クリスマスを祝うというのは、女神を信仰する聖域では奇怪なことかもしれなかった。
しかし、当の女神その人が、寛容なのだ。
日本という数多の神々を受け入れてきた国に育った彼女は、クリスマスも大切な祝い事になっているらしい。
もっとも、この習慣自体、もともとはキリストではなくミトラス神の誕生祝だったとの説があるくらいだ。
こだわる必要もないのかもしれないが、宗教という枠を軽々と超えてしまう彼女は、やはり神なのだと思わされた。
世俗的には財団の事実上の代表者でもある沙織にとっては、仕事を離れた純粋なクリスマスパーティーというものが久しぶりだったのだろう。
一月以上も前から、聖域を訪れる度に、パーティーの計画を嬉々として語っていた。
そして、聖夜は訪れた。
ミロは宝瓶宮に向かっていた。
教皇の間で催される立食パーティーに出席するため、道すがら親友を誘いにきたのだ。
お祭騒ぎの好きなミロにしては珍しく、その表情は浮かない。
先頃の告白に、カミュが返事をする期限が今日だった。
今日を境に、ミロはカミュの大切な人間の筆頭から転落するのだ。
楽しいはずがなかった。
それでも、時間は容赦なく迫る。
扉を開けミロの姿を見とめたカミュは、呆れたようにため息をついた。
「なんだ、その格好」
「だって、苦しいんだもん」
珍しくスーツを着たというのに、そこだけ場違いなほど緩く結ばれたタイを手早く解き、カミュはきっちりと結びなおしてくれた。
表情はいつもと変わらないが、結論は胸のうちに秘めているのだろうか。
ミロの首にかかる手が、切ない。
このまま絞め殺してくれないかな。
「女神に失礼だろう。はい、これでよし」
ぽんと肩を叩くカミュの手で、甘美な妄想はあっけなく断ち切られた。
こうして世話をしてくれるのも、これが最後かもしれない。
そう思うと、首の周りの拘束が、一層きつくなる気がした。
会場は、数時間前までは教皇の間として威容を誇っていたとは思えないほど様変わりしていた。
教皇の座の傍には天井まで届くほど高いツリーが、きらびやかな装飾をまとった姿を見せている。
部屋の中央には幾つもテーブルが設置され、料理人が全精力を傾けて作った料理の数々が食欲をかきたてる芳香を放っていた。
いつも薄暗く緊張感を漂わせている空間が、煌々と照明に照らされ明滅を繰り返す電飾に染められている様は、違和感を禁じえない。
しかし、集まる人々の表情は皆、穏やかで楽しげだった。
その情景を目にして初めて、このパーティーが聖域に暮らす人々の慰安を兼ねていることにようやく思い至る。
頑なに難色を示していた神官たちも、認識を新たにしたらしい。
女神としても、ただの一個人としても、沙織は人の上に立つにふさわしい存在なのだ。
会場には、既にほとんどの顔ぶれが揃っていた。
カミュの姿を見とめたサガとシュラが、さっそく近づいてくる。
正装が似合うのは、やはりいい男の証明だろう。
ごく自然に正装を着こなしている二人は、大人の色気というものさえ漂わせていた。
艶やかな銀の髪が黒衣に映えるサガと、しなやかな黒豹のようなシュラ。
タキシードは嫌だと言い張ったミロは、妥協したダークスーツにさえ着られているような状態なのに。
滅多に感じない劣等感に、ミロは我知らず顔を歪めていた。
そんなミロの様子にも気づかないのか、サガはカミュに微笑みかける。
「さっきシュラと話していたんだが、カミュに異存がなければ、このパーティーを交替でエスコートしたいと思う」
「パーティーを三分して、最初はサガ、次が俺、最後はミロが、カミュと共に過ごそうということになったんだ」
立て続けの二人の言葉に、カミュは事情が飲み込めないのか、ただ瞳をまたたかせていた。
が、訳もわからない様子のまま、サガに連れられて去っていく。
残されてふてくされたミロを、シュラは笑った。
「なんかお前、母親に置いてきぼりにされた子供みたいだな」
ミロのしょぼくれた顔が余程可笑しいのか、ひとしきり笑った後、シュラの顔からすっと笑みが消える。
カミュの嫌いな巧すぎるポーカーフェースって、こういうことなんだろう。
ミロは漠然とそう思いながら、シュラを見返した。
