願いごとなど、一つしかない。
この半年間、神にも悪魔にも祈ってきた願いは、たった一つ。
「本当に、何でも叶えてくれるのか」
かすかに震える声で、カミュは小人の蒼い瞳をみつめて問うた。
まっすぐにその視線を受け止めた小人は、大きく頷く。
「大抵のことならね」
心臓の音が鳴り響く。
喉が渇く。
奇跡は、存在するのだろうか。
摂理に逆らう願いは、叶うのだろうか。
カミュはこくりと唾を飲み込んだ。
願いは、決まっていた。
「……じゃあ、サガを生き返らせてくれ」
「……え?」
「恋人なんだ、半年前に亡くなった」
ほんの掌ほどの小さな存在に、縋りつくような真剣な眼差しを注ぐカミュを、小人は何度か瞬きしてみつめ返してきた。
圧し掛かった重苦しい沈黙が秒針の動きを止めてしまったように、時間の流れを緩慢にする。
やがて、重い視線を受け止めかねたか、すっと視線を外した小人は居心地悪げに俯いた。
「……ごめん、それはムリ。神様の領域だから」
先ほどまでの自信に満ち溢れた声とは打って変わったか細い声が、カミュの鼓膜に突き刺さる。
……ああ、やはり。
何を期待していたのだろう。
口元に、場違いな笑みが浮かんだ。
ほんの少しでも希望を抱いた自分に対する、自嘲の笑み。
カミュは瞳を閉じると、深々と息を吐いた。
小人の出現などという不可思議な現象を目の当たりにして、自分も少々常軌を逸していたらしい。
彼が甦ることなどないのだ。
あの穏やかな声も、温かい腕も、優しい口付けも。
二度と、得られはしない。
サガは、死んだのだ。
不意に目頭が熱くなり、カミュは慌てて両手で顔を覆った。
涙の壷は、いつになったら涸れてくれるのか。
一生分泣いたと思っていたのに、まだカミュの涙腺はこんなにももろく緩んでしまう。
目を背けていた事実はあまりにも酷で、向き合う勇気すら持てないのも当然だった。
現実を認めないまま、夢の中に彷徨っていたかったのだ。
それが決してよいことではないとわかっていつつも、カミュはひたすら想い出に浸っていた。
予期せぬ希望に、突如その心地よい世界から引き戻され、そして望みはあっけなく絶たれた。
叶わぬ夢を描いた愚かな自分に対する蔑みと、厳然と存在する恋人の死への愁嘆に、乱れた心は悲鳴を上げた。
とめどなく溢れる涙は、その叫び声だ。
不覚にも溢れ出す涙に動揺したのは、カミュだけではなかった。
小人も予想外のカミュの行動に驚いたらしい。
悪気はなかったとはいえ、期待を植え付け踏みにじってしまった罪悪感に苛まれたか、必死で両手を振りカミュの注意を引こうと叫ぶ。
「あっ、でもさ、それ以外だったら何とかなるかも。ねえ、何かない? 欲しい物とかさ」
カミュは小さくかぶりを振った。
「何もない。私の願いは、サガに再び会うことだけだ」
涙声ながらも、他人との会話が、カミュをようやく我に返らせた。
目の前の小人に罪はない。
悪いのは、神に叛くことを願った自分。
ただそれだけのことなのだ。
心配そうに自分をみつめる小人に、カミュは必死に笑顔を作ってみせた。
「すまない、取り乱して。私の願いはもういいから、誰か他の人の願いを叶えに行ってくれ」
小人は首を傾げた。
「ダメ。俺を呼び出したあんたの願いを叶えないと、蠍にも戻れないし」
「……そう」
小人の封印を解くためには、まだ数人の願いを叶える必要があるはずだった。
つまり、まだ蠍に戻らなくてはならない小人のためにも、是が非でもカミュは何か願いごとを考え出さなくてはならないらしい。
結局、元に戻ってしまった。
ただ、思案すべき問題の存在は有難かった。
意識を、サガの死から遠ざけることができる。
他事を考えている間に涙も乾き、心を落ち着かせることができる。
しばらくの間そうして願いごとを模索していたカミュは、やがて何か閃いたように目を見張った。
ついで、小人と目線を合わせるように顔を近づける。
「君は人間になりたいのか?」
「なりたいんじゃなくて、戻りたいの。もともと人間なんだから」
あんたやっぱり人の話聞いてない、と、長い金髪を苛立たしげにかき回す小人に、カミュは口元を緩めた。
「それなら、それを私の願いにすればいい」
「……は?」
言われた言葉の意味を量りかねたか、怪訝な顔で見上げる小人に、カミュはもう一度微笑んだ。今度は無理した笑顔ではなく、自然とこぼれる微笑だった。
「君を、人間に戻したい。それが私の願いなら、君は人間に戻れるのだろう?」
二、三度、蒼い瞳が不信に瞬いた。
感情表現のわかりやすい小人のことだ。これで人間に戻れると、きっと飛び上がって大喜びするに違いない。
嬉しそうにはしゃぐ姿を脳裏に描きつつ、カミュは微笑ましい思いで小人を見守った。
だが、期待に満ちた注視の中で、小人は静かに首を横に振る。
「それもダメ。あんた、本気じゃないから。さっきくらい真剣な願いじゃないと、その人のためにならないだろ」
「そうか。いろいろ制約があるのだな」
いい案だと思ったのだがと、頬杖をつき憮然として呟くカミュに、小人は再び明るい笑顔を向けた。
するするとリスのようにカミュの腕を伝い登り、その肩にちょこんと腰を下ろす。
「じゃ、こうしよう。あんたの願いごとがみつかるまで、俺はあんたの傍にいるよ」
「……勝手に決められても……」
「俺を呼び出したのはあんたなんだ。責任取れよな」
呼び出すつもりなどさらさらなかったのだが。
しかし、何を言ってもこの強引な小人には無駄なのだろう。
カミュはくすりと笑った。
ペットを飼い始めたと思えばいいだろうか。
にぎやかな小動物を。
人の話を聞かない。
すぐ謝る。
さらに状況に流されやすいというのも、これからは自分の欠点として挙げることになりそうだ。
「わかった。願いがみつかるまで、な。よろしく、ええと……」
「ミロ」
「よろしく、ミロ」
握手代わりに人差し指を差し出すと、小人 ミロは両手でその先を握り返してきた。
こうして、奇妙な共同生活は始まったのである。
この半年間、神にも悪魔にも祈ってきた願いは、たった一つ。
「本当に、何でも叶えてくれるのか」
かすかに震える声で、カミュは小人の蒼い瞳をみつめて問うた。
まっすぐにその視線を受け止めた小人は、大きく頷く。
「大抵のことならね」
心臓の音が鳴り響く。
喉が渇く。
奇跡は、存在するのだろうか。
摂理に逆らう願いは、叶うのだろうか。
カミュはこくりと唾を飲み込んだ。
願いは、決まっていた。
「……じゃあ、サガを生き返らせてくれ」
「……え?」
「恋人なんだ、半年前に亡くなった」
ほんの掌ほどの小さな存在に、縋りつくような真剣な眼差しを注ぐカミュを、小人は何度か瞬きしてみつめ返してきた。
圧し掛かった重苦しい沈黙が秒針の動きを止めてしまったように、時間の流れを緩慢にする。
やがて、重い視線を受け止めかねたか、すっと視線を外した小人は居心地悪げに俯いた。
「……ごめん、それはムリ。神様の領域だから」
先ほどまでの自信に満ち溢れた声とは打って変わったか細い声が、カミュの鼓膜に突き刺さる。
……ああ、やはり。
何を期待していたのだろう。
口元に、場違いな笑みが浮かんだ。
ほんの少しでも希望を抱いた自分に対する、自嘲の笑み。
カミュは瞳を閉じると、深々と息を吐いた。
小人の出現などという不可思議な現象を目の当たりにして、自分も少々常軌を逸していたらしい。
彼が甦ることなどないのだ。
あの穏やかな声も、温かい腕も、優しい口付けも。
二度と、得られはしない。
サガは、死んだのだ。
不意に目頭が熱くなり、カミュは慌てて両手で顔を覆った。
涙の壷は、いつになったら涸れてくれるのか。
一生分泣いたと思っていたのに、まだカミュの涙腺はこんなにももろく緩んでしまう。
目を背けていた事実はあまりにも酷で、向き合う勇気すら持てないのも当然だった。
現実を認めないまま、夢の中に彷徨っていたかったのだ。
それが決してよいことではないとわかっていつつも、カミュはひたすら想い出に浸っていた。
予期せぬ希望に、突如その心地よい世界から引き戻され、そして望みはあっけなく絶たれた。
叶わぬ夢を描いた愚かな自分に対する蔑みと、厳然と存在する恋人の死への愁嘆に、乱れた心は悲鳴を上げた。
とめどなく溢れる涙は、その叫び声だ。
不覚にも溢れ出す涙に動揺したのは、カミュだけではなかった。
小人も予想外のカミュの行動に驚いたらしい。
悪気はなかったとはいえ、期待を植え付け踏みにじってしまった罪悪感に苛まれたか、必死で両手を振りカミュの注意を引こうと叫ぶ。
「あっ、でもさ、それ以外だったら何とかなるかも。ねえ、何かない? 欲しい物とかさ」
カミュは小さくかぶりを振った。
「何もない。私の願いは、サガに再び会うことだけだ」
涙声ながらも、他人との会話が、カミュをようやく我に返らせた。
目の前の小人に罪はない。
悪いのは、神に叛くことを願った自分。
ただそれだけのことなのだ。
心配そうに自分をみつめる小人に、カミュは必死に笑顔を作ってみせた。
「すまない、取り乱して。私の願いはもういいから、誰か他の人の願いを叶えに行ってくれ」
小人は首を傾げた。
「ダメ。俺を呼び出したあんたの願いを叶えないと、蠍にも戻れないし」
「……そう」
小人の封印を解くためには、まだ数人の願いを叶える必要があるはずだった。
つまり、まだ蠍に戻らなくてはならない小人のためにも、是が非でもカミュは何か願いごとを考え出さなくてはならないらしい。
結局、元に戻ってしまった。
ただ、思案すべき問題の存在は有難かった。
意識を、サガの死から遠ざけることができる。
他事を考えている間に涙も乾き、心を落ち着かせることができる。
しばらくの間そうして願いごとを模索していたカミュは、やがて何か閃いたように目を見張った。
ついで、小人と目線を合わせるように顔を近づける。
「君は人間になりたいのか?」
「なりたいんじゃなくて、戻りたいの。もともと人間なんだから」
あんたやっぱり人の話聞いてない、と、長い金髪を苛立たしげにかき回す小人に、カミュは口元を緩めた。
「それなら、それを私の願いにすればいい」
「……は?」
言われた言葉の意味を量りかねたか、怪訝な顔で見上げる小人に、カミュはもう一度微笑んだ。今度は無理した笑顔ではなく、自然とこぼれる微笑だった。
「君を、人間に戻したい。それが私の願いなら、君は人間に戻れるのだろう?」
二、三度、蒼い瞳が不信に瞬いた。
感情表現のわかりやすい小人のことだ。これで人間に戻れると、きっと飛び上がって大喜びするに違いない。
嬉しそうにはしゃぐ姿を脳裏に描きつつ、カミュは微笑ましい思いで小人を見守った。
だが、期待に満ちた注視の中で、小人は静かに首を横に振る。
「それもダメ。あんた、本気じゃないから。さっきくらい真剣な願いじゃないと、その人のためにならないだろ」
「そうか。いろいろ制約があるのだな」
いい案だと思ったのだがと、頬杖をつき憮然として呟くカミュに、小人は再び明るい笑顔を向けた。
するするとリスのようにカミュの腕を伝い登り、その肩にちょこんと腰を下ろす。
「じゃ、こうしよう。あんたの願いごとがみつかるまで、俺はあんたの傍にいるよ」
「……勝手に決められても……」
「俺を呼び出したのはあんたなんだ。責任取れよな」
呼び出すつもりなどさらさらなかったのだが。
しかし、何を言ってもこの強引な小人には無駄なのだろう。
カミュはくすりと笑った。
ペットを飼い始めたと思えばいいだろうか。
にぎやかな小動物を。
人の話を聞かない。
すぐ謝る。
さらに状況に流されやすいというのも、これからは自分の欠点として挙げることになりそうだ。
「わかった。願いがみつかるまで、な。よろしく、ええと……」
「ミロ」
「よろしく、ミロ」
握手代わりに人差し指を差し出すと、小人
こうして、奇妙な共同生活は始まったのである。