挨拶をしてから入っていくと、サガさんがお出迎えしてくれました。
「おや、 。久しぶりだね」
「にゃん」
首輪に気づいてもらいたくて、足元にまとわりついてみると、サガさんは優しく微笑んで、私を抱き上げてくれました。
「素敵な首輪だね、 。よく似合うよ」
そう言いながら指の先で顎の下を撫でてくれるものだから、私はうっとりと目を細めてごろごろと喉を鳴らしました。
いつもそうなのですが、サガさんは、私がこうしてほしいな、と思うことが、手に取るようにわかるようなのです。
ひょっとしたら、サガさんも昔は猫だったのかもしれません。
「何だ、また来てるのか、 」
振り返ると、カノンさんが近づいてくるところでした。
口調は全然違うのですが、何度見てもやっぱりサガさんとよく似ています。
「にゃ」
カノンさんにもこの首輪を見てもらいたくて、私はサガさんの腕の中で一生懸命背伸びをしてみせました。
「おい、サガ。 が逃げたがってるぞ」
……カノンさんは、少々猫心理の読解力が欠けてるようです。
「にゃにゃ」
「そうだよな、こんな偽善者の近くは嫌だよな、 も」
一生懸命に「違うんだ!」と訴えかけているのに、カノンさんは的外れなところで勝手に納得してしまいます。
「……誰が偽善者だと言うのだ、カノン?」
「そりゃ、我が愚兄以外に……」
言いかけたカノンさんの笑顔がそのまま凍りつきました。
私も全身の毛がちりちりと逆立つようで、どうにも落ち着きません。
これは危険です。
前にもこんなことがありましたが、そのときはなぜかこの家だけが大地震に見舞われたのでした。
再びそんな目にはあいたくありません。
私はばっとサガさんの腕の中から飛び降りると、一目散に外に逃げ出しました。
階段をひた走り、次のお宅まであと少しというところまで来たとき、突然轟音がとどろきました。
振り返ってみると、サガさんとカノンさんの家の一部が壊れ、もうもうと埃が立ち上っています。
やはり、あれは局地的地震の前触れだったに違いありません。
サガさんとカノンさんはとても強いので無事だとは思いますが、私は先に逃げ出しておいて本当によかったと思います。
【巨蟹宮】
次の家は、いつもいい匂いがします。
ここはもっとずっと上に住んでいるアフロディーテさんの別荘らしいのですが、料理人のデスマスクさんがとても美味しいご飯を作ってくれるのです。
まだ私が小さな仔猫だった頃には壁中からヘンな人たちが覗いてましたが、いつのまにか皆いなくなったので嬉しいです。
だってあの人たち、何だかとても気味が悪くて、おまけにどんなに毛を逆立てて威嚇しても全然怖がってくれなかったんですから。
本当にいなくなってくれてよかったと思いつつ、私はお庭に向かいました。
お天気のいい日は、アフロディーテさんはよくお庭でお食事をしていたりするのです。
もしかしたら、お皿から少し取り分けてくれるかもしれません。
そんな期待をしながらお庭に行くと、やはり思ったとおり、アフロディーテさんはお庭のテーブルにいました。
「にゃ」
一声かけると、ほんの少しだけ首をかしげこちらを見たアフロディーテさんが微笑んでくれます。
「 か。いらっしゃい」
私はお言葉に甘えてアフロディーテさんの膝の上に乗りました。
アフロディーテさんからは、今日もふわりといい香りがします。
お花の匂いでしょうか?
いつもこの匂いを嗅ぐたびに、私は噂に聞くまたたびというものは、きっとこんなとろけそうな匂いに違いないと思うのです。
「へえ、いいチョーカーしてるね。ねえ、 、これ、私にくれない?」
アフロディーテさんはそう言いながら、私の首輪をつっと指で弾きました。
とんでもありません。
これは私が人間になるために必要な大切な首輪です。
「にゃーっ!」
私はテーブルの上に飛び上がると、ふーっと背を丸くしてアフロディーテさんを一生懸命にらみました。
でも、壁の中から顔を出してた人たちみたいに、アフロディーテさんは少しも怖がってくれません。
「冗談だよ。私の首はそんなに細くないし、きっと の方がよく似合う。ほら、みてごらん」
くすくす笑いながら、アフロディーテさんはテーブルの上にあった薄い板を私の方に向けました。
……何ということでしょう!
私と同じように首輪をした猫が、この板の中に閉じ込められているではありませんか!
板の中の猫も、私の首輪に気づいたのか、とても驚いた顔をしています。
やはり彼女もムウさんに首輪を作ってもらったのでしょうか?
ひょっとして、もう首輪の力で人間になったことがあるのでしょうか?
だとしたら、今後の参考のために、ぜひ感想を聞いておきたいものです。
私は板の中の猫に近づき……ぶつかりました。
「みゃみゃ?」
手を伸ばしてみましたが、やはり板の向こうには入れません。
向こうの猫も一生懸命手を伸ばしてくれますが、全く無駄のようです。
「みゃ〜」
私はアフロディーテさんを見上げて助けを求めましたが、彼はくすくす笑うだけです。
きれいなバラにトゲがあるように、アフロディーテさんはたまに意地悪く私をからかってはおかしそうに笑うのです。
あ、もしかしたら、これはムウさんの「くりすたる・うぉーる」とかいう技にかけられているのかもしれません。
きっとアフロディーテさんにも、この技の解き方はわからないのです。
でも、わからないと言うのが悔しくて、それで私に意地悪をしているのかもしれません。
本当に人間とはやっかいな生き物です。
「お、 じゃねーか。なに鏡と遊んでんだ?」
デスマスクさんが大きなお皿を手にやってきました。
あんまりにもいい匂いがするものだから、私は板の中の猫のことを一瞬忘れてしまいました。
「みゃん」
おすまし顔でおねだりすると、「しょうがねーな、 は」と言いつつ、デスマスクさんは蟹の剥き身を一切れくれました。
デスマスクさんはすこし顔は怖いのですが、意外と猫好きで優しい人なのです。
半分ほど食べたところで、「そうだ、板の中の猫にもあげよう」と思いつきましたが、ふと見ると、どうやら彼女もご飯をもらえたようです。
安心した私はいただいたご飯をきれいに食べ、二人に丁寧にお礼を言うと、次のお宅へ出かけることにしました。
【獅子宮】
次のお宅は要注意です。
ここはムウさんの家の仔人間に匹敵する危険人物の縄張りなのです。
この人物は本当はもっと上の方に家があるらしいのですが、どうも弟のところにやたら入り浸っては面倒を焼かせているようなのです。
私にとって危険なばかりか、弟にまで迷惑をかけるとは何と困った人なのでしょう。
しかも私や弟のアイオリアさんを振り回してあたふたさせていることに全く気付いていないらしいというのですから、手がつけられません。
それにしても人間の兄弟というのは不思議なものです。
私たちの仲間の兄弟もよく似ているとはいえ、どこかしら毛並みが違ったりするものです。
ところが、サガさんとカノンさんといい、この危険人物とアイオリアさんといい、人間の兄弟は全く顔の見分けがつかないほどよく似ているのです。
人間の皆さんは一体どこで区別をつけているのでしょう?
これはぜひとも今後の研究課題にしなくてはなりません。
おや、そんなことを考えている間に、もう階段を上りきってしまいました。
ここからは危険人物に気配を悟られないよう慎重に行かねばなりません。
音を立てないように爪をひっこめて、私は息を詰めつつそろりそろりと歩き出しました。
……成功です!
今日は危険人物につかまることもなく、無事に次のお宅へ進めそうです。
ほっとした私は、晴れやかな気分で次のお宅へと続く階段を見上げました。
……見上げられませんでした。
目の前に立ちふさがる人影が、私の視界を遮っているのです。
顔はよくみえないのですが、誰でしょう。
は! ひょっとしてまさかもしやあの恐るべき危険人物では……!!
私は一目散に逃げ出そうとして……捕まりました。
「にゃあああ」
「はは、は相変わらず元気だなあ!」
……そういうあなたほどではありません。
それに、そもそも首根っこを摘み上げたりしないでください。
全く危険人物は、猫に対する礼儀をわきまえていなくて困ります。
「にゃあにゃあ」
「そうか、俺もに会えて嬉しいぞ」
……私の精一杯の抗議は、危険人物
ダメです、この人に何を言ったって聞いてもらえません。
ここは救いの手を待つしか……。
「兄さん、またを虐めて……!」
神様ありがとうございます、救いが来ました!
たしなめてくれているのは弟のアイオリアさんです。
ああ、アイオロスさんと同じ顔をしているというのに、なんと良識的な優しいお言葉なのでしょう。
「にゃー」
私は助けを求めて、アイオリアさんに精一杯手を伸ばしました。
が。
「そうだ。リア、おまえ、に修行つけてもらえ」
「……は?」
「……にゃ?」
唐突なアイオロスさんの一言に、私もアイオリアさんも呆けたように動きを止めました。
アイオロスさんだけが満足そうに笑っています。
「獅子はでっかい猫みたいなもんだからな。柔軟な身のこなしの秘訣をに教えてもらうといい」
よくわからない理屈なのですが、とりあえず私は褒められているようです。
気分をよくした私が得意げに胸を張ろうとした、そのときです。
「猫は高いところから落ちても、しっかり着地できるんだそうだ。ほら!」
「ふみゃあああああああああああああ!!!!!」
次の瞬間、私は鳥になっていました。
空気を切り裂きながら、一直線に天に向かって突き進んでいるのです。
どうやらアイオロスさんに空高く放り上げられたようなのです。
どんどんどんどん空が近づき、太陽にも手が届きそうです。
つい手を伸ばした私は、そこで己の過ちを悟りました。
私はやはり猫だったのです。
当然ながら、羽を持たない猫は飛べません。
飛び上がる速度が遅くなったと思ったら、今度は逆にどんどんどんどん地上が近づいてくるではありませんか!
こんな高いところから落ちても無事に着地できるような頑丈な体は、生憎持ち合わせていません。
私の短い猫生も、ここで終わりを告げてしまうのでしょうか。
こんなことなら、さっきアフロディーテさんにもっとごちそうをねだっておくのでした。
まだこの先にお会いしたい方々もいるのですが、もうお別れなのでしょう。
ああ、シャカさん、ミロさん、シュラさん、カミュさん、短い間でしたがお世話になりました。
すべて、この常識のないアイオロスさんのせいなのです!
きゅっと瞳を閉じた私は、全世界にそう叫んでやろうとしました。
……しかし、その必要はありませんでした。
地上にぶつかる前に、アイオリアさんが私をしっかりと抱きとめてくれたのです。
「……みゃ……」
「ごめんな、。兄さん、悪気はないんだ。許してやってくれ」
息も絶え絶えの私でしたが、アイオリアさんがとてもすまなそうな表情で謝るので、もう何もいえません。
アイオリアさんにそっと地上に降ろしてもらった私は、よろけながらも次のお宅へ向かいました。
やはりここは危険地帯だという思いを強くした私は、振り返ることもできませんでした。