「感謝しろよ。おまえにも機会を与えてやったんだからな」
「何のことだよ」
不興気に睨みつけるミロに、シュラは訳知り顔で囁いた。
「俺かサガに、カミュをみすみす取られてもいいんだったら、別に構わんがな」
ミロの顔が強張った。
気づかれていた。
カミュへの恋情は完璧に隠し通していたと思ったのに、どうやらミロは二人を侮りすぎていたようだ。
動揺するミロに、冷笑が浴びせられる。
ま、そういうことだ、と独り言のように呟くと、シュラはミロを置いて友人達の方へと歩み去っていった。
立食パーティーといっても、要するに集まって飲み食いするだけだ。
ミロはグラスを手にすると、壁際に立ち尽くしていた。
視界の端に、サガとカミュが入る。
楽しそうに語らう二人の姿を見ていられなくて、ミロはすいっと目を逸らした。
「もう少しパーティーらしい顔をしたらどうです」
揶揄するように呼びかけてきたのは、ムウ。
顔を見るまでもなく、楽しげな微笑を浮かべているのがわかる。
人の気も知らないで。
「君の気持ちがわかるから、こうして励ましに来てやったのではないか」
勝手に人の心を読み取ってくるのはシャカ。
相変わらずの高飛車な物言いには、もう腹を立てる気も失せてきた。
「まあ、ミロ、そう落ち込むな」
精一杯とりなそうとしてくれるのがアイオリア。
あまり効果はないけれど。
「おまえらは楽しそうでいいな。どうせ賭けでもやってんだろ」
ムウとシャカが顔を見合わせて笑った。
図星だったらしい。
この二人は、何でも自分たちの娯楽に結び付けてしまえるのだ。
ある意味、才能かもしれなかった。
「よくわかりましたね。私はシュラに、シャカはサガに賭けてますよ」
「カミュは何か言っていなかったかね、どちらを選んだか」
人の傷口を掘り返すのも、才能だろうか。
ミロが怒りの目を向けようとしたとき、アイオリアの慰める声がした。
「安心しろ、俺は大穴でおまえに賭けたから」
「……おまえらーっ!」
怒りに震えるミロも、彼らにとっては楽しい余興に過ぎないらしかった。
涼やかな笑顔に、ミロの激情は微風のようにさらりとかわされていた。
しかし、当の女神その人が、寛容なのだ。
日本という数多の神々を受け入れてきた国に育った彼女は、クリスマスも大切な祝い事になっているらしい。
もっとも、この習慣自体、もともとはキリストではなくミトラス神の誕生祝だったとの説があるくらいだ。
こだわる必要もないのかもしれないが、宗教という枠を軽々と超えてしまう彼女は、やはり神なのだと思わされた。
世俗的には財団の事実上の代表者でもある沙織にとっては、仕事を離れた純粋なクリスマスパーティーというものが久しぶりだったのだろう。
一月以上も前から、聖域を訪れる度に、パーティーの計画を嬉々として語っていた。
そして、聖夜は訪れた。
ミロは宝瓶宮に向かっていた。
教皇の間で催される立食パーティーに出席するため、道すがら親友を誘いにきたのだ。
お祭騒ぎの好きなミロにしては珍しく、その表情は浮かない。
先頃の告白に、カミュが返事をする期限が今日だった。
今日を境に、ミロはカミュの大切な人間の筆頭から転落するのだ。
楽しいはずがなかった。
それでも、時間は容赦なく迫る。
扉を開けミロの姿を見とめたカミュは、呆れたようにため息をついた。
「なんだ、その格好」
「だって、苦しいんだもん」
珍しくスーツを着たというのに、そこだけ場違いなほど緩く結ばれたタイを手早く解き、カミュはきっちりと結びなおしてくれた。
表情はいつもと変わらないが、結論は胸のうちに秘めているのだろうか。
ミロの首にかかる手が、切ない。
このまま絞め殺してくれないかな。
「女神に失礼だろう。はい、これでよし」
ぽんと肩を叩くカミュの手で、甘美な妄想はあっけなく断ち切られた。
こうして世話をしてくれるのも、これが最後かもしれない。
そう思うと、首の周りの拘束が、一層きつくなる気がした。
会場は、数時間前までは教皇の間として威容を誇っていたとは思えないほど様変わりしていた。
教皇の座の傍には天井まで届くほど高いツリーが、きらびやかな装飾をまとった姿を見せている。
部屋の中央には幾つもテーブルが設置され、料理人が全精力を傾けて作った料理の数々が食欲をかきたてる芳香を放っていた。
いつも薄暗く緊張感を漂わせている空間が、煌々と照明に照らされ明滅を繰り返す電飾に染められている様は、違和感を禁じえない。
しかし、集まる人々の表情は皆、穏やかで楽しげだった。
その情景を目にして初めて、このパーティーが聖域に暮らす人々の慰安を兼ねていることにようやく思い至る。
頑なに難色を示していた神官たちも、認識を新たにしたらしい。
女神としても、ただの一個人としても、沙織は人の上に立つにふさわしい存在なのだ。
会場には、既にほとんどの顔ぶれが揃っていた。
カミュの姿を見とめたサガとシュラが、さっそく近づいてくる。
正装が似合うのは、やはりいい男の証明だろう。
ごく自然に正装を着こなしている二人は、大人の色気というものさえ漂わせていた。
艶やかな銀の髪が黒衣に映えるサガと、しなやかな黒豹のようなシュラ。
タキシードは嫌だと言い張ったミロは、妥協したダークスーツにさえ着られているような状態なのに。
滅多に感じない劣等感に、ミロは我知らず顔を歪めていた。
そんなミロの様子にも気づかないのか、サガはカミュに微笑みかける。
「さっきシュラと話していたんだが、カミュに異存がなければ、このパーティーを交替でエスコートしたいと思う」
「パーティーを三分して、最初はサガ、次が俺、最後はミロが、カミュと共に過ごそうということになったんだ」
立て続けの二人の言葉に、カミュは事情が飲み込めないのか、ただ瞳をまたたかせていた。
が、訳もわからない様子のまま、サガに連れられて去っていく。
残されてふてくされたミロを、シュラは笑った。
「なんかお前、母親に置いてきぼりにされた子供みたいだな」
ミロのしょぼくれた顔が余程可笑しいのか、ひとしきり笑った後、シュラの顔からすっと笑みが消える。
カミュの嫌いな巧すぎるポーカーフェースって、こういうことなんだろう。
ミロは漠然とそう思いながら、シュラを見返した。
「感謝しろよ。おまえにも機会を与えてやったんだからな」
「何のことだよ」
不興気に睨みつけるミロに、シュラは訳知り顔で囁いた。
「俺かサガに、カミュをみすみす取られてもいいんだったら、別に構わんがな」
ミロの顔が強張った。
気づかれていた。
カミュへの恋情は完璧に隠し通していたと思ったのに、どうやらミロは二人を侮りすぎていたようだ。
動揺するミロに、冷笑が浴びせられる。
ま、そういうことだ、と独り言のように呟くと、シュラはミロを置いて友人達の方へと歩み去っていった。
立食パーティーといっても、要するに集まって飲み食いするだけだ。
ミロはグラスを手にすると、壁際に立ち尽くしていた。
視界の端に、サガとカミュが入る。
楽しそうに語らう二人の姿を見ていられなくて、ミロはすいっと目を逸らした。
「もう少しパーティーらしい顔をしたらどうです」
揶揄するように呼びかけてきたのは、ムウ。
顔を見るまでもなく、楽しげな微笑を浮かべているのがわかる。
人の気も知らないで。
「君の気持ちがわかるから、こうして励ましに来てやったのではないか」
勝手に人の心を読み取ってくるのはシャカ。
相変わらずの高飛車な物言いには、もう腹を立てる気も失せてきた。
「まあ、ミロ、そう落ち込むな」
精一杯とりなそうとしてくれるのがアイオリア。
あまり効果はないけれど。
「おまえらは楽しそうでいいな。どうせ賭けでもやってんだろ」
ムウとシャカが顔を見合わせて笑った。
図星だったらしい。
この二人は、何でも自分たちの娯楽に結び付けてしまえるのだ。
ある意味、才能かもしれなかった。
「よくわかりましたね。私はシュラに、シャカはサガに賭けてますよ」
「カミュは何か言っていなかったかね、どちらを選んだか」
人の傷口を掘り返すのも、才能だろうか。
ミロが怒りの目を向けようとしたとき、アイオリアの慰める声がした。
「安心しろ、俺は大穴でおまえに賭けたから」
「……おまえらーっ!」
怒りに震えるミロも、彼らにとっては楽しい余興に過ぎないらしかった。
涼やかな笑顔に、ミロの激情は微風のようにさらりとかわされていた